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「喜怒哀楽伝える」新聞記者のやりがい

 毎日新聞社大阪本社の代表室次長を務める一色昭宏(いっしき・あきひろ)さん=写真=は、証券会社勤務を経て新聞記者になった異色の経歴を持つ。社会部記者時代、内戦で荒れ果てたアフリカ・シエラレオネの子供たちを取材したり、ゴミが散乱するマンションを見て管理のあり方を問うキャンペーンを始めたりした。大事にしているのは「現場」。そういう社会部記者のやりがいは何か。一色さんに聞いた。【2年・橋本龍之介】

一人で旅した学生時代

 大阪から普通列車で稚内に行ったり、アメリカを長距離バスで横断したり、ヨーロッパを鉄道で周遊したこともあります。国内外問わず1人で出かけていました。行ったことのない土地に足を運び、人から話を聞く。自分にはないものを得て、成長できる。好きでしていることが、少しでも世の中のためになるならこんなにいい仕事はありません。
 大学2年の頃から新聞記者になりたいと思っていたのですが、ご縁がなく、大学を卒業して証券会社に入社しました。1年半ほど勤めましたが、記者への思いが強く、第1志望だった毎日新聞社をもう1度受けました。思いが伝わったようで、内定をいただきました。証券会社を辞めた次の日から当時堂島にあった大阪本社の旧社屋で校閲の仕事を半年ほど手伝い、翌年の1992年4月に入社しました。 

被害者の訴えを後押し

 初任地は倉敷支局。岡山支局とあわせて岡山県に5年ほどいました。社会的地位のある方や事件事故の被害者遺族の方々、さまざまな人と出会い、新しい価値観に触れて視野が広がりました。
 岡山にいた頃、毎日新聞の投書欄「みんなの広場」に載った一文が目に留まりました。投稿したのは大学生の長男を少年による集団暴行事件で失った男性。「加害者は未成年で少年法に守られている。大人と変わらないことをやって、なぜ法の保護があるのか」と制度を批判する内容でした。遺族は加害者の名前も知ることができません。男性は警察や弁護士に何度も足を運び、新聞やテレビで知った全国の少年犯罪被害者の遺族に手紙を送り、家族をなくした悲しみや被害者の権利が守られていないことへの憤りを訴えかけていました。そうして被害者の会が発足し、メディアも取り上げました。その後、少年審判で被害者側の意見陳述や事件記録の閲覧が可能になるなど、被害者に配慮した対策が進みました。
 多くのメディアが遺族の声を報道したことが制度の改正を後押ししたと思います。取材先の皆さんと喜怒哀楽を共にして、世に伝えること。それが記者のやりがいです。

うつろな目をした少年

 大阪社会部にいた2003年、「世界子ども救援キャンペーン」の取材で、西アフリカにあるシエラレオネに渡りました。キャンペーンは、戦争や貧困に苦しむ子どもたちを救おうと、現地に記者とカメラマンを派遣し、現状を報道する企画。毎日新聞社の社会事業団とタイアップして1979年に始まり、救援金を募っています。シエラレオネは10年続いた内戦が終わった直後で、子ども兵の存在が知られていました。彼らは反政府勢力に誘拐されて麻薬を投与され、戦場に送り込まれる。生き延びても心に大きな傷を負います。現地で出会った少年はうつろな目をしていました。強要されて何度も戦闘に参加したそうです。他にも、反政府勢力の作戦で腕や脚を切り落とされた多くの市民が集まってキャンプで暮らしていました。8歳の少女は右腕がありませんでした。内戦が終わっても市民の傷は癒えることはなく、元の生活に戻るのは容易ではない。必要な支援をするには現場の情報が不可欠です。
 ウクライナやガザなど、今でも紛争は絶えません。戦闘や空爆だけでなく、劣悪な衛生環境の中、病気で亡くなる人も大勢いるでしょう。助かるはずの命を救うには一人でも多くの人に関心を持ってもらうことが大切です。戦況データを見て情勢を分析することも大事ですが、現場で何が起きているかを伝えることが記者の役割です。

日常から社会問題を見つける

 身近なところにも現場はあります。日常生活から生まれた疑問から2016年に始めたのが「明日(あす)がみえますか」という連載企画です。大阪社会部が中心となって全国各地を取材し、私はデスクワークを担当しました。
 街を歩いていて「これ、大丈夫かな」と気になるマンションがありました。扉の前だけでなく、廊下や階段といった共有スペースにまでゴミが散乱している。なぜこうなったのか、この先どうなるのだろう。取材班が入居者や管理会社、マンション問題に詳しい弁護士らに取材したところ、管理組合が機能不全に陥ったり、管理会社が倒産したりと深刻な状態にあるマンションが急増していることが分かりました。連載の第1部「マンション漂流」は単発記事のほか続編を出し、全国から1000件を超す反響がありました。「建物と住民の二つの老いが進み、私が住むマンションもいつ同じ状況に陥るか分からない」「管理会社に問題があっても、隠されると居住者には分からない」。寄せられた情報をもとに更に取材が広がるという流れができました。第2部は、最低賃金が守られていない「違法賃金」問題、第3部は急増する特殊詐欺の実態を追った「闇からの誘い」、さらに様変わりする弔いの現場を伝えた「死と向き合う」――などの連載を現場から書き起こしました。このシリーズは「日常的な生活空間の中から現代社会が直面する諸問題に切り込んだ調査報道」と評価され、第25回坂田記念ジャーナリズム特別賞を受賞しました。
 取り上げたのは絶対的な「正解」がない問題ばかり。「こうするべきだ」と結論を書くのではなく、取材した素材をありのままに伝え、読者一人ひとりに立ち止まって考えてもらう。「解決策を一緒に考えましょう」という姿勢で臨みました。取材前に想像力を働かせることは大切ですが、記者の想像力など高が知れています。事実は小説より奇なり。想像は覆るものです。 

記事を書いてもすぐには変わらないが……

 記者は自らの足で取材して、裏付けを取って記事を書く。記事を書いたからといって、すぐに何かが変わることはないでしょう。それでも記事を読んで何かを感じ、行動する人がいれば、少しずつ世の中は変わっていく。どんな問題も地道に伝え続けていくことに意味があります。記者の仕事とはそういうものだと思います。

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