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マリーゴールドの苗を植えてみると、あいみょんの「マリーゴールド」の聞こえ方も変わってくる。

市民農園に当選し、この4月から小さな畑を始めてみた。ミニトマトの苗を植えたり小松菜や水菜の種を植えたりと、半世紀近く生きてきて初めての経験をしている。わからないことばかりで、隣の区画でテキパキと作業している人を眺めて観察したり、図書館から本を借りて勉強したりしている。先日はとなり町のJAの直売所で苗を買った。新しく何かを始めると、途端にこれまで何でもなかった景色が意味を持ち始める。好奇心を多方面に持ち、常に何かをスタートしていく生活であれば、景色や人生観も上書きされ、それは旅をしているようでもある。

先日虫よけのためマリーゴールドの苗を買った。マリーゴールドという言葉はよく聞くけど、まじまじと観たのは初めてだった。郷里の鳥取県に住んでいた頃、路上で、街角で、学校で観ていたかもしれない。実家の畑にあったかもしれない。花には全く興味がなかったし、身の回りに咲いていたとしても過ぎゆく景色の一端でしかなかった。

今日、初めてマリーゴールドの写真を撮った。マリーゴールドだとちゃんと認識して写真を撮った。数日前にラジオであいみょんの「マリーゴールド」が流れ、今までとは異なる親近感を持った。恋愛の歌だと思うけど、歌を聴いて私の頭の中に拡がるのはマリーゴールドを植えた小さな畑の光景だ。マリーゴールドはこの季節に咲いていて、だからこの曲が流れるのだとようやくわかった。

1週間前に植えた種が少しずつ発芽してきた。小さな芽が鍬で耕した畝から顔を出してきた。喜びだ。人生で初めて感じる種類の喜びと感動だ。これまでも色々な種類の感動をしてきただろうが、この新鮮な感動に清々しさを覚える。

かつて読んだ伊集院静さんの文章に、妻の篠ひろ子さんが庭の植物を愛でている様子を記しているものがあった。ふたりの間には子どもがなかったので、その愛情を植物に注いでいるようだと、そんな文章を思い出した。そしてイチロー選手がコーチまたはチームメイトから、何かに愛情を注ぐことを勧められていた記事も思い出した。イチローはいまマリナーズの若い選手や日本の高校生に愛情を注いでいる。私自身にも子どもはなく、これからも持つことはないだろうが、何かを育て愛でることで新しい自分に出会うかもしれない。これまでの私は自己愛がとても強いので、その軽減にもなるだろう。

市民農園の契約は3年。3年後、自分の考え方や世界の見え方がどう変わっているのか。撮る写真も変わるだろう。セレクトの仕方が変わる予感がある。いずれにしても生き物が、自然が相手だから待ってくれない。少しずつだけど行く行くは自分も大きな自然のサイクルの中で、循環している自然の一部としての振る舞いや思考が出来るようになりたいと思っている。



いずれ私の身体の一部となるフレンズ





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