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「ジャイアントキリング」には、まだ間に合う

スポーツを伝える仕事を志す後輩がいて、まだジャイキリを知らないという。え、ジャイキリを知らないの?読んでないだけじゃなくて?

もちろん怒りはしない。むしろ嬉しく思う。あるいは羨ましく。
これからあの素晴らしい漫画を読む事ができて、ETUと達海の物語を体感する事ができて、そしてその物語は今、クライマックスを迎えようとしている。良かったじゃん、君は相当ラッキーだよ。

そして僕は家の本棚を前に考える、まずは何巻まで貸そうか、と。その為にはもう一度、読み直さないとな。僕は記憶力が無いから、漫画を何度でも新鮮に楽しめる。もう一度、ETUのシーズンを春からやり直そうか。

本当に君はラッキー。物語はクライマックスを迎え、もうすぐ終わろうとしている。まだ間に合うんだ。その最後に。

作者のツジトモさんが17年近くの歳月をかけて描いてきたのは、ETUと達海猛の「1シーズン」。奇跡のような物語が、もうすぐ終わろうとしている。

初めて描かれた「クラブのある日常」

「ジャイアントキリング」は、どこが特別だったのか。
そもそも今、「ジャイキリ」という言葉が(サッカーだけでなく)日常的に使われる言葉となったきっかけがこの漫画であり、サッカーを戦術や監督目線で描く漫画も、ジャイキリ前には少なかった。

大阪や川崎や名古屋や東京や鹿島。
実在のチームが浮かぶライバルチームとの激闘が描かれてきた。どの戦いもリアルで、そしてエキサイティング。
でも、63巻を積み重ねた道のりを振り返る時、愛おしいのは例えばそれは10巻のカレーパーティーだ。

主人公の監督・達海猛が大事な試合の前に、練習を切り上げて選手やチームスタッフで地域の人たちと手作りカレーを楽しむ。ワンピースにおける「宴」のような、戦いの間に挟まれたお遊びのようなエピソード、に最初は見えた。

でも違った。
クラブハウスの屋上で、カレーを楽しむ選手やサポーターを見つめながら達海は親友のGM 後藤に語る。達海が大切にしていること、そしてこの漫画が大切にしていることを。

これがクラブだよ後藤。ピッチに立ってプレーするのは11人。
でもそれだけじゃリーグ戦の長丁場は戦えない。
ベンチ フロント サポーター クラブに係るたくさんの人々。そのすべてが同じ方向を向いて 同じ気持ちで戦うんだ
それができりゃETUは もっともっと強くなる

そう。ジャイアントキリングでは、主人公の監督・達海猛やスピードスターの椿大介と同じように、チーム広報の有里やスカウトの笠野、ユースチームに通うサポーターキッズのコータの日常が魅力的に描かれる。年代の違うサポーター集団同士の対立と和解を丁寧に描いたパートがあり、そのサポーターの団結は大一番で伏線として回収される。

サッカーという文化は、ピッチの上での勝ち負けだけではない。そんな信念が伝わってくる。

作品の舞台は浅草。隅田川沿いに実在するスポーツセンターの辺りにクラブハウスは描かれる。それは本当に「そこ」にあるよう。

チームの勝敗や順位変化に一喜一憂するサポーター。敗戦の翌日には練習場に行って選手を励まして、大事な試合の前には仲間の家に集まって作戦会議。そこには「クラブのある日常」が、カラフルに描かれている。
こんなクラブが地元にあったらな。そんな気持ちになる。

(24巻のおまけで描かれる、地域貢献活動のエピソードも最高です)

怪我と別れと、フットボーラーの人生と

主人公の達海は30代半ば。10年前は、ETUのスター選手だった。しかし怪我で現役を退き、監督の道を選ぶ。
常に飄々とした佇まい。でもところどころで、若くして大好きだったサッカー選手としての人生を諦めなければならなかった「痛み」が垣間見える。

「俺、フットボールの神様にデカい貸しがあるし」

3巻、達海が日本代表監督ブランに語るそんな言葉がキーワードとなる。

怪我だけではない。基本ポジティブな物語の途中途中に、「終わり」や「別れ」を予感させる言葉やシーンが差し込まれる。
14巻。移籍に悩む選手に達海が伝える言葉。

どちらにせよ大事なのは、お前が自分に正直にいること。
ボールは丸いんだ。迷った足で蹴ったって、上手に飛ばない。
それを踏まえた上で決めろ。 
じゃなきゃフットボールを楽しめないぜ?

移籍。それは達海自身にとっても無縁ではない。達海の契約が1年であることが明かされる27巻。
快進撃を喜びながら、サポーターやチームスタッフは心配する。

「いつかまた 達海さんがここを出てっちゃう日って来ちゃうんだよね」
「有里ちゃん 誰かが去ることを心配しても仕方ないよ。それよりも大事なのは 今俺たちがかけがえのない仲間だってことだ」

この時点で連載開始から5年。物語は開幕から4ヶ月が経過した7月あたり。ホームタウンの浅草では夏の花火大会が行われていた。

僕らはこの時点でうっすら予見していた。作中のクラブスタッフのように、「ジャイアントキリング」という物語との別れを。作者は、ETUの1シーズンで勝負するつもりなのだ、と。
それが今から12年前のことだ。

そして、達海の抱えてきた「痛み」が真っ直ぐに描かれたのは30巻。

表紙には、達海がボールを蹴るシーンが描かれている。額にはたくさんの汗。「ジャイアントキリング」の白眉とも言える、この巻について語ってしまうのは反則だと思う。もしこの文章を読んで、ジャイキリを読みたくなったら、ぜひこの巻まで辿り着いてほしい。

大雑把に書けば、連敗で空中分解を起こしかけていたチームに対して達海が文字通り体を張ってメッセージを伝える。サッカーだけではない。夢を持って仕事をする人たちすべてに通じるメッセージ。
人生に迷った時にいつも読み返した。何度も背中を押された。

少しだけ、ほんの少しだけ引用する。

「俺はさ あいつらにもう1回考えてほしいんだよね
ボールを蹴られる喜びとか ゲームができる幸せとか」

「その幸せな時間は永遠に続くわけじゃないってことを」

そしていま、最後の戦いと苦しみ

2024年5月の今、物語はシーズン残り2試合。要所でETUに立ちはだかってきた首位鹿島との大一番。作中のETUも苦しんで戦っているし、それよりも作者のツジトモさんが苦しんでいる。理由はわからないけれど、長期の休載があり、再開しても掲載ペースは安定しない。

軽やかに融通無碍に、ほぼ完璧にETUのサッカー世界を描いてきた作者のツジトモさん。でも当然のことのように、それは簡単ではないのだろう。
ETUだけではない、全チームの勝敗を計算した順位表。それひとつをとってもどれだけの労力が必要な作業か。

連載が大きく止まったのは2022年の後半から2023年の半ばまで。鹿島戦が始まってすぐの頃だ。ETUは敗れれば、目の前でリーグ優勝を鹿島に奪われるし、勝てば最終節を前に首位に立つ。
その戦いを、もう2年近くも戦っている。

ジャイアントキリングは、その「1シーズン」をどういう風に終えるのか。
10年以上、読者はそんなことを頭の片隅に置きながら物語を読み進めてきた。

単純に考えれば、その選択肢は2つだ。リーグ優勝か、天宮杯(天皇杯)の2つ。でも鹿島以外に最終決戦にふさわしい戦いって?ダルファーの大阪?でも椿の親友の窪田は怪我で離脱してるしな・・・・。

リーグ戦で敗れて、天宮杯でリベンジ、もあるかも?でも休載の間隔も含めてもう、「この試合の先」はないような気もする。

鹿島戦のメインテーマは、作品冒頭から描かれてきた、レジェンド村越の「コンプレックス」の物語。(そして名脇役・殿山の物語も)
やはりこれが「集大成」の戦いのよう。

でもここでETUが勝てば鹿島の優勝を阻止できるけど、優勝のためにはあと1試合を描かなければいけない。
そもそも1シーズンを描くことに作者がこだわっていたなら、天宮杯を無視することはないような気もするし・・。
(そしてまた堂々巡り)

ここからは100%の推測だ。

作者のツジトモさんは、まだこの試合の終え方、あるいはこの物語の終わり方を決めてはいないのではないか。1エピソードずつを積み上げながら、物語がどこへ向かうのか、どのように終わろうとしているのかを見極めようとしているのではないか。

それくらいジャイキリの物語はひとつの生き物、ひとつの独立した世界であり、作者であっても支配者ではありえない。
完全な妄想だけど、そんなに遠くはないような気がする。

鹿島戦は後半残り10分。試合展開は拮抗している。僕が言いたいことは、ただ一つ。

まだ間に合う。
最高峰のサッカー漫画のクライマックスに、君はまだ間に合う。


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