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noteについてまとめ

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noteを続けていく上で少しでもお役に立てそうな記事を集めました。
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好きなクリエイターさんを守る方法

最近「noteをやめることにしました」との記事をけっこう見かける気がしています。もちろん自分自身の多忙さ、他にやりたいことがあるなどnoteに関係のない理由の方もいます。その一方でnoteに理由があってやめたいと悩んでいた人も数多くいるようなのです。 そして実際にもうnoteをやめてしまった方がいて、心を痛めていたりもします。私は自分自身が始めたころのフォロワーさんをよく覚えているほうなのですが、その中でもう5人以上はいなくなってしまっています。 最後にもうひとつだけでも

3周年ありがとうございます!

こんにちは。スピカです。昨日、ついにこのアカウントも3周年という節目の数字を迎えることができました。読んで下さる方のおかげでここまで続けてくることができました。いつもスキを下さる方、コメント下さる方、記事を読みに来て下さっている方。本当にありがとうございます。 素直な感想3周年のバッジを見て一番最初に思ったのは「新卒の人が『ここまでは最低減頑張ってみろ』といわれる期間はやりきった」という感慨のようなものでした。お試し期間とされる年月は過ぎ去った、よくここまでやり切ったなあと

noteをできるだけ傷つかずに続けていく方法

最近noteにてある実験をしていたのですが、今日はその結果をレポートのようにして書いていこうと思います。ちなみに、例外のケースについても後程触れてあります。このテーマについて気になる方はよろしかったら読んでみて下さい。 記事を傷つかないように書いていきたいのなら「自分なりの他人に対してどう見せるか」ということを大体のバランスでもいいので決めておくこと。そして何より、noteでモチベーションを維持していくことになります。 後者に対しては誰かとのつながりが必要で、ある程度承認

好きなクリエイターさんを支えるためにしていること

あなたは普段どんな気持ちでスキを押していますか?きっといろんな意味を込めて押している人がいることでしょう。 記事を読んでの気持ち(感動など)のままに押していたり、既読のつもりで押している人。あとで読むつもりで付箋の代わりに押している人。クリエイターさんへ励ましのつもりで押している人。 また、押してもらったからお礼のつもりで押している人や宣伝のつもりで押している人もいるかもしれませんね。これは私が思い浮かんだ一部の例ですが、つまりは全て私自身が実際にやったことのある方法だと

ふんわりとした表現方法に憧れて

最近noteを見ていて思うのですが、大筋で分けるとぎゅぎゅっと詰まった記事とゆったりと余韻を楽しむような記事があるんだなあと気付きました。 「ぎゅぎゅっと」「ゆったりと」私は前者です。自分の思っていることを間違いのないように伝えようと思うので、どうしても文字数を使ってしまいます。そしてがちがちなので隙がありません。 10のうち8~9を教えてしまう感じでしょうか。もちろん、これは私以外の方にとっては素晴らしく世界観の完成した文章になっていきます。 後者は行間を読ませる、だ

キャッチ―な表現が心惹かれる記事を作っていく

記事のタイトルを思わず気になってしまうようなものにすることを「タイトルで釣る」と表現することがあります。中身の記事がタイトルに見合わないものであったりすると「タイトルに負けている」などと表現されます。まるで「名前負けしている」のような言い方です。 それでもタイトルに対しての中身がきちんと見合ったものであった場合、そのタイトルとはキャッチーなものとされています。ではキャッチ―とは実際にどういう意味として使われるのでしょうか。 音楽などでも実際に「キャッチーなメロディー」「キ

あなたにもっとスキを届けたかった

最近すごく思うのが、noteには私と同じように「数」を気にするクリエイターさんがたくさんいて、そっちの方がよくあることなのではないかということです。 ここで「気にしないでいいと思います」という言葉は、届きにくいと考えています。何故なら既に気になってしまっているからです。何事もそうなのではと思いますが、固定化された考えは覆すのが難しいです。 強いて言うのなら、一度全く気にならない状態になって判断や考え方を改めるきっかけがあることが必要なんじゃないかと思っています。もしかした

コメントがもっとうまくできたら

恥ずかしながら私はコミュ障です。長年の療養生活によって普段から話す人が少なくなっていたせいか、気付いたらネット上でもうまく話せなくなってしまっていました。そのせいかコメントすることも苦手意識があります。 投稿する前にもおかしいところはないかと何度も確認しますし、投稿した後でもこう思われたらどうしようと思って心配になり、書き直すことすらあります。コメントする勇気が最初から持てないこともしばしばです。 またコメントの返信についても気にしてしまったりと、かなりの挙動不審なタイプ

そうだ、noteの記事を書いているのは普通の人間だった

今日の私のテーマは、ひとつの書き方がスタイルとして確立すればずっと書き続けなくては意味がないのか?ということです。パンケーキの記事で注目記事として選んで頂いてからずっと、私は誰かに喜んで頂けるような記事というものを目指して書いてきました。 けれどもその一方で、自分の書きたかった記事というのをなかなか書くことができなくなりました。それまでの好きなことを書いていたのがスピカらしさとするなら、それ以降は誰かを意識して書いている私が新しいスピカらしさに代わってしまったのです。 そ

あなたがここにいてくれるだけで

今日少し嫌なことがありました。気分転換にと家族と話してみても全然変わってくれないので、思い切って街に出ました。ぶらぶらといろんなお店を覗いて、意味もなく歩き回ってそのへんにあったラーメン屋に入りました。 お昼時を既に過ぎていたのでお店はがらがらでした。コロナ禍ということでむしろこれは好都合かもしれないと思いながら、とりあえずそのお店で一番人気だというラーメンを注文してみました。 そして待っている間、ぼんやりと店の中を見回しました。店内には私のほかに5人のお客さんがいて、年

ネガティブな記事を書きたいとき

ポジティブな内容を書いた記事が自分にとって一番投稿したいものとは限りません。あなたは「こんな記事を公開したら嫌われるかもしれない」という怖れに直面したことがありませんか。 私は同時進行でいくつも記事を書いているので、投稿するか決めるときは複数のうちから一つ選ぶことになります。その基準をどこに持って行ったらいいのかでいつも迷います。 今の気持ちを一番表した記事。知っていることを誰かに教える記事。自分でもうまく書けたと思う記事。誰かを励まそうとする記事。世の中に対して言いたい

あなたに100回スキを押したい

たまに100回くらいスキを押したくなる衝動に駆られることがあります。そういうときはどうしたらいいのでしょうか。その感動を伝えることが出来れば一番いいです。普段からnoteを書いている以上、そういう言語化自体は比較的得意のはず……なんですが、なかなか難しいことがあります。 今回はそんな感じで、私の実体験を元にこの大きな問題について考えていこうと思います。ちょっと変なノリの記事ですが、よろしくお願いします。 1、語彙力が機能しなくなる余すところなく感想を伝えるだけの技術が自分

誰を主役にするかでエッセイは決まる?

一つのテーマに沿って書いていく。そんなことを私は創作でやってきました。ひとつの作品の中で訴え続けたいテーマだとか、最終的に見えてくるテーマだとか。魅せ方はたくさんありました。 勉強していく中でエッセイとは「このテーマを一番印象的に見せるのなら」ということを考え、テーマを主役にする感じなんだろうかと感じたのです。 まずは分析から入ってみる「エッセイを書かなくては」と気負いするようになって思ったことは、自分をよく見せたいという気持ちとはまた違った感情なのだなということでした。

noteを投稿する瞬間には何かが起きる

自分の一番のファンが自分自身であれたら、これほど心強いことはありません。他の人のためにと書くnoteであってもそれは同じです。 おそらくここにいるほとんどの方が、「よし、書けた!投稿しよう」と思ったときの達成感を知っているのではないかと思います。 「自分の一番の味方が自分であるといい」そんなことをよく聞きます。確か基本的には自己肯定感の考え方だったと思います。けれども、それは実はこのnoteにて活動をしているあなたにとっても関係があることです。 謎の自己肯定感あなたは自