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学問ノ強制廃止令

図書館に行くと勉強をしている学生をよく見かける。今日隣にいる学生は机に共通テストの参考書があるからおそらく高校3年生だろう。彼は頭を掻きむしったり数分おきにスマホをいじったりと終始落ち着かない様子。どう良く見ようとしてもとても意欲的に勉強に取り組めているとは言えない。それなのに彼はペンを持って問題集と睨めっこする。僕自身も学生時代、学校のテストがあるから嫌々勉強をしなきゃいけないことがよくあった。テストで点を取るために教科書を読むのは苦痛でしかない。テストで点数を取るために用語を覚えるのは苦痛でしかない。苦労しながら問題を解き、解いた後もテストで点を取るためにやっていると思ってるもんだから解けてもさほど喜びは感じなかった。

社会人になって間もない頃、中学、高校の数学を復習する機会があった。その時は当然テストが控えているわけでもなく単純に興味が湧いたからやってみただけだった。いざやってみると、問題が解けるたびに次の問題が解きたくなった。展開ができたら因数分解、その次は二次方程式のようにどんどん単元を追っていった。

そのときの気持ちはさながらゲームをしているときのようだった。

数学の単元はステージだ。そのステージをクリアしたらより難しい次のステージに進みたくなる。するとそのうち解の公式なんていう魔法の道具を授けられる。これさえあれば大抵の二次方程式は解けてしまう。こんなの楽しいに決まってる。

なのになぜ学生だった当時はこの喜びに気づけなかったのか

それは間違いなくテストという存在があったからだ。

ポケモンをしてても最後に直接自分の人生に関わる試験をさせられることはない。
捕まえていないポケモンがいたところで成績を低くつけられることはないし、ジムバッチ5つ集めたところでソフトをGEOに売ったところで大学の単位を落とし、卒業が1年遅れるということはない。

たまに親世代の意見として
「うちの子は音楽やスポーツの才能がないからせめて勉強ができないと将来食べていけるか心配」
「勉強さえやっておけば将来安泰だぞ」
といった声がどこからか入ってくる(主にテレビ)。

なんでこんなに食料が大量廃棄されている時代に勉強ができない人は食べていくのに苦労しなきゃならないのか?学校の成績に生殺与奪の権利を与えるほど今の世の中貧しくはないだろう。

つまるところ、勉強の出来不出来を将来の自分の生活に直接反映させる今のシステムが勉強をつまらなくさせているのではないだろうか。

順番が逆なのだ。テストのために勉強するのではなく、勉強してて腕試し程度に試験やら検定やらを受ける。これならちょっとはやりがいがありそうだ。

そうなればテストを強制する(より正確に言えば、学校に通ってテストを受けなければ社会的に不利になる)ような仕組みを変えなくてはならない。

そしたらみんな勉強しなくなるというのが反対派の常套句だが、さっき言ったように、強制されなければ面白がってやる子が増えるだろう。それでも勉強が嫌だという子は他に好きなことを探すように促せばいい。

勉強は趣味でやるべきだ。もっと遊びのようにやるべきだ。

こんなことを書いているうちに彼は参考書を鞄に仕舞い、図書館から足早に去っていった。

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