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橋本治の孤独

本の営業をしつつ、幾人かの書店の知人たちと話して気づいたのは、いま中堅以上の世代の人たちにとってさえ、既に橋本治はよくわからない存在(おそらく仕事が多方面すぎることと、1990年代半ば以前のイメージを共有をしていないことによる)になっているという事実だった。

橋本治はあるときから「現在」にいることをやめ、時評的な文章も減らして、まずは古典古代、さらには近代の謎の究明に向かい、そして最後まで独特の小説家であり続けた。それを私は橋本治が自身で選びとった孤独だと考えている。

『孤独の発明』のオースターが亡くなり、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』が文庫になるこのタイミングで、「孤独」(橋本治にとってそれは近代が招来する必然的な運命だった)とは何かということを、もう少し突き詰めて考えたい。

読書とは、孤独の中でしか行えない行為であると同時に、それを通して孤独を突き抜ける行為でもある。橋本治の思考してきた過程を若い世代に届けたい、と私が考えるその「若い世代」とは、10代や20代ではなくて、いま30-40代の人たちである。

高円寺と文フリで、少しでもその世代の人と、話をしてみたい。


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