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ネタバレあり・東京生まれ現役編集者の『花束みたいな恋をした』 感想

 映画の感想をこういう場所に書くのはおそらく20年ぶりくらいになる。最後に書いたのは、高校生から大学生の頃にかけて運営していた謀反人養成所という恥ずかしい名前のブログで、そこには、読んだ本の感想や観た映画や舞台の感想を書き散らかしていた。その後、社会人的コンプライアンス意識によってブログを閉じた私は、特定の作品への個人的な感想はすっかり書かなくなった。仕事仲間と面白かった作品についてはいくらでも語れる時間が作れるようになり、感想を書く必要性を感じなくなったからだ。

 しかし、『花束みたいな恋をした』の感想は書きたくなった。もちろん近しい友人と、作品について語る機会もすでにあったというのに。

 映画の冒頭から、涙が止まらなかった。観た後も、思い出しては泣き、パンフレットの三浦しをんさんの文章が極上で、読んではまた泣いている。

 あんなすてきな恋なんてしていない。本や映画の趣味が合う彼氏なんて存在しなかった。それでもかつての私、約20年前の私は絹ちゃんだった、と思えた。そして劇中で冴えないようでいてしっかりとキラキラしている有村架純さんを観て、絹ちゃんよりずっとずっと見すぼらしかった青春時代を、なんだか祝福してもらえたような気になって、泣けてしまったのだった。過去の痛みを思い出した人もいるみたいだけれど、私の場合は逆だった。花束をもらった気持ちになった。

 大学のほど近くにあった名画座というレンタル屋でビデオを借りては、アンテナに繋がっていない自室のテレビデオで映画を観た。シアターコクーンのいい席が買えなくて、立ち見で行って貧血になった。自由が丘の行きつけの本屋さんでミステリーの新書を発売日に買って読むのが楽しみだった。ベッドは本まみれで汚くて、毎晩本に埋もれて寝ていた。中目黒の川沿いのバーで、桜も見ずに友達と明け方まで嫌いな音楽と小説の話でもりあがった。実家住まいだったので、門限は12時で、毎回大急ぎで深夜の居酒屋を出て駅までダッシュした。そういうどうということのない記憶の一つ一つが、実はすごく鮮やかな瞬間だったのだ、とこの映画は気付かせてくれたのだった。

 観賞後、何人かと語る機会も得た。どうやら本作は観た人をお喋りにする魔法を持っているらしい。ポジティブかネガティブかには分かれるものの、みんなが自分の物語として語っているのには驚いた。私の交友関係は極めて限られている(文化系・東京住み・2、3、40代)のだが、それにしたって高確率すぎた。そして私たちには、まだまだ語りたいテーマは尽きない。

 私の目下の興味は麦と絹が別れずに結婚する道はあったのか、というところだ。住む場所や出会ったタイミングが違えば、という考察をいくつか目にし、説得力を感じたけれど、私はあえて、3枚1000円を呑まなければ、説を唱えたい。麦くんが結果的に選んだ生き方が悲しいなんてこれっぽっちも思わないけれど、もう少し他の人にプレゼンをする勇気と機会があったら、とは思わずにはいられない。ただただ、才能がある人が、才能を見つけられないで沈んでいくのは、悔しい。それはもしかしたら、東京に実家があり、上京したことのない人間の、呑気すぎる意見に聞こえてしまうのかもしれないけれど。

 せめてそう思われないような仕事をしよう。私は、できる限り才能を見逃さないように生きていきたい。自戒もこめて、そんなことを思った。

 

 ここからは余談です。絹ちゃんの持っていた文庫カバーが、おそらく私の行きつけだった自由が丘の自由書房(現在は閉店)のものだと思うんですけど、同じこと思った人いませんかね…? 毎日レジに立ってらした、背の高いオーナーのおじさん、元気にしてらっしゃるかな。ハヤカワ書房と講談社ノベルスの品揃えが豊富で、大好きな書店でした。


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