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「勇気」が「喜び」の出発点

前回の、「我慢」から「喜び」の時代へ、という記事の最後に、次のようなことを書いた。

「喜び」が人の意識を高める。

「喜び」は、「愛」や「平和」、「自由」といったいくつもの要素を含む高い意識である。

多くの人が「喜び」の意識を使って生きるようになれば、今ある様々な問題を瞬く間に解消させることができるようになるだろう。

我慢は人の気持ちを低下させるが、喜びは人の心を向上させる。

「喜び」という抽象度の高い意識を使って生きる人が増えれば、社会のあり方を今以上によりよいものに変えることができるようになるはずなのだ。

「喜び」の総和が幸せな社会を生み出す。

だからこそ、何かを選択するなら自分にとっての喜びを優先さる必要がある。

意識の次元を上げるとは、「喜び」といった高い意識を活用して生きることなのだ。

さて、ここに書いた「喜び」とは一体、どういうことなのか。

このことを、あらためて見ていきたいと思う。

「喜び」という意識を大きくひとくくりに分けるならば、ポジティブな意識ということができるだろう。

どんなことでもポジティブな気持ちを持って行動できるなら、それは喜びとなる。

しかし、ネガティブな気持ちでいるなら、そこに不安や恐怖、心配、怒りといった感情を抱くことになる。

とはいえ、ボジティブもネタティブも白黒はっきりと分けられることのできない境界となるような意識も存在すると考えられる。

であるのなら、ポジティブな思いとネガティブな思いの境界線はどこにあるのか。

こういったポジティブとネガティブの境界となる感情を知っておくと、自分の意識を客観的に判断して上げていくことが可能になるだろう。

そこで参考にすべき指標として、「パワーか、フォースか」という本の「意識のマップ」を引用したいと思う。


*表の中央にある赤いラインは、分かりやすいように僕があえて入れたもの


この「意識のマップ」は、本の中で紹介されているものを、そのまま僕が作成したもの。

これを見ると、自分の意識がどの辺にあるのかを客観的に見ることができるようになる。

そこで普段、どんな意識を使って生活しているかをこの表の「レベル」の部分を参考にするといいだろう。

「パワーか、フォースか」では、ポジティブな感情とネガティブな感情の境界を、レベルでいうところの「勇気」と「プライド」で分けている。

つまり、赤い線より上の意識がポジティブな意識であり、その下がネガティブな意識ということになる。

ちなみに、この「意識のマップ」は、著者のデイビッド・R・ホーキンス氏がキネシオロジーを使って20年間研究をした結果作られたものであり、「ログ」の欄の数字は、人の意識の指標を表す数字となっていて200以上の数字が測定されると、ポジティブな意識であると判定され、それ以下がネガティブな意識のとなる。

また「パワーか、フォースか」というタイトルの由来を説明すると、「パワー」も「フォース」も「力」を意味する言葉であるが、「パワー」とは人を強くするものという意味であるのに対し、「フォース」は人からエネルギーを奪うもの、という意味で使い分けている。

こういったことから、パワーがポジティブ、フォースがネガティブとされている。

さて、話を戻すと、なぜ「勇気」と「プライド」がポジティブとネガティブの境界なのか。

本の文章を抜粋し比較していく。

まずはプライドから。

プライドは、現代人の大方が求めているレベルです。下方のエネルギーフィールドと比べると、このレベルに達するにつれて、人間はポジティブになります。自尊心が湧いてくると、意識の低いレベルで経験したすべての苦痛が和らぎます。

プライドは「恥」や「罪」や「恐怖」といったレベルから十分に上昇しているので、例えばスラム街に満ちている「絶望」から海兵隊員のもつ「プライド」のレベルまで上がるには、莫大なジャンプ力が必要です。

ここまでの文章から、プライドの意識はポジティブなものと捉えることができるものの、著者は次のように続けている。

一般にプライドは評価されていて、社会的にも推奨されるのですが、意識のレベルのチャートから見ると、200という臨界点のレベルより下に留まっているため、まだネガティブな状態といえるでしょう。これはプライドが優越感に浸れるのに過ぎないのです。

プライドは、他者と自分を区別するもので、派閥争いを招き、結果的に高い代償を払うことにもなります。

プライドのマイナス面は、傲慢と否認です。これらは人間の成長を妨げます。

どうやら「プライド」の意識は、人を頑なにしてしまう可能性があるようなのだ。

頑なさは、ネガティブな意識といっていいだろう。

では、プライドより高い意識である「勇気」を見ていく。

200レベルにおいてはじめて、「フォース」から「パワー」へと展開します。

これは生きることに対してポジティブか、それともネガティブな影響を与えるかの識別できる臨界点です。

「勇気」のレベルにおいて、「パワー」が到来します。したがって、さまざまな能力が生まれるレベルであり、探求、達成、忍耐力、決断力のゾーンです。

「勇気」は新しいものを試みながら、人生の変化と挑戦に立ち向かう意欲を意味します。能力が与えられたこのレベルでは、人は難問にも対処できるようになり、また人生のチャンスをうまく生かすことができるようになります。

このレベルの人々は、自分たちが得るものと同じくらい多くのエネルギーを世間に返します。低いレベルでは、個人にしても集団にしても、社会に貢献することなく、ただエネルギーを消耗させるだけです。達成すること自体がポジティブなフィードバックや自分のためになり、また自尊心にもつながるので、次第に自分は強くなっていき生産的な生き方が始まります。

「プライド」と「勇気」の引用から、ポジティブな意識とネガティブな意識の境界を知ることができる。

そこで「プライド」と「勇気」の違いを、本で書かれている文脈に従って僕なりに解説するなら、「勇気」の意識は、「否認」、つまり認めたくないという思いを受け入れることができるようになって始めて得られるようになると考えられる。

自分の過去を認めたくないという思いを強く持っていると、なかなか前に進むことはできないものの、そういった過去があるから今の自分があると認めることができれば、生きることそのものを前向きにとらえられるようになり、喜びの意識を持って生きていけるようになるといっていい。

つまり、自分を認めることができてはじめて、人はポジティブな感情を持てるようになるものであり、自己肯定できてはじめて「勇気」を持って、前に進めるようになるのだ。

また「勇気」の引用中で注目すべき点をあげると、「このレベルの人々は、自分たちが得るものと同じくらい多くのエネルギーを世間に返します」という所と、「達成すること自体がポジティブなフィードバックや自分のためになり、また自尊心にもつながるので、次第に自分は強くなっていき生産的な生き方が始まります」というところ。

人は「勇気」を持って生きることができるようになるだけで、周りにもいい影響を与えられるようになり、そういった姿を示すだけで他者に貢献できるようになるという点を特筆したい。

自分を丸ごと受け入れる、それができるだけで人は他者に貢献できるようになり、自分を受け入れることができたなら、あとは自然体で生きていけばいいというのだ。

人は、感覚を共感できる生き物だから、勇気を持って行動している人を見ているだけで、自然と勇気づけられていく。

だからこそ、「勇気」は「パワー」となるのだ。

ここまでのことを、簡単にまとめると、自分自身を丸ごと受け入れられるようになると自然と勇気が湧いてくるようになるもであり、その結果、そういった姿が他者によい影響を与えるようになっていく。

こういった状態になるには、自分自身を認めることができるかどうかが、重要だといっていいだろう。

今回、あらためてこの本を読み直し、こういったことに気づけたことは大きな収穫だった。

そこで、せっかくなので、次回は「勇気」以上の意識を、もう少し詳しく、また分かりやすくするために、現在の僕の意識の状態と照らし合わせていきながら書いていきたいと思う。

ちなみに、客観的に自己判断するなら、今、僕は「意欲」のあたりにいるのではないかと思っている。

そういったことの根拠も踏まえて、次の機会で解説していきたいと思う。

また、「パワーか、フォースか」で定義する「喜び」の意識につても言及していきたいと思う。





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