美穂

身体に複数の病を背負い、 闘病しながら綴っています。 note記事の更新は 不定期で…

美穂

身体に複数の病を背負い、 闘病しながら綴っています。 note記事の更新は 不定期で 決して多くはない頻度ですが、私の闘病生活を 応援しながら 読んでくださると嬉しく思います。

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    他のクリエイターさんたちの心揺さぶられた記事たち。

最近の記事

病の果てに

今年に入り、3月以降の私には明るい出来事が多かった。 離婚・闘病ということから10年以上に渡り、遠のいていたキリスト教会へ行って、牧師先生に励まされ「これからは、しあわせな道を歩く」と決意できたり、体調を整えて出掛けてカメラを趣味にすることを見出したり、順調に回復の途上にあるかのように思えていた。 しかし、ここしばらくnoteに記事を投稿していなかったのには、異変が起きたからだ。まずは身体の病の悪化。あんなにも楽しくドライブにまで行けるようになっていたのに、急激に容態が悪化

    • 虚無感と悲しみの「母の日」

      毎年、この日が来るたびに、深い虚無感と悲しみに襲われる。 一人息子が消息不明となってから幾年が経っただろうか。 確かに、生んだはずなのに、消えてしまった我が子。 今現在の私しか知らない人は、私に子供が居たことを知る由もなく。 だから私も、まるで子供なんて生んだことも育てたこともなかった顔をして平気なふりをして過ごしているけれど、さすがに「息子の誕生日」と「母の日」は穏やかではいられなくなる。 ブルー・マザーズ・ディ。悲しみの母の日。 私もあの子の"母"だったのに…… 一

      • 獄中からの手紙、無力だった私

        その人に私は心、寄り添えずに終わってしまった。 「その人」というのはA刑務所服役中の受刑者の男性Bさんだ。 少し前まで、某NPO法人に属して「刑務所ボランティア」をしていた。ボランティア内容は、刑務所で服役中の受刑者の方との文通であった。 活動を始めるにあたっては厳しい審査があった。それらをクリアして初めて、受刑者の方を紹介される。ただし、この活動は、もちろん、交際相手探しとは全く異なるので、自分では「こういうタイプの受刑者の方とやり取りをしたい」という選択はできない

        • 超大型連休中!

          旅行の予定もなければ、 イベントがあるわけでもないのです。それでも、というのか それだからこそ『精神的リフレッシュ休暇』と題して 様々な事柄やnote投稿を、お休みしています。 この超大型リフレッシュ連休を 終えたら、また、よろしくお願い致します✌ 2024年5月1日(水) 美穂

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          地上100センチメートルの世界から

          カメラを手にお散歩することがグッと増えた。 これは私にとっては画期的でレボリューションともいえる出来事だ。 なぜかといえば、病の身になり闘病生活を送るようになって10年。 ほとんどが"寝たきり"に近い暮らしだったからである。 そんな私が闘病11年目にして、立ち上がったのだ。 寝たきり生活にピリオドを打つべく、カメラを持って出掛けるようになったのだ。ただし、あくまでも車椅子でのお散歩である。 私はまったくの自力歩行ができないわけでもないが、歩くことは容易ではない。ゆえに、車

          地上100センチメートルの世界から

          恋人の条件

          先週末、デジタルカメラを片手に植物園へと出掛けた。 出発は朝9時半。 植物園までは、さほど遠くはないのだが、 ドライブ途中ですでにお腹がすいてしまった。 「ねぇ、あたし、お腹すいたよー!コンビニで車を停めてよォ」 パートナーであるKさんは道中でセブンイレブンを見つけると 私にスナック菓子とおにぎり2個を買って来てくれた。 彼は「まるで遠足だな」というようなことを言って笑っていた。 買ってもらったおにぎりを、私は大きなクチを開けて頬張る。 目的地へと再び車は走る(運転手はもち

          恋人の条件

          もう一度、新しい人生を!

          デジタルカメラに再び挑戦している。 カメラは、パートナーであるKさんからの贈り物だ。 これをいただいたときには、とても抵抗感があった。 カメラを手にすることに対しての抵抗感だ。 というのも、以前(2023年12月18日)に noteに『運命の恋』という記事で書いたが 遠い昔々に交際をしていた男性が プロ・カメラマンだったからだ。 その人と交際していたときに 私は彼の話し相手になれるようにと、 少しばかりカメラをいじった経験があった。 カメラ・スクールに通い、自宅ではフォトマ

          もう一度、新しい人生を!

          しあわせのイースター・エッグ

          2歳半の幼少のころから、「日曜学校」に通っていた。 日曜学校とはキリスト教会の牧師が校長先生となり、毎週日曜日に開催する子供会のことである。 このnoteには昨年の12月に、私が「日曜学校」に通い、クリスマス・スピリット(キリスト教主義)を胸に抱いていることを綴った。 日曜学校に行き始めたのは保育園がミッション系だったからだが、小学校も卒業する頃には自分の意思で礼拝へと出席するようにもなった。 そして中学一年生で洗礼を受けた。 大人になってからは、会社員の経験を経たのち、

          しあわせのイースター・エッグ

          春はリ・スタート

          1週間ほどの間、noteを 開くこともできないほど めまぐるしく過ごしておりました。 体調と相談しながら そして時間をやりくりして お花見に行ってこれました。 パートナーであるKさんに 車椅子を押してもらいながら 近くの公園内を一周り。 満開の桜を見ながら 「春は人生のリスタートにふさわしい季節かな」なんて思ったり。 noteを休んでいたこのごろは その「人生のリスタート」の 土台を作り直していました。 機会あらば noteにまたあらたに記事として そのことを綴りたいとも

          春はリ・スタート

          酒飲みについての一考察

          私もイイ歳になるが、生まれてからこのかた、ビールを飲んだことがない。だからといって「あ、じゃあ、日本酒のクチね」というわけでもない。 じつのところ日本酒も飲んだことがない。 ワインやカクテルを口にしたことがある程度だ。しかもグラスに少しだけの程度である。 つまり、私はお酒というものをほとんどまったく知らないのだ。 先入観がある。 「飲んで酔うとどうなるのかが怖い」といった気持ちからだ。 では、これまでお酒の席に連なったことがないかといえば決してそうではない。学生時代はコンパ

          酒飲みについての一考察

          居場所を探して

          縁もゆかりもない場所で、闘病の身となった。 もう帰省しようと思っても身体がいうことをきかない。 もっとも、実家の母から 「離婚歴があったり、なおかつ病身の娘とあらば、世間に恰好がつかない」 と言われているので実質は「帰省するな」と釘を刺されているようなものなのだ。 両親から愛されることなしに育ち大人になり現在に至ることは、このnoteでも綴ってきた。私は今、住んでいるこの街で奮闘中であることも綴ってきた。 二週間ほど前に、母からまたしても不意の電話。 その電話越しに放たれ

          居場所を探して

          恋は直球ストレートで

          少し照れくさそうな顔の彼が、私に手渡してくれたのは洒落たルージュ。 それはホワイトデーの贈り物。 ルージュのパッケージには『恋の駆け引き』と書いてある。 彼にそのことを言うと面白い名の口紅だねと微笑んだ。 どうやら彼はパッケージを見ないで買ったらしい。 恋の駆け引きだなんて難題だわ! そもそも”駆け引き”だなんて、 どうやってしたらいいのかわからない。 早速、彼に相談。 「ねえ。恋の駆け引きってどうしたらいいのかしら」 一晩中、その話題。 彼は笑って「美穂ちゃんは誰と恋

          恋は直球ストレートで

          2011年3月11日の十字架

          あの日、私がどこで何をしていたのか。 あの瞬間、私は何を思ったのか。 そして、どうしたのか。 誰かに聞いてほしくて だけど 誰にも話せなくて 13年の歳月が流れた。 たったひとつ言えることは 私は被災していなくて 今なお生きながらえている。 消えない十字架を背負いながら。

          2011年3月11日の十字架

          LIFE

          複数の身体の病のために闘病中の私です。 今週の半ばに大学病院で点滴注射を二種類、打ちました。 副作用もあって具合が思わしくなく臥しています。 ドクターからは「これだけ治療しても一向に良くならないのはもっと他にも病気がひそんでいるかもしれない」と言われました。 言葉にならないうめき声と共に、 今、私は、自身の”残された人生”の使い道を考えています。 noteで繋がってくださっている皆さんの記事も読むことができない状態であることごめんなさい。

          闘病する、ということ

          病に倒れる以前、私はとても行動的な人間だった。 様々な事柄に挑戦もしていた。 仕事に必要だったことなどもあり、幾つもの資格を持ち、国際ライセンス資格を有していた分野もあった。 しかし闘病の身になってからはそれを以って活躍する機会は失われてしまった。 さて半月ほど前に ふとしたことから、関心のあるセミナー開講を知った。 どうしてもそのセミナーに出席したくて問い合わせると、ワンデー講座なので、朝から晩までの受講だとのこと。 この時点で絶望した。 臥しているか、或いはデスクに

          闘病する、ということ

          「生きる」

          パートナーであるKさんが、ある日、突然、言い出した。 「俺は作家になる」 それから数日後。 「公募しているものにエッセイを出して応募するぞ」と早速に作品を書いたというので、ちょっと見せて欲しいとお願いし彼の原稿を覗いた。 Kさんらしい言葉遣いの文面に、うんうん、なるほどと頷きながら読み進めた。その原稿の途中から私は、えっ!と思った。 なぜならば原稿用紙には明らかに私のことが記してあったからだ。 Kさんはエッセイ記事の中で私を”妻”と紹介していた。 このnoteでご存知

          「生きる」