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エンディングノート

最近本気でエンディングノートを書こうと思う。人間ていつ亡くなるかわからないから。
私には子供がいないが、できれば私の死後、金目のものは自分の知っている人で、使ってほしい人にさしあげたい。
まず、お金しか興味ない人にはあげたくない。なにか勘違いしてる人が多いが、お金とは、信頼できる人間関係がない状態でそれ単体だけ集めてもろくなことにならないのである。
多くのお金だけ持って死んでいった人たちは、そのお金がなくなりはしないか?だけを不安に思いながら亡くなっていた。
なにか人間関係があやしくなれば無意味に金をばらまいていた。
私はそれを見て嘆かわしくなったものだ。
どうして
「私が悪かったところもある。ごめん。」
が言えないのか?
大層な肩書きを持って小金を稼いだだけで、なぜ学生時代からの友人にまで横柄な振る舞いをするようになるのか?
そりゃあ辛い思いもしたのだろう。昔からの友人が金目当てでしか会ってくれなくなったり、羽振りがいいときは愛想よくしていた人が景気が傾くと見向きもしなくなったり、金がある人ならではの辛さがあるのだろう。
しかし、だからこそ
「学生の頃から変わらずつきあいを続けてくれる友人」は貴重なのではないか?
「俺は経営者」という態度に変わる者を1人また1人と見送る度にうんざりする。
 今の肩書きより私が好きな昔からの友人であるその人はもういないのだと絶望する。
 身内だってそうだ。金を目にするとみんな変わってしまう。あんな紙切れ、硬貨、独り占めしてもそれで得られる安らぎは数年足らずなのに。
私は正直お金はないし、給料も低いが、たくさんの素晴らしい出会いがあった。悲しい別れもあったが、思いもかけない素晴らしい出会い、「この出会いがなければ乗り越えられなかった」という経験を何度もした。
みんな、お金がなくても離れずにいてくれた。出会いは偶然なのに通りすぎてみると出会いが必然に感じる、そんな人たちがたくさんいる。
リアル社会だけじゃない、ネットの友達も私が死別した家族の葬儀によるいざこざで弱っていたら励ましてくれた。リアルでこぼせない愚痴を受け止めてくれた。
本当に感謝しかない。
私の遺産はそういう人の中から選んで託したい。まあ、そんなにないけど、お金だけに囚われない人に託したい。


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