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禅の考え方を、多くの人に分かってもらいたいと思っています。

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    2週間に一度記事をアップします。 禅の世界で言われる言葉には、含蓄のあるものが多くあります。そのような言葉をアップしていきます。

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生き方を極める

本書を読み進むにあたって、基本的なことがらを知っておくとよいものがあります。 まず、私たちが目の前にあるものを見聞きし感じ取っているものごとは、時間とともに変化しているということです。ものごとは変わっていき、恒常なるものは無いと実感できます。固定的な姿・形(相)が無い、あるいは固定的な実体が無いと言い換えてもいいでしょう。そのように、常なるものは無いということを、「無常」の真理と言います。 次に、私たちは目の前にあるものを見聞きし感じ取っていますが、それは「自分自身(自己)が

    • 修行して悟り、利他する #禅の言葉

      修行のスタートは、「この世の中に真実の道は一つしかない」と信じて分別を無くしていくことである。悟って、そしてさらに悟後の修行で、世の内実と外観ともに仏の現成としてありのままに捉えるようになる(得悟)。それができるとさらに、衆生済度(垂手)行じて行くのだ。 一句に三句を明かし、三句に一句を明かす  禅の究極のところを表す一句を三句で明らかにし、逆に三句をもって禅の究極を明らかにする。要するに、一句だろうが三句だろうが、それぞれが独立して明かしていく。いわば、言語、思慮の及ばな

      • 「あざと可愛い」の現代的な意味(921)

        「あざとい」と「可愛い」を合わせた「あざと可愛い」は、一般的には抜け目なく可愛く魅力的に振る舞う女性のことを意味します。男性から女性にアプローチする時代から、女性もまた男性にアプローチするのがありうる時代になってきています。  [注]  「あざとい」は「小聡明い」と書き、図々しく抜け目がないこと。     「可愛い」(かわいい)は、愛らしく魅力があること。 ここで、「小聡明い」は「聡明」が入っているように、本来は(人格にすぐれ)賢い・利口という部分があるということです。そ

        • できるだけアクティブに学ぶのが望ましい(920)

          私達が新しいことを学ぶ場合、いろいろな方法があるのですが、それを体系的にまとめてみたいと思います。まずは、大別すると次のような順で学んでいきます。 1.何を学ぶかを決めて、個人で学び始める(概要・予備知識を得る)。 前提としては、対象分野における必要スキル一覧を作っておくようにする。 対象分野における自己能力の棚卸しをして、自己診断をする。 2.概念的・体系的に学ぶ。 基本的なことや入門レベルのことを、書籍などを通して入手する。 個人に依る先行学習。

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          赤子のような心を何と呼ぶか

          「大人(たいじん)は赤子(せきし)の心を失わず」(『孟子』)ということばがあります。素晴らしい徳のある人は、赤子ないし幼児の純一な心を失わない人という意味です。生まれたままの純粋で清浄なる心を持っているのです。 このような言い方は、色々な世界で言われています。キリスト教では、「赤子のような心でなければ神のもとに召されない」と言いますし、禅では「赤心片片(せきしんへんぺん)」と言います。 「赤心」は真心とか誠意の意味で、片片はひとつひとつの断片という意味ですが、赤心は見返り

          赤子のような心を何と呼ぶか

          真の自己は智不到と言える #禅の言葉

          心(しん)とは、全てのものが常に活動・変化し続けていることを表す語であり、真の自己とか本来の面目とか仏心などと言う。「全てのものが常に活動・変化し続けていること」と言葉にしても、すぐ変化してしまうのである。いわば、知恵や知識で到ることができない処(智不到)が「心」ということだ。 智不到の処、切に忌む道著することを  知恵や知識で到ることができない真如を言葉で表現しようとしてはならない。「智不到」は「人間の能力を超えた処」(本常の理ともいう)であるから、素直に頂くしかない。

          真の自己は智不到と言える #禅の言葉

          社会人としてどのような能力を身につけるべきか(919)

          皆様は、新入社員のときには必死で仕事に慣れようとしていたと思いますが、慣れてきてからの自己実現について考えことはあったでしょうか。もちろん、入社後10年20年たっても、自分の脳力を高めようとしている人はいると思います。リカレント教育という言葉があるように、改めて学び直すという機運も高まっています。 そこで、どのような分野を学び直そうとするのかを考える参考情報を示しておきたいと思います。 学び直す対象分野は、経済産業省が2006年から提示している「人生100年時代の社会人基

          社会人としてどのような能力を身につけるべきか(919)

          多くの人が持っている八つの誤った見解

          私たちが陥りやすい見解(考え方)には、八つ(グループとしては四つ)ほどあります。別に八つだけに限定することもないと思うのですが、昔から八つと言っていますので、まずは八つについて考えてみましょう。 [生と滅] 生じるとか滅するというのは、いわば始まりと終わりを言っています。始まりと終わりがあるということは、その間に変わりゆくものがあると考えられます。敷衍すれば、生も滅もまた変わりゆく一形態なのです。 このことを仏教では、「諸行無常」(全てのものは、常なるものは無くして変わっ

          多くの人が持っている八つの誤った見解

          どのようなものを、どのように学んでいくか(918)

          人間は、生まれたときには本来平等なものであり、優劣とかの差異はありません。しかし、生後の長き時間にわたって生活していくにつれて人格とか能力において差異が出てきます。いったい、なぜ差異が出てくるかといえば、「どのような教育を受けるか」によるのです。それは、家庭内教育、学校教育、職場教育によるのです。 では、どのようなものを、どのように学ぶことによって差異が出てくるのでしょうか。 まずは、年齢・成長とともに教えるものがあります。幼児教育、小・中・高・大学校教育がそれです。

          どのようなものを、どのように学んでいくか(918)

          文言へのこだわりが執着ということ #禅の言葉

          私たちの周りに起こっていることは瞬間の姿であって、常に変化していると知るべきだ。諸法に常なるものは無く、無自性・空である。このことを、「一切の相を離れて一切の相に即す」と言う。 百尺竿頭(かんとう)に歩を進めて、十方世界に身を全うす  文言などにこだわらずに、高い竿の頂上からさらに一歩を進めて全世界に全身を発露する。自分の仏心・仏性に身を任す。 無住の本より一切法を立つ   『維摩経』に、「あらゆる存在(一切法)はよるべき基底がない(無住)」と記している。『六祖壇経』では

          文言へのこだわりが執着ということ #禅の言葉

          企業が求める人材像とは(917)

          経団連では長きに渡って、大企業に対して「新卒採用に関するアンケート調査」をしています。その中で、期待する資質や能力に関するものがあります。2021年度の調査結果をもとに、大企業が新卒採用で求める人材像を考えてみたいと思います。 特に期待する資質: 「主体性」「チームワーク・リーダーシップ・協調性」がかなり高い。    1. 主体性(84.0%)   2. チームワーク・リーダーシップ・協調性(76.9%)   3. 実行力(48.1%)   4. 学び続ける力(36

          企業が求める人材像とは(917)

          偏らない生き方

          「智に働けば角が立つ」という言い回しがあります。理知(理性や知恵)だけで割り切っていると他人と対立してしまうという意味です。では、どのようにすれば良いのでしょうか。今回は、偏らない「中する」ことについて、昔から言われている「中庸」と「中道」について考えてみたいと思います。  「中庸(ちゅうよう)」とは、どちらにも偏らないことが、国家や組織がとるべき道、すなわち世の定理としています。 ・儒教では、偏らず極端では無いことが道徳的に好ましいと言う意味。 ・アリストテレスは、過剰と

          偏らない生き方

          人間の性格を大別すると4グループとなる(916)

          人間の性格を分類する方法として有名なものに「ビッグ・ファイブ」があります。開放性、誠実性(勤勉性)、外向性、協調性(調和性)、神経症傾向(神経質)の特性があるというものです。これは、現実の実験データというよりも、いろいろな議論を元にまとめ上げたものです。 ビッグ・ファイブを組み合わせると別のグループ分けができるという結果があります。ノースウェスタン大学による150万人の調査結果(2018年)で明らかになりました。それらは『平均的』『おとなしい(慎ましい)』『模範的』『自己中

          人間の性格を大別すると4グループとなる(916)

          悟っていない時には何かに付いている #禅の言葉

          悟っている人と悟っていない人の差は、「何かにこだわっているかどうか」にある。悟っていない人のことを、死者を例にして「依草付木(えそうふぼく)」と表現する。「死者の霊魂が中有(ちゅうう、死後の四十九日間)の間、草木に依(よ)り付いて精霊となること」と言うのだ。これは、別解として「修学者が悟りに至らず、文字、言葉にこだわって迷う」と解釈する。  [参考] 盂蘭盆(うらぼん)= 7月15日を中心に祖先の冥福を祈る仏事。 霊衣掛けざる時  例えとして、霊衣(中国の白い喪服)を着て

          悟っていない時には何かに付いている #禅の言葉

          パーソナリティを形成するもの(915)

          ある人のパーソナリティ(人格)とは、環境に対して、その人独自の適応(言動などに出てくるもの)を決定するような心理のことを言います。パーソナリティを表す語句には、次のようなものがあります。  人格  行動の主体。      自分の意志による行動に対して道徳上の責任を受け止める主体。      知・情・意の全体的な統一性をあらわす。  性格  心理学の面からは、パーソナリティ(人格)と同義だが、      一般的に情意的な側面をさす。      習慣化されて作られていくものと、

          パーソナリティを形成するもの(915)

          現代につながる禅宗の根本的教え

          禅宗は、中国禅を経て日本で盛んになった教えです。基本的修行形態の一つである坐禅は、精神修養として欧米でも多くの人が参加しています。 禅の根本的な教えは難しいものではありません。その意味で、欧米にも広まっているのでしょう。以下に、根本的な教えを列挙しておきます。言わんとすることを読み取ってもらえると幸いです。 [見性成仏] 禅は、「仏は人間であり、人間を超えるものではない」を標榜する。キリスト教のように、「(人間とは別に神がいて、)神を崇拝しなさい」というものではない。自分

          現代につながる禅宗の根本的教え