東京ドーム
1990年の夏、8月30日。
高1年だった僕は、ひとり東京に来ていた。
「東京ドームって、何ていう駅のところにあるんだろう?」
かなり中途パンパな知識で、
人の群れに若干ビビりながらドームの外側を歩いていた。
プリンスのヌードツアー初日のことだ。
テレ朝が主催のプリンスの日本公演。プリンスはジャパンツアー5公演で、当時10億円のギャラと言われていた。当然チケットはプレミア化していた。
僕は1枚、チケットが余っていて、
「誰かほしい人に定価で売れたらいいんだけど」
そんなことを想いながら、うろうろしていたら、
ある女性が、ダフ屋からチケットを買おうとしていた場面に出くわした。
僕は瞬間的にその女性の手をサッとつかみ、「走れ!」と言って、全速力でダフ屋から引き離した。
「ごらぁ!テメー何やってんだ!」
スキンヘッドのダフ屋に思いっ切り怒鳴られたが、
「あの腹回りなら走れないだろう」と予測した僕は
気にせず女性の手をとってとにかく走りに走った。
(若さとは怖ろしいものだ)
スキンヘッドからかなり離れた僕ら。その女性に強引に走らせたことを謝り、チケットを定価で譲らせてもらった。それからの縁で、プリンスが来日する度にその女性(殿下ねーさん)と連絡を取り合っては、会場で合流したり、僕の殿下師匠の原さんとも一緒に、全国行脚したりしたのだった。
プリンスのコンサートの面白いのは、
ひとりの観客が多いことだ。
あなたもひとり?
わたしもひとり。
そんなひとりとひとりが、知り合ったり、仲良くなったりする。
同調圧力に歯向かい続けたプリンスが大好きな人たちだから、
きっとひとりの居心地の好さを感じているのかもしれない。
殿下ねーさんとは、プリンス最後の来日2002年以来、
しばらく会っていなかったのだけど。
作家の浅生鴨さんが声かけをしてくれて、
プリンスについて書きまくった「推し本」に寄稿させてもらったときに、
殿下ねーさんは突然、その本を買いに来てくれたのだった。
たまたま僕が浅生鴨さんのブースに行ってたタイミングで。
久しぶりに再会を喜び合った。
その時、聞いたのは、
殿下ねーさんの息子さんが、極真カラテの指導者をやっているそうで。
ある日、僕の書いた『格闘技医学』を息子さんが読んでいて、殿下ねーさん(母)がその本を発見して、
「ぎゃーーーーー、この本、ふたえさく君が書いたやつやん」
とプリンスばりのスクリ―ミングで驚いてくれたらしく。
その話をきいて、
「ああ、いろいろあっても、ここまでやってきてよかったな」と思ったし、
同時に
「表紙をパープルにしておいてよかった」と、意味不明の納得をいたしました。
最近は、殿下ねーさんもプリンスイベントPurple Universityにも顔出してくれるようになった。うれしいね、ありがたいね。
知り合ってから33年。
長きにわたるご縁、面白いことがいろいろある。
これからも殿下ねーさんに喜んでもらえるように、
ポップにファンキーに楽しんでいきたいものです。
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そして追記の後日談
2023/11/26 Purple University紫大学で、師匠の原さん、殿下ねーさん、3人で再会。原さんも、ねーさんも元気で、アクティヴで、嬉しかった!
PSプリンスに学んだこと、たくさん。しかもすぐ使えます。
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