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音楽の刃物

中間報告ラジオ(2024.5.16)

今日はね、ブロッコリーが食べたかったんです。
でもね、最近ブロッコリーが高いんです。
つい2ヶ月くらい前にブロッコリーラッシュがあったらしく、そのときは安かったんですが、今はサイズも含めて考えるとラッシュ時の3倍くらいの値段になってる。
悲しいね。
と思ったら知り合いが「ハナマサの冷凍ブロッコリーがいい」と教えてくれたので、今日のつまみはブロッコリーのアンチョビ炒めです。

もっと丁寧に盛り付ければよかった……なんて微塵も思ってないのよね

というブロッコリー話には一切触れぬまま今日のラジオは終わりました。

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今日のラジオでは「ちょうどいいイキり方」なんかについて話しましたね。
謙虚すぎるのも、尖りすぎるのも、よくない。
よくないというか、相手を遠ざけてしまう。
自分の良いところを、「ちょうどよく」プレゼンする能力、という意味でのイキり。という話でしたね。

高校を卒業してアメリカの音楽大学に進学した私ですが、最初は演奏・理論などをメインに勉強をしていました。
しかし高校の時に芽が出た作曲欲に火がついてからは、段々と勉強の比重が作曲に傾いていき、最後は演奏家ではなく作曲家の先生のレッスンだけを受けていました。
そして何を間違ったか、現代音楽やら電子音楽やら前衛音楽やら、世の中の人たちには到底好いてもらえるはずもない、いや、毛嫌いされる音楽ばかりに手を出してしまったんですね。
それが偶然か必然なのかは、とりあえず置いておきますが。

そしたらまぁこれが楽しくて。
耳ざわりが面白い音を作ることの快感。
ノイズが目の前に立ち並ぶことの興奮。
無音が意味を持つことの悦楽。
こんなものに気づいてしまっては、もう後には引けない。
同じような音楽が好きな仲間たちとともにどんどん思想を尖らせていったわけです。
数年かけて研いだ音楽観は、それはそれはキンキンに尖っていた。
切っ先がいやらしく光るようだった。

そんなこんなで大学を卒業して日本に戻って来た私は、学びに守られた場所から世間に放り出されたわけです。
そして一般に聞かれている音楽に改めて耳を傾けてみる。
そして若さに任せて批判をしまくった。
「つまらない」
「こんなの音楽じゃない」
「本当の芸術を知ってるやつはいないのか」

今でもこういう考えが自分の中にないわけではないが、あの頃は本当に尖っていた。
自分の発言が人を傷つけ得るという感覚が、とにかく鈍かった。

そして帰国して3年半が経った2022年1月。
育之介から連絡があった。
「映画を撮ったから音楽をつけてほしい」

好き勝手に音楽の刃物を振り回すだけでは許されない。
寄り添う対象があって初めて成立する音楽。
観る人に届けたいメッセージの、一端を担うこと。
しかし世間に迎合するだけではいけない。
自分の尖った部分を殺さないままに、良い音楽を作ることの難しさを知った。

今はありがたいことに温かい応援をいただきながら、多方面に広がる楽曲を制作している。
まだまだ勉強中です。
謙虚に邁進していく所存でございます。

ま、あくまでマイペースにね。

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