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テニスと《仲間》

元の職場先輩に誘われて、週に1度平日2時間、リタイヤ仲間でテニスをしています。
軽く打ち合った後、組み換えしながらダブルス試合をいくつかこなすのですが、走り回るのでいい運動になります。
テニスコートまではバスと地下鉄を乗り継いで行くので、これがなかなかいい人間観察の場でもある。車で行ったこともありますが、大した時間短縮にはならないし、個室内移動は面白くない。

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硬式テニスとの出会いは、大学を留年して2回目の1年生となり、キャンパスで孤独だった時期に、留年仲間に誘ってもらったサークルでした。
入学した当初は下宿仲間と少林寺拳法部の同僚が周りにいましたが、引っ越しで前者と別れ、後者は途中退部し、当時の彼女を除けば日常会話を交わす相手もいなくなりました。

私の教養クラスで初年度留年はわずか数人、しかもほとんど単位を取っていない私は、そのまま1学年下のクラスで全講義を受ける形となり、当然ながらクラスに溶け込めず、誰とも話さない日もまれではなかった。
そんな日々の中、同じ高校から進学した友人も留年を決めたのを知る。彼の教養クラスは ── 驚くことに ── 60人ほどのうち3分の1以上が留年していた。

話は逸れるが、そのクラスには入試の際に生年月日見落としにより17歳で入学した某宗教団体の次期教主もいた。この人もまた留年して『フツーの現役合格者並み』になった。

そのクラスの留年者でキャンパス内にある男子寮の区画を借りる者がおり、次第に溜まり場となった4畳ほどのスペースに、私も出入りするようになった。
えたような匂いのするその空間で自然発生したのが、メンバー12名(全員♂)の『早朝テニスクラブ』だった。
その名は、自前のコートを持たず、早朝に登校して体育授業用テニスコートを勝手に使う、というゲリラ的な活動形態に由来する。

早朝以外の時間でも、夕刻にコートの空きを見つけると、いきなりダブルスゲームを始め、暮れてボールが見えなくなると、キャンパス商店街の酒屋に行ってビールを立ち飲みした。

12人のうち9人が留年生という、文科省が嘆くようなサークルだった。テニスもせずに集まって飲みに行くだけのことも多く ── というか、たいていそうだったようにも思う。

学園祭には屋台を出して結構な収益を上げた。
私が自費出版小説集を販売したのは、他大学の女子学生にも手伝ってもらい開いた焼きそば屋台の横だった。
豚の生モツを仕入れて徹夜で串を打ち、『ヤキトリ』屋を営業したのもこのサークルだった。

メンバー中の精鋭5人で当時の人気番組『プロポーズ大作戦』中の企画『フィーリングカップル5vs5』予選に出たこともある(当然落ちた)。

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そんな遠い日々を思い起こしたのは、2週間前、かつての仲間のひとりが突然訪ねてきたのが契機でした。いくつかの企業経営を経て今は経営大学院で教鞭を取る彼と飲みながら、一度みんなで集まろうか、という話になりました。
消息がわかる範囲で声をかけ、昔の写真を引っ張り出してメール添付したり、この夏『宿泊宴会』することを決めたり、けっこう盛り上がっています。

── この機に振り返ってつくづく思うのです。
真に孤独な一時期があった ── あの仲間たちとの交流によって、二十歳前後の人生数年間がとても色鮮やかなものになった ── Old Friends と、彼らと過ごした日々には感謝しかない。

映画化された小説『木村家の人びと』の表題は、このサークルのリーダー格・木村君にちなんだものです。

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