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【小説】#32 怪奇探偵 白澤探偵事務所|黄昏る人影

あらすじ:白澤からお使いを頼まれて外出した野田。用事が済んだ後、住宅街を歩いていると不意に人影が見えてしまい――。

シリーズ1話はこちら!

 歩くたびに冷たい空気が頬を撫でる。
 日はすっかり沈んでしまい、薄暗い住宅街を早足で歩く。暗いと不思議と寒さを強く感じる気がする。冬至を過ぎれば日も伸びていくだろうが、まだしばらく先だろう。
 白澤さんにお使いを頼まれて依頼主の家に行って物を預かってきた。簡単な用事だったが、外を歩いている間にすっかり体が冷え切ってしまったのだ。
 依頼主の家から最寄りの駅までは歩いて十五分ほどかかる。タクシーを使ってもいいと白澤さんに言われてはいたが、住宅街にタクシーを呼ぶのも目立って悪いような気がして歩くことにした。何より、歩いているうちに体も温まるだろうと思ったのだ。
 住宅街を歩くと、様々な生活の様子が見える。今まさに夕飯を作っている家であったり、見ているテレビなり動画なりの音が窓から漏れている家であったり、色々だ。生活の様子が見えると早く家に帰りたくもなって、自然と足も早くなる。
 電灯と電灯の距離があるからか、周囲は思いのほか薄暗い。住宅街であるなら車や自転車が通ることもあるかもしれない。存在に気付かれずにぶつかる、なんてのもなくはないだろう。スマホの充電が十分残っていることを確認してからライトを点けた。
 明るくなると、不意に視界の端に何かが見えた。
 何があるのだろうと、特に考えもせずにそれを見てしまった。
 ぱっと明るくなった住宅街の中、古ぼけた塀に沿って俯いた人たちが列を作っていた。
 思わず声が出るところで、慌てて目をそらした。時折、見えなくてもいいものが見えてしまうことがある。気づかなければよかった、ということもある。この目のせいなのか、そういうのに気が付きやすいのかもしれないと白澤さんに言われていた。
 速足に通り過ぎてから、バス停だったかもしれないと思い至る。それだったら何もおかしくない。勝手に驚いて訝しんで申し訳なく思いながら、確かめるために振り向いた。
 暗い道に、薄ぼんやりと人影が並んでいる。そこにバス停はなかった。ただ、年齢も性別もばらばらの人影が俯いたまま塀に沿って立っている。
 何も見なかったことにしよう、と前に向き直った。速足にその場を離れる。何を見てしまったのかわからないままで、背中に嫌な汗をかいている。体を温めるどころではなくなってしまった。
 ライトとして使っていたスマホが急に震えて、さすがに喉の奥から声が漏れた。
 白澤さんからの着信だと気付いて即座に出る。知っている人の声を聴きたい気分だった。
「……野田です。白澤さん、すごいタイミングで電話かけてきますね」
『何かあった? ああいや、急いでるんだった。野田くん、まだ電車には乗ってない?』
「今駅に向かってるところですけど……」
 駅は近づいてきている。住宅街はまだ続いているが、視界には駅前の明るい通りが見えている。
『駅前に和菓子屋さんがあるのだけど、そこにお餅をお願いしていたんだよ。それもついでに受け取って来てくれるかな?』
 伝えるのを忘れていたという白澤さんのお願いがあまりにささやかで、つい笑ってしまった。
「それぐらい、全然です。受け取ったらすぐに戻ります」
『ありがとう。待ってるよ』
 電話を切る。もう後ろのことは気にならない。事務所に帰ったら早速餅を焼こうかなと考えながら、和菓子屋へ急いだ。

「ただいま戻りまし、た……」
 事務所のドアを開けた瞬間、白澤さんが待っていて驚いた。白澤さんは俺と入れ違いに外に出て、すぐに戻ってきた。外に用事があったというより、俺を待って何かをする必要があったという感じだ。行動の意味がわからないまま立ち尽くしていると、白澤さんが微かに目を細めた。
「野田くんと電話してるとき、後ろの方で何だか嫌な声が聞こえてね。野田くんには聞こえていなかったみたいだから、もしかしたら着いてくるかもしれないと思って待ってたんだ」
「……じゃあ外に何か居るんですか?」
 白澤さんは黙って微笑んでいる。俺は唖然としながら事務所のドアを見つめていた。ドアは、音もなく揺れている。外から誰かが叩いているかのように。
「放っておいて大丈夫だよ。誰かに着いてくる、という性質のものだからね」
「何かあるわけじゃないんですよね?」
「お餅を焼いてるうちに元の場所に戻るさ」
 気にしなくていい、と白澤さんが言うからにはそうなのだろう。あまり気にしたままでいるのもよくないし、俺も気にするのはやめた。いや、やめるように努める、というのが正しいかもしれない。
「……磯辺焼きでいいですか?」
 白澤さんがにっこりと微笑む。ただお餅が食べたくて急かしているんじゃないだろうかと思ったのは、胸に留めておいた。