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【分岐点】弟の育休と兄の一人旅

幼子のつなぎの白し夏の庭

弟作

 かみの一句を節目として、相棒の弟は、今後しばらく「育休」になる。

 我が兄弟航路は、実の兄弟二人で作品を交互に航海公開してきたが、ここで面舵いっぱいに進路を変え、弟が再び筆を執るまでのあいだ、兄の筆者が一人で航跡こうせきを描いてゆく。

 弟の第二子となる子宝が、女児として五体満足に生まれ落ちたのは、先月初旬のことだ。伝え聞いた際は、手放しで喜ぶよりも先に、自然と小さく手を合わせた。生命の誕生は、奇跡と神秘に満ちている。
 誰に似ているだとか、目の形がどうだとか、そういった話を度々耳にするが、筆者としては、ただ健やかな顔で笑っていてほしいと願う。

 姉になった上の子も、幸いつつがなく成長している。今年は、三歳の誕生日を迎えた。覚束ない言葉を少しずつ話すようになり、大人っぽい言い回しで周囲を驚かせることもある。繊細で利発な印象を受けるのは、姪っ子に対する贔屓目ひいきめかもしれないが、同い年の子と比べると、体はすくすくと大きいようだ。
 無論、育てる親にとっては、可愛い面ばかりではないだろう。三歳児は、最初の反抗期になりやすいようで、その傾向が顕著にあらわれていると弟から聞く。急に妹ができた戸惑いや不安なども、小さな胸の内にあるのかもしれない。

 家事育児といえば、かつて男は専門外だったが、今やそのようなかび臭い考えでは、よっぽど稼ぎ出して来ない限り、三行半を突きつけられる。女が偉くなったと嘆くのは、お門違いというもので、庶民的な男一人の稼ぎで家族を養えないほど、この国自体が貧しくなってしまった。金の価値は、庶民を欺くようにじわじわと下がり続け、夫婦共働きは、市井しせいの暮らしに根付いている。職業婦人などと珍しがるのは、もはや近代史とも言える過去の話だ。

 弟夫婦も、共働きで日々を過ごしている。多忙な中で、幼子を二人育てる苦労は、いかばかりか。
 暫くは、卓上の舟旅に出掛ける余裕はないだろう。大事なのは、紡ぎ出すお遊びの文芸作品ではなく、何より子供たちだ。

 そう記して思い出したのは、「子供より親が大事」という桜桃おうとうの中の一文だ。太宰治が晩年に遺したその短編は、青空文庫に無料で公開されている。

桜桃 太宰治
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/308_14910.html

青空文庫

 愛人と自殺する前の、虚実混交の作品に違いない。読み返したところで、妻子を見捨てた糞ったれの心情に共感などできないが、未発達な長男に思い悩む様子にはっとさせられる。終始一貫、子供より親が大事と言いながら、実際はそう思いきれない苦闘が滲んでいる。尚、親とは自分のことだ。子供より自分が大事と、強がっているようにも、弱さをさらけ出しているようにも解釈できる。
 桜桃とは、平たく言えば、さくらんぼだ。作品の結びは、主人公の父が大皿に盛られたそれを食べる場面だ。「食べては種を吐き」という言葉が三度繰り返してあるのは、三人の子供たちが吐き捨てる種に投影されているのだろう。
 なんとも、後味の悪いさくらんぼだ。

 太宰は、美貌の愛人と玉川上水で自殺を図り、六日後の誕生日に遺体で発見された。存命であれば、三十九歳になっていた。運命的と言おうか、くしくも誕生日だった為、その六月十九日が、桜桃忌と呼ばれる忌日きにちになった。さくらんぼは、太宰の好物だったと聞く。

 筆者は、三十九歳の今を生きている。現存する太宰の写真は、すべて年下になるが、鏡に映る筆者の方が、随分若く見える。言い換えれば、貫禄かんろくがない。それもそのはず、筆者には妻子がなく、大した苦労のない毎日だ。休日の昼下がりに古本屋を訪れ、気づけば日が暮れていたこともある。どれだけ夜更かししようとも、誰に叱られることもない。
 悠々自適の代償は、今後じわりと忍び寄ってくるかもしれない。或いは、山も谷もない茫洋ぼうようたる人生がどこまでも続き、安穏と終着のときを迎えるかもしれない。

 太宰は、先の短編の冒頭で、「われ、山にむかいて、目をぐ」と旧約聖書の一文を引用した。本人の胸の内であれば、険しい山と谷の道のりの果てに、祈る助けは来なかったか。

 一方で、太宰の遺した作品は、国内外の数多くの人を救ってきた。誰かの書くきっかけに繋がることも、少なくないだろう。
 読んだり書いたりする文芸そのものに、筆者も救われた口なので、例え暇人と茶化されようとも、育児の山を越えてくる弟の帰りを待ちながら、卓上の航海を続けてまいりたい。

 読者諸氏の誠実さに、改めて感謝申し上げる。

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