仲俣暁生

編集者。物書き。破船房房主。「マガジン航」編集人。大学教員。その他もろもろ。下北沢から…

仲俣暁生

編集者。物書き。破船房房主。「マガジン航」編集人。大学教員。その他もろもろ。下北沢から阿佐ヶ谷に転居しました。

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    本と出版の未来を考え、実践する「マガジン航」のnote版です。試験的に課金コンテンツなどの運用をしてまいります。

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『橋本治の中期エッセイ・批評集』〈仮題〉の刊行を提案したい

寒いので朝風呂に入りつつ一人編集会議。ひとつ企画を思いついた。『橋本治「再読」ノート』には橋本治の中期の著作からたくさんの引用があるが、それぞれの親本を探すのに手間がかかる。とはいえ、すべてを復刊するのは難しい。ならば、『橋本治の中期エッセイ・批評集』というアンソロジーを出せばよいのではなかろうか。ノートだけあってもテキストブックがなければ、自習ができない。 このアンソロジーに何を載せたらいいかは私の再読ノートを読めば自ずとわかるが、なんなら私自身が編纂します。できれば平凡

    • 橋本治「再読」ノート』のための、さらに長いあとがき

       ことしの初めに、文学フリマ東京に向けた破船房レーベル第四弾として、橋本治さんについて書いたウェブ連載を本にまとめることを決めた。  三月の終わりに神奈川近代文学館で「帰って来た橋本治展」の内覧会があり、お招きいただいた。 そこで『はじめての橋本治論』を上梓した千木良悠子さんや、「小説宝石」で「ふしぎなぼくらの橋本治」の連載をはじめた柳澤健さんと、久しぶりにお会いした。二人とは以前から面識もあるし、それぞれが橋本治に対して、並々ならぬ愛情と理解をもつ人だと知っていた。  それ

      • さらに長いあとがき

        • 今夜、高円寺でお待ちします

           本を自分でつくって売る、いわゆる「軽出版」を始めてみてよかったなと思うことはいくつかある。思いがけなく本が売れてくれることは、もちろんうれしいが、それ以上に、本を売ってください、とお願いしたり、読んでくれた方から手紙が来たりと、本を介した人との繋がりができたことだ。   これまでも本を書いて来たし、私の本を長く置いてくれる仲のよい本屋さんもいた。でもそれは、まだ、著者としての関わりでしかなかった。本づくりも売ることもすべて出版に委ね、書くだけの立場だった。  そこから見える

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        『橋本治の中期エッセイ・批評集』〈仮題〉の刊行を提案したい

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          文学フリマ東京38にご来場の方はこのポスターを目印に来てください

          文学フリマ東京38にご来場の方はこのポスターを目印に来てください

          【橋本治についてのあれこれ その①】

           橋本治と私をつないでくれたのは、さべあのまさん。高校生のころ私はさべあのまと、吾妻ひでおの存在によって生かされていた。家の近くに主宰者が住んでいたのでさべあのま公式ファンクラブにも入っていたが、会報の制作途中で離脱していろいろあった(このあたりは自分のマンガ評論集に書いた)。この本は、はるかのちにさべあさんに原稿依頼をしてお会いできたときにいただいた同人誌版の初期作品集で、私の宝物である。  そして1980年代の初めに、さべあのまと吾妻ひでおの二人を初めて正当に評価した批評

          【橋本治についてのあれこれ その①】

          橋本治の孤独

          本の営業をしつつ、幾人かの書店の知人たちと話して気づいたのは、いま中堅以上の世代の人たちにとってさえ、既に橋本治はよくわからない存在(おそらく仕事が多方面すぎることと、1990年代半ば以前のイメージを共有をしていないことによる)になっているという事実だった。 橋本治はあるときから「現在」にいることをやめ、時評的な文章も減らして、まずは古典古代、さらには近代の謎の究明に向かい、そして最後まで独特の小説家であり続けた。それを私は橋本治が自身で選びとった孤独だと考えている。 『

          橋本治の孤独

          テラヤマシュージ・ツールキット

          唐十郎さんが奇しくも寺山修司と同じ日に亡くなったのを受けて、21年前に『別冊文藝 寺山修司』に書き、絶版になってる私の3冊目の文芸評論集『「鍵のかかった部屋」をいかに解体するか』に収めた寺山修司論を、久しぶりに公開します。  1983年に47歳で寺山修司が亡くなったとき、19歳だった私は、寺山の本をまだ一冊も読んでいない。寺山修司が入院していた河北病院は私の父方の実家のある東京の阿佐ヶ谷にあったから、彼の死を知って連想したのは駅からも見えるあの病院の大きなカンバンだった。寺

          テラヤマシュージ・ツールキット

          文フリ前に高円寺でイベントやります【5/17 Fri. 高円寺Pundit】

           5月19日(日)の文学フリマ東京38をめざして作った『橋本治「再読」ノート』ですが、おかげさまで出足も好調です。  BOOTHで先行発売したPDFをお買い上げいただいた方々に、定価より安く(540円引き)で印刷版をご提供するつもりですが、今回の文フリはおそらく大変に混み合いますので、その前に印刷版の本を入手できる機会を作りたいと思い、高円寺パンディットに無理をいってイベントを組んでいただきました。  神奈川近代文学館での「帰って来た橋本治」展の見どころのほか、今回の本では書

          文フリ前に高円寺でイベントやります【5/17 Fri. 高円寺Pundit】

          見本到着!

          本、ぶじ届きました! 表紙のマットな感じも、淡いグリーンの背もイメージ通り。無線綴じなので熟読時の強度もあり。B6判なのでカワイイです。明日からBOOTHやBASEでご予約の方、ご注文いただいた書店様に発送・配本を開始します。よろしくお願いいたします。(房主)

          見本到着!

          本の発売開始にあたって

           著者として版元から本を出してもらうときにも、いつも自分の本など売れないのではないかと不安になることはあったが、取次を通して本屋さんに流れる以上、それは「あまり売れないのでないか」程度であって、少なくとも数百から千くらいは売れてくれただろう、と(6500部刷ってもらった本はもっと多く)思う。  でも自前で商品として本をつくり、さあ、販売だとなったときに思う心許なさは、「まったく売れないのではないか」「なんの反応もないのではないか」という別種のものだとわかった。ものづくりや販売

          本の発売開始にあたって

          BASEで予約開始しました

          【お知らせ】BASEにて『橋本治「再読」ノート』の予約販売を開始しました。 ※定価販売です。BOOTHで先行発売したPDFの割引券は使えません。

          BASEで予約開始しました

          入稿を終えて

           ウェブで1年連載したときは、反応はほぼゼロ。いつか手直しして本にしたいと思っていたら、千木良さんの評論が文學界に出て、本にもなり、柳沢健さんが待望の評伝を連載し始め、神奈川近代文学館での展示も始まった。  それで私も、とにかく人の目に触れて評価を受ける(つまり批判をしてもらう)ために形にしておこうと、推敲と編集にとりかかったのが3月のこと。  でも印刷して売るには、場所がいる。たとえ100部でも、5冊ずつ20の書店に置いてもらい、売れたらお金を回収するというのは、やってみる

          入稿を終えて

          朗報です

          神奈川近代文学館で開催中の「帰ってきた橋本治展」会場での『橋本治「再読」ノート』のお取り扱いについて、前向きのお返事を文学館様からいただきました。会期中のみの発売です。発売開始の時期が正式に確定したらまたご案内差し上げます。印刷、急ぎます!

          少し長いあとがき

          *5月に刊行する『橋本治「再読」ノート』(破船房)から、「あとがき」を転載します。  橋本治さんについて、いつか一冊の本を書かなければならないと思っていた。  この本は(私が定義した)橋本治の「中期」に書かれた評論的エッセイを中心とする著作についての、試論までも行かない読書ノートである。ちゃんとした橋本治論にするためには「前期」と「後期」についてそれぞれ相応の分量の文章を書かなければならないし、小説作品にも触れなければならない。でもそれを書き上げるにはまだしばらく時間がかか

          少し長いあとがき

          軽出版者宣言

           「軽出版」という言葉をあるとき、ふと思いついた。  軽出版とは何か。それは、zineより少しだけ本気で、でも一人出版社ほどには本格的ではない、即興的でカジュアルな本の出し方のことだ。何も新しい言葉をつくらなくても、すでに多くの人がやっていることである。にもかかわらず、私自身にとってはこの言葉の到来は福音だった。  ことの始まりは2023年春の文学フリマ東京36だ。このときの文学フリマで私は、インディ文芸誌『ウィッチンケア』をやっている多田洋一さんのブース「ウィッチンケア書店

          軽出版者宣言