【ゼルダの伝説】ティアキンのラストは「だからダメ」ではなく「あれだからいい」という話
だいぶ今さらですが、IGNのティアキンのコラムを読んだ。
内容についてはあくまでクラベさんのコラムなので特に僕からどうこう言うことはないんですけど、ラストについての感想があまりにも自分と真逆で面白かったので「自分はどう感じたか」というのを書いておきます。
結論から言うと、自分は「あの最後だからダメ」ではなく、「あれだからいい」というのが素直な感想でした。
※以下、ゲーム全体のネタバレを含みます。
「ゲームだから」納得できたエンディング
さて、ここからはネタバレ全開なので戻る人は今のうちです。
実は「真逆」とは言いつつIGNのコラムには同意できる点もあって、正直なところ、自分も途中まではクラベさんとまったく同じ考えだった。
「多分そろそろクリアだろうけど、もしこのままガノンを倒して『適当にゼルダが復活して終わり』だったらちょっと嫌だなあ……」
そんな風に思っていたし、なんなら斜に構えて「ゼルダは救われない方が締めくくり方としては自分は好きかなあ」とさえ思っていた。
んで、ガノンを倒した後のカットシーン。リンクの右手が光りはじめ、龍になったゼルダに光が降り注ぐ。光に包まれ、白龍から人間へと戻るゼルダ。ああやっぱりね。ここまでは予想通りの展開。
度肝を抜かれたのはその直後だった。
ここまで読んでる人は多分全員クリア済みだと思うのでわざわざ詳しく書いたりはしませんけど、とにかくあの「空中キャッチ」が最高すぎて、数秒前までのモヤモヤが全部ふっ飛ばされてしまった。
おいマジか。
こんなもん……こんなもん、全俺が大好きなやつじゃないですか!!!!
オープニングで掴めなかったゼルダの手を、最後にもう一度掴ませてくれるという円環の構造。
それまでに何度も出てきた「手と手」のモチーフ。
ここぞとばかりに挿し込まれるメインテーマ。
それまで幾度となく繰り返してきた「ダイビング」のアクションを、最後の最後にもう一度やらせてくるやつ!!!
これまでの旅路は全部、これをやらせるためにあったのか!!!!!!
そう思ったらもう、これまでゲーム中で「飛び降りて」きたあらゆる場面が走馬灯のように次々と蘇ってきて、「なんでゼルダが復活したか」なんて完全に思考の外へ吹っ飛んでしまっていた。
そりゃまあ、冷静に考えたらご都合展開もいいところですよ。でもそんな思考とは裏腹に、心の中では拍手喝采を送ってしまっていた。
前作同様、ティアキンもものすごく攻略自由度が高いゲームで、今回もその気になればゲーム開始後わりとすぐにガノンと戦うことができてしまう。
でも、きっとスタート直後の自分があの「空中キャッチ」をやらされたとしても、今のこの感動はなかったと思うんですよね。そもそも慌ててしまってそのまま地上に激突していた可能性さえある(それはそれで大爆笑してたと思うが)。
でもあのときの自分は、あの状況で瞬時に「今何をすればいいか」が分かっていたし、コントローラを握る手は驚くほど冷静に、落下するゼルダに向けてリンクを加速させていた。あとここ、セリフや文字による指示・説明が一切ないのも美しい。
プレイヤーとして、そしてキャラクターとして積み上げてきたリンクの成長を、「今度はちゃんとゼルダの手を掴むことができる」という、このワンアクションだけで完璧に描ききっている。だからこのシーン、これほど胸を打つんですよね。
これが「ゲームならではのストーリーテリング」でなかったら何だろう。ティアキンというゲーム、あるいは「ゼルダをさがして」というメインチャレンジの結末として、これ以上の締めくくり方があっただろうか。
もしもこれが映画や小説だったら、僕も「こんなご都合展開あってたまるか!」と机をひっくり返していたかもしれない。
でも、これを強引にでも納得させてしまうのが「ゲームの力」なんですよね。だとしたら自分は今、なんて貴重な体験をさせてもらえているんだ……とむしろ嬉しくなってしまった。
――というのが、クリア当時の自分のまっすぐな感想でした。ここから先はクリア後につらつら考えたことなので、読んでも読まなくてもいいです。
開発者に「覚悟」はなかったのか?
クラベさんの記事でもう一つ「真逆」だと感じたのが、「開発者側に覚悟があったか」のくだり。
言うなあ~クラベさんw これももちろん、クラベさんの感じ方なので特に否定はしないんですが、自分はむしろ逆で「相当な覚悟がなければ、あのシナリオは通せなかった」と感じたんですよね。
「真ENDルートを用意しておいて、そっちで人間に戻す」という手もあるにはあっただろうけど、あのぶん殴られるような「空中キャッチ」の衝撃にねじ伏せられた後ではそれすら凡庸に思えてしまう。むちゃくちゃなことを言うけど、エンタメには「論理がすっぽ抜けてるからこそ良い」という瞬間が確かにある(余談ですが同じような「ゲームの力でぶん殴られる衝撃」が味わえる作品として『TUNIC』というゲームがあります)。
Unityの簗瀬さんともTwitterでやりとりしてたけど、やっぱりここまでに積み上げてきた「体験の強度」、そしてプレイヤーへの信頼がなかったら、最後あれだけ力強い展開に持っていくのは無理だったと思うんですよね。
(そしてこれは自分が本作で唯一「惜しい」と感じている点ですが、エンディング後の会話でミネル様に「あれはああいうことだったのかもしれませんね……」みたいなことを言わせて、半端に理由を後付けするのはやめてほしかった! ここについてはクラベさんに一部賛同)
あと余談ついでに、自分は「絶対遊ぶ」と決めているゲームは極力事前情報をシャットアウトするようにしているんですが、後から公式の「開発者に訊きました」を読んだらスーパー答え合わせ大会だったので、逆にプレイ前に読んでた人のことがちょっと心配になったりした。
あと青沼Pの先行プレイ動画も見たんですけど、発売前からいろいろ見せすぎじゃない!??(余計なお世話だ)
ええと、なんの話だったっけ、話がだんだん脇道にそれてきたのでそろそろ締めようと思います。
ともかく前半で書いた通り、自分にとってティアキンのラストはまさしく「ゲームでしかなし得ない最高のエンディング」であり、ティアキンというゲーム、あるいは「ゼルダをさがして」というメインチャレンジの結末として、これ以上の締めくくり方はあり得なかっただろう――というのが自分の率直な感想でした。
気付けばクリアから3カ月くらい経っちゃったけど、やっと感想らしいものが書けてすっきりした。全て現実がクソゲーなのが悪い。
おしまい。
赤ちゃんのおむつ代にします。