谷 俊彦

小説家;執筆活動再開しました。 「木村家の人びと(小説新潮新人賞⇒映画化)」「東京都大…

谷 俊彦

小説家;執筆活動再開しました。 「木村家の人びと(小説新潮新人賞⇒映画化)」「東京都大学の人びと(映画化)」など。 有料記事も無料領域がかなり長めですので気軽に覗いてやってください。 まずは江戸期にいた、とてつもなく弱い力士の物語から……。

マガジン

  • アノ人の正体

    ── あの人の《正体》は何だったんだろうか? その後、どういう運命をたどったのだろうか? そんな風に時折想い出す人がいる。懐かしいわけではなく、恋しいわけでもない。たいていはその人がいるある情景と、その人に関わる、印象的な『科白』がセットになっている。 ほとんどは直接目に耳にしているが、中では伝聞なのにも関わらずイメージがあまりに鮮烈なので、自分がその場にいたように憶えている『景色』もある。

  • ぼちぼちエッセイ

    ぼちぼちと、日々の暮らしを描いたり、過去の引き出しをさぐったり。

  • ヒミツの図書館/ノンフィクション棚

    エッセイ、旅日記、調査報告など、心に残ったノンフィクション記事をまとめています。

  • 呑み書きスル晩

    旅の愉しみのひとつは地酒やクラフトビールを呑むことです。土産のほとんどは、実は自分向け。旅の景色を振り返りながら酒を呑む、そろそろとやって来る晩年を思う。

  • 創作の時間

    他の小説シリーズに収まらない創作です。一部、関連エッセイを含みます。

最近の記事

  • 固定された記事

夢の配役(短編小説;9,600文字)

悪夢から逃れたい、最初はその願いだけだったけれど……。  暗闇の中を、俺はずっと走り続けていた。ひたすら走り、逃げていた。何から? ── わからない。何かおどろおどろしいものだ。俺を喰い殺そうと追いかけてくる。速力を緩めると、そいつはすぐ追いついてきて、耳の後ろに生臭い息を吐きかけてくる。  もうだめだ。心臓が破れそうだった。立ち止まろうとしたとたん、強く腕をつかまれた。 「うわわわわっ!」  ふりほどこうと、腕を振った ── そこで、目が覚めた。 「どうしたのよ? ……

有料
100
    • 期末試験当日に「へーえ、それが教科書?」って、大物か?

      テニスサークル(実は飲みサークル)の想い出話中に少し触れましたが、同じ年に大学に入った中に、現役生よりさらに1歳若い人(♂)がいました。 千葉大で国内初めて高校からの飛び入学が認められる(1998年)よりもはるか以前のことです。 大学入学の要件は、高校卒業か大学入学資格検定合格のいずれか、そして満18歳に達していなければならなかった。 彼と同じ理系教養クラスの友人から噂は聞いていました。 その人は、とある宗教団体の創設者ファミリーのひとりで、次期教主に指名されており、16歳

      • テニスと《仲間》

        元の職場先輩に誘われて、週に1度平日2時間、リタイヤ仲間でテニスをしています。 軽く打ち合った後、組み換えしながらダブルス試合をいくつかこなすのですが、走り回るのでいい運動になります。 テニスコートまではバスと地下鉄を乗り継いで行くので、これがなかなかいい人間観察の場でもある。車で行ったこともありますが、大した時間短縮にはならないし、個室内移動は面白くない。 ********** 硬式テニスとの出会いは、大学を留年して2回目の1年生となり、キャンパスで孤独だった時期に、留

        • 「世界がうらやむ~♬」はずだった「日本の未来は~♬」どうなったんだろう?

          かつて、カラオケでよく歌われた: 『LOVEマシーン』 1999年9月9日、9人のモーニング娘。による歌として《9ゾロ目》発売予定だったけれど、新メンバーのオーディションが不調で8人になったそうです。 とにかく、二次会などでみんなで歌うと盛り上がりました。 特に、一斉に手を振りながらのサビ部分: 1999年9月 ── バブルが崩壊して失業率が高まり、この年は成長率もマイナスになりました。 歌詞中にもありますね。 でも、日本の人口はまだ増えていたし(2004年がピーク)、

        • 固定された記事

        夢の配役(短編小説;9,600文字)

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        • アノ人の正体
          13本
        • ぼちぼちエッセイ
          218本
        • ヒミツの図書館/ノンフィクション棚
          36本
        • 呑み書きスル晩
          33本
        • 創作の時間
          30本
        • 新・再勉生活
          22本

        記事

          東濃釜戸の地ビールとコシアブラの天麩羅をいただく

          連休に帰省中の娘とその母親は、《海獺》ラッコ生活にも飽きたのか、東濃・瑞浪に山菜狩りに出かけました。 母親は山菜マニアで、山道を車で走りながらも、 「あ、タラの芽!」 「コシアブラ発見!」 と頻繁に叫ぶ人物です。 この日、私は留守番で、賞味期限ギリギリになったカップ麺をやむを得ず食べていると、|海獺親子はやや育ち過ぎたコシアブラと地ビールを土産に凱旋しました。 帰り道に中央線釜戸駅近くの『カマドブリュワリー』に立ち寄り、醸造所併設のビアバー「HAKOFUNE ハコフネ」

          東濃釜戸の地ビールとコシアブラの天麩羅をいただく

          便利な言葉だからか、使われ過ぎじゃないの?『寄り添う』

          私だけだろうか? ── 最近、とても気になる言葉がある。 《寄り添う》使われ過ぎの『魔法の言葉』になってやしないだろうか? 例えば、ジャニーズ騒動の際に、所属する人気タレントの発言に: ── ファンに寄り添う 大きな災害が起きると、報道やコメンテーター、いや、災害とまったく無関係なスポーツイベントのインタビューや映画・ドラマ発表会見中にも頻発する: ── 被災地(の人たち)に寄り添う サービス産業が使いたがるのが: ── お客様に寄り添う 医療関係者はもちろん: ─

          便利な言葉だからか、使われ過ぎじゃないの?『寄り添う』

          海獺(ラッコ)の季節

          出稼ぎ中の娘が連休に帰省した。 寄生 ── あ、いや、帰省するのはいいけれど、海獺が2匹目になるとひとつしかないソファの争奪戦が始まる。 そうか ── 前回は確か12月、寒い季節だったので、床(というより、床暖房)に張り付いていた。さらに気温が上がれば、暑苦しいソファより再びひんやりとした直床や畳が心地よい。 今がちょうど、 海獺の季節 というわけだ。 老海獺がトイレに立った隙を逃さず若海獺がプールを占拠し、ボタンがいくつも付いていたり、表面を指で叩いたりこすったりする『貝

          海獺(ラッコ)の季節

          真のチャレンジは人にわからない場所で(一部再掲)

          「あれ? 左効きでしたっけ?」 職場でPCを使っているとよく言われた。 「いや、右だけど……あ、これ?」 マウスを左手で操作しているためである。 「マウス操作ごときは左手に任せて、右手にはもっと重要な仕事をさせるんだよ……メモを取るとか」 「はあ……でも、今どき、PC作業しながらメモなんて取りますかねえ」 うーむ……ま、そうかもしれないが。 マウス操作を右手から左手に変えたのは、やはり同じような会話を、左手でマウス操作する若手との間でして以降のことだ。 「なるほど……確かに

          真のチャレンジは人にわからない場所で(一部再掲)

          有能なキミたちをどう活用するか?

          先週、衝撃的な出来事があった。 山あいのゴルフ場でいつものようにグリーン上を右往左往した後、カートに戻ろうとした時のこと、 「あ、カラス!」 同行者が叫んだ。 黒い影がカートから飛び去って行く。 「何かくわえていった!」 急いで戻ると、カートに置いたバッグがひっくり返されている。 そのバッグはファスナーがついていたが、端の部分が3センチほど開いており、そこから嘴を入れたらしい。 ── それはわかる。 驚くのは、そのバッグの中にあったポーチ、これはきっちりとファスナーが閉まるタ

          有能なキミたちをどう活用するか?

          応援消費Ⅳ;富山新湊港の『ホタルイカ刺身』に黒部の『宇奈月ビール』モーツァルト仕込み

          だいぶ間が空きましたが、今回は富山どうし……です。 先月(3月)終わりだったか、富山の新湊でホタルイカが豊漁、というニュースを見ました。それ以来、確かにどの店でもボイルホタルイカがよく売られています。酢味噌で食べると美味いですが、硬い目玉を除くのが面倒ですね。 富山を地盤とする魚屋系スーパーで、新湊港で揚がったホタルイカの刺身が出ていました。生ホタルイカは時折寿司屋でつまみますが、これは、さらに新鮮そうだったので買ってみました。 では、これと合わせる『酒』は……と、今回

          応援消費Ⅳ;富山新湊港の『ホタルイカ刺身』に黒部の『宇奈月ビール』モーツァルト仕込み

          常套句『大暴れ』に「ゴジラじゃないんだから!」

          「また、これだよ! ……ゴジラじゃないんだから!」 野球記事を読んでいた同居人が叫んだ。 「『大暴れ』って何? バット振り回して球場の照明でも叩き割ったのならともかくさあ……」 そういえば、大谷サンも頻繁に暴れ回るようですね。困ったものです……: 「『大暴れ』じゃなくて、『大活躍』でしょう!」 「ま、そうなんだけど……インパクト強めに書きたいのだろうね……」 「ホントの意味で球場で『大暴れ』したらどうすんのよ! 何て書くのよ!」 なるほど…… 大谷、危険球に激怒して

          常套句『大暴れ』に「ゴジラじゃないんだから!」

          将来、人類は二極化する?

          米国留学から戻って間もなく、社内で新たな留学候補生に選定された別部署の若手が、話を聞かせて欲しい、と言ってきた。 新婚間もなかったこの人は、帯同する奥さんも向こうの生活について聞きたいことがある、というので、自宅に招いて夕食を共にした。 彼は身長180 cm以上で、当時私が住んでいた古い家で、鴨居に頭をぶつけないよう慎重に歩いた。 奥さんも170 cmを超える高身長だった。 この夫婦が帰った後、食事中に抱いた懸念を妻に話した。 「奥さんも背が高かったね……やはり、背の高い

          将来、人類は二極化する?

          アートとタイパについて考えさせられたモノクロのハンガリー映画『ヴェルクマイスター・ハーモニー』(ネタバレ:ほぼなし)

          今年の目標『月イチの劇場映画』達成のため(というわけでもないけれど)、復活したミニシアター・今池のナゴヤシネマ・ノイに行きました。 復活した直後でその日の朝にTVニュースでも話題になっていた先月はほぼ満席でしたが…… その熱が冷めたのか、あるいは掛けられる映画の個性によるものか、この日この時間は観客数10人ほどで……再びのピンチがやってくるのではないかと心配だ。 この日観たのはハンガリーのタル・ベーラ監督により制作された『ヴェルクマイスター・ハーモニー』(2000年公開)

          アートとタイパについて考えさせられたモノクロのハンガリー映画『ヴェルクマイスター・ハーモニー』(ネタバレ:ほぼなし)

          再勉生活! 「I don't need your help」Baby sitter を見つけられなかった助教授は教室で学生がまだ写し終えていない板書を消した小学生の娘に言った

          渡米して数か月が経った頃、私と妻は3歳と5歳の子供をアパートに置いて出かけたスーパーマーケットで、米国人の知り合いに会った。 「子供たちはどうしたの?」 「2人で家にいるよ」 「2人だけで?」 「ええ」 すると、知人は怖い顔で, 「It's against law(法律違反だ)」 と宣告した。 イリノイ州では12歳以下の子供だけを家に残すのは犯罪なのだそうだ。 「早く帰った方がいい。もし隣人が警察に通報したら、逮捕されるよ」 硬い表情に促され、我々は急ぎ帰宅した。 このよう

          再勉生活! 「I don't need your help」Baby sitter を見つけられなかった助教授は教室で学生がまだ写し終えていない板書を消した小学生の娘に言った

          再勉生活! 『詳細なカンニングペーパーを念入りに作っているうちに、試験中それが必要でなくなるほど、その内容が既に頭に入ってしまっている』というのは本当か?

          のび太が試験の前日に一生懸命小さな字でカンニングペーパーを作っている。 それを見たドラえもん: 「のび太くーん、そんな苦労するよりも、ちゃんと勉強した方がよっぽど楽だと思うんだけど……」 ドラえもんは、ある意味正しく、ある意味では間違っている。 おそらくのび太は、明日の試験ではカンニングペーパーを見る必要がないほど、試験範囲の公式を暗記してしまっている。 でも、『カンニングペーパーを作る』という極めて重要なプロジェクトがあったからこそ、のび太は全身全霊をそれに打ち込んだのです

          再勉生活! 『詳細なカンニングペーパーを念入りに作っているうちに、試験中それが必要でなくなるほど、その内容が既に頭に入ってしまっている』というのは本当か?

          Beatlesが流れる居心地の良い喫茶店

          個人経営の食料品店がどんどん減っています: レストランや喫茶店も、気がつけばチェーン店ばかりになっていますね。 いずれも、仕入れなどのコストと効率など《量》の効果が大きいのでしょう。 あとは、チェーン店なら期待どうりの同じサービスが受けられるので『失敗がない』── だから、リスク回避の時代に好まれるからなのかもしれない。 名古屋は、かつては喫茶店の多い街でした。繁華街はもちろんのこと、住宅街にも、それこそ、ひとつのブロックに1軒の喫茶店があるほどでした。 1970年代まで

          Beatlesが流れる居心地の良い喫茶店