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都市伝説のホスト -零-

 新宿歌舞伎町、眠らない町。街灯と電子看板の明かりに煌々と照らされた路地には、たとえ真夜中を過ぎても多くの人がいる。
 しかし少し奥まった路地に入ると突然薄暗くなり、人気がなくなる。メイン通りほどの賑やかさはない。雑居ビルの中にはそれでも無数の細かい店やスナックはあるが、どこかわびしい風情が漂う。
 そんなうらぶれた通りに不似合いなスーツの優男が通りかかった。
 上品に形よくセットされた髪、スーツは鈍く銀色に光って仕立てがいい。指にはダイヤの埋め込まれた銀の指輪、大きく胸の空いた白シャツからは百合をモチーフにしたセクシーなペンダントがのぞいていた。時計はロレックス。ポケットには愛車カウンタックとポルシェ、それから億ションのキーが入っている。
 なめし皮のイタリア靴の踵を鳴らして、薄暗い通りを歩いていく。明らかに金回りのいい、人気のホストだ。彼こそが歌舞伎町ナンバーワン。そのテクニックで相手が女であれば泣く子さえ黙らせるという、口説きの帝王の異名を持つ男、零〈レイ〉だ。
 その零が一番稼ぎ時の時間に、こんなうらぶれた路地を歩いている。どこに向かっているのか、早足にカツカツと足音をたてて歩く。
 しばらくすると外灯がポツリとあり、小さな公園があった。
 新宿繁華街のど真ん中に遊具付きの公園なんて不似合いだし、誰が使うのかわからない。三方はビルの壁に囲まれて、そこから排気される空気は色々入り交じってひどい臭いだ。それに、毎夜酔いつぶれたホームレスが数人寝ころんでいる。
 しかし今夜はホームレスはいなかった。
 そのかわり、一人、女がいた。外灯の下にポツリと立っている。
 金茶に染めた髪をゴージャスに盛り上げて、露出度の高いロングドレスを着ていた。生地には細かいラメが入っており、上質な布だった。色は情熱的な赤。
 明らかにキャバクラのキャスト。営業中のこの時間に一人で公園にいるのは、妙といえば妙だった。零はその女を見つけるなり、魅力満点のスマイルを浮かべ声をかけた。
「おじょーうさん」
 つま先を赤いドレスのキャバ嬢に向けて、二・三歩歩み寄る。女の白い細い足が、赤く高いヒールを履いているのが見えた。
「一人でいると危ないよー」
 ホストが近づくと、女はゆっくりと振り返った。くるくると螺旋をえがく髪を垂らして、大きなマスクをつけていた。
 今時、どんな格好でもマスクをつけているのは珍しくない。季節問わず、年齢性別問わず、誰かがつけている。
「僕、零っていうんだ。こんなところで一人でいて、どうかしたの? つらいことでもあった?」
「……」
 女は黙っていて、長い前髪に隠れた目を少しあげたようだった。切れ長の濡れたような黒い目が零を見つめる。
「私……きれい?」
 低くてくぐもった声だった。零はスラスラとごく自然に答える。
「綺麗だよ。きっと人気のキャストさんなんだろうなあ。僕も君みたいな子と一緒に飲みたいな」
「ねえ、私、きれい……?」
「髪、盛れてるね! 似合ってるよ」
「ねえ……」
「あっ、しかもすっごい美脚! そのヒール、もしかしてジミー・チュウ? 趣味いいね。もしかして、エリーゼのキャストさんかな? あそこのキャストさんはレベル高いから」
「私、きれい?」
 女が繰り返し聞いてくる。マスクをつけているので顔はわからないが、零はにっこりと百万円のひと笑みを返した。
 そして、優しい声で囁く。
「綺麗だよ、すごく」
「これでも?」
 女はそう言うと、マスクをゆっくりとはずした。
 真っ赤な血の色の口紅。それは耳まで引かれて、口はそこまで裂けていた。無惨に切り裂かれた皮膚はめくれて、歯や歯茎までもが見えている。
 零はそっと彼女の顎に手を添わせた。
「歯並び、いいんだね。笑った顔も素敵だよ」
「私……」
「赤いリップ、よく似合ってる。すごく、セクシーだ」
 零は声を潜めて、耳元で甘く囁いた。
「キスしたくなっちゃうよ」
「え、え……」
 戸惑ったように、女が声を漏らした。
「きれい……?」
「綺麗だよ。好きになっちゃいそうだ……」
 顎をくいと指先で持ち上げて、息がかかる距離で囁く。零の形のよい唇と、女の真っ赤な唇が触れ合いそうなくらいに近づく。
 女の長い睫に縁取られた目は黒く、濡れていた。女は目をつぶった。その目から雫がぽとりと落ちる。
「本当にきれい……?」
「何度でも言うよ。とっても綺麗だ」
 零は熱く囁いた。女は顔をおおい、すすり泣いた。零は肩を抱いて、優しくさすった。
「嘘でも、うれしい……」
 すすり泣いていた女の姿がぼんやりとした燐光に包まれていく。徐々に姿が薄くなり、かすかな光のきらめきを残してかき消えていく。
「おやすみなさい、ゆっくりと」
 空になった手のひらを見つめて、零はつぶやいた。

 2
 
 太客に200万のシャンパンタワーを立ててリシャールを入れてもらうと、零はその女の頬に軽くキスをして席を立った。
「ああん、零く〜ん、早く帰ってきてねえ」
 嗄れた甘い声で言う、50代の和服の女。派手な高級帯を締め、加賀友禅の着物を着ている。左右には、ナンバー2、ナンバー3のホストが素早く座った。
「僕も貴女から離れたくない。だけど少しだけ、いかないといけないんです。すぐに戻ってきます、あなたの側に……」
 零は甘く返して、すっと奥の通路に消えた。
「本当に少しだけですからね、お願いしますよ、零さん」
 黒服に念を押されて、裏口から外に出た。表はド派手な看板とネオンで照らされ、所属ホストのキメ写真がずらりと並んでいるが、裏口は地味でひっそりとしている。
 店から持ち出した一本五千円のミネラルウォーターを、一口飲む。煙草は吸わない。今時、煙草臭い息は嫌われるのだ。客が吸っても、零は吸わない。
 それに、零にとって煙草は金の無駄使いだ。湯水のように金はあっても、浪費はしない。金は消費と投資にしか使わない。ナンバーワン・ホストの地位を維持するための信条だった。
 一息ついてウィスキーの芳醇な香りを吐き出すと、薄暗くゴミ箱しかない細い通路をカツカツと歩き始める。
「手……よこせ」
 女の声がした。声の方を向くと、奥まった建物の隙間に女が立っていた。白いノースリーブのワンピースを着て、片腕を抱くようにして立っている。
 暗い中、女が一人。真夜中の新宿で、まるで犯罪に巻き込んでくださいと言わんばかりの格好だ。いや、すでに被害にあってバッグもコートも奪われてしまって途方に暮れているのかもしれない。
 零は躊躇なく歩み寄る。
「どうかしたの? 大丈夫?」
「手、よこせ」
 ずいぶん乱暴な言い方だった。しかし、女の声は細く弱々しい。うつむいている上、ぼさぼさの長い髪で隠れて顔は見えない。
「僕の手でよければ、いつでも」
 零はゆっくりと歩み寄ると手を伸ばして、ダンスにでも誘うかのように優雅に女の手をとった。夏だというのに、女の手はひやりとして冷たい。
「手……」
「手、すごく冷たいね。僕が温めても、いいかな?」
 零はそう言って、女の手の甲をそっと自分の頬に当てた。髭はきれいに剃られて、滑らかな肌触りが女にも伝わっただろう。
 女は手をぴくりと動かした。反対側の腕は、見えなかった。片腕がないのだ。
「不便だね、片腕がないと。僕がその片腕の代わりになっても……いいかな?」
「手……」
「さあ、こっちへおいで」
 そう言ってそっと女を引き寄せると手の甲にキスをした。
「あ、足……よこせ」
 女は今度はそう言った。
 零は微笑んで、慣れた仕草で華麗に片膝をついた。王子が、姫にするように。そして、シンデレラにガラスの靴を履かせるように女の片足を自分の膝にのせ、そっと撫でる。裸足の足は冷たかったけれど、つま先までなめらかな肌だった。
「綺麗な脚だね……こんなに綺麗な脚なんて、モデルでも滅多にいないよ」
「あ、あし……」
「脚もすごく冷えてるね。温めてあげるよ。最高に気持ちよくしてあげる」
 そう言って、零は女の脚にほうっと息を吹きかけた。熱いウィスキーの香りが、かすかに漂う。手を滑らせて、足首からふくらはぎまで優しくさすった。
「いつでも言ってよ。こうやって温めてあげるから」
「あし……」
「いつでも、君のために僕はここにいるよ。君の片腕になるよ。脚を温めるよ。ねえ、名前、きいてもいいかな? 君のこと、もっと知りたいから」
「カシマ……レイコ……」
「レイコさんか。素敵な名前。僕は零、よろしくね」
 零は手を止めずに足を優しくさすりながら女を見上げる。暗く落ち窪んだ目が零を見返す。
「い、命よこせ」
 零は手を止め、にっこりと優しく微笑む。
「それはできないよ、レイコさん」
「……」
 女の暗い目が無言で零を見つめる。
「だって、君より先にいなくなったら、君を寂しくさせてしまうから」
 しばし考えこむような時間があって、女がつぶやく。
「もう……寂しいのは……いや……」
 ポツリと落ちる涙を残して、女はいつの間にか消え去っていた。

 3

 メイン通りには派手な格好をした男女がいて、スーツを着た酔客がいて、いかにも物騒な雰囲気を漂わせた若者がいて、そのあいだをぬって黒塗りのベンツが走り、ホームレスがいて、なんということはない普通の格好の大学生の集団がいて、女子高生が行き来し、たむろしていた。
 相変わらずの見慣れた風景。時間はすでに夜なのに、歌舞伎町の空は燃えるように明るい。
 もうすぐ出勤時間だ。珍しく同伴がなかった零は、自分が所属する歌舞伎町で規模も人気もナンバーワンのホストクラブ、シャングリラに一人向かっていた。
 花園神社の裏に差し掛かる頃、目の前を赤いスカートをはいた十歳くらいの女の子が通り、うす暗い通路に入っていった。耳の下で切りそろえられた黒髪が印象的で、保護者がいるような気配はない。ずいぶん無防備に見えた。
 日は暮れたばかりだが、とはいえもう子供が出歩く時間ではない。それに、この街は子供が一人で来るような場所でもない。
 零は子供の後を追って、何度か角を曲がり子供が入っていった路地に入った。こんなところを子供一人で歩き回るなんてトラブルのもとだ。事件が起きれば歌舞伎町に客足が遠のく。トラブル回避も歌舞伎町に勤めるものの役目だ。
 薄暗い狭い通路をしばらく歩くと、小さな空き地があった。そこには公衆トイレがあって、赤いスカートがちらりと見え、女性用トイレに入っていくのが見えた。
 トイレにいきたかったのか。それでも、子供一人というのはやはりおかしい。迷子になったのかもしれない。零はスマホを取り出すと営業メールを打ちながら、壁を背にしばらく待った。
 女性をエスコートするのがホストの役目だ。彼女を交番まで無事に送り届ければそれで終わり。
 しかし十分、二十分と経っても女の子は出てこない。
 零はやれやれと片眉を上げる。
 三十分経ってから壁から離れると、空き地に踏み込んだ。トイレのツンとした臭気がかすかに鼻を突く。トイレのそばまでいくと、女の子が入った女子トイレの3番目のドアをトントンとノックする。
「おじょーうさん」
 警戒心を解くような、気さくな声。ホストは色々な声音を使い分ける。
「おうちに帰ろうか。送ってあげるよ」
「あーそびましょ」
 中から小さな声がした。
「あそびましょ」
 零は笑って言い返した。
「ほんとうにあそんでくれる?」
「いいよ。少しの時間ならね」
 トイレの前で、零は言った。
「はーなこさん、遊びましょ」
 トントントン。ドアを叩く。
 トイレのドアがゆっくりと開いて、顔をうつむかせた女の子が出てきた。
「どうしてあたしのなまえしってるの?」
「子供の頃、初恋の子が花子ちゃんだったんだ」
 女の子はさらにうつむいた。頬が赤く染まっているのを隠すように。零はそれを見て、くすりと笑う。
 女の子はうつむいたまま右手を差し出した。
「何して遊ぶ?」
「君の希望に添えるといいな」
 零はしゃがみこんで、差し出された右手を支えるように手に取る。恭しく。親しみを込めて。
「あかいかみがほしいか? あおいかみがほしいか?」
「僕は君さえいればそれで十分だよ」
 零は少女の手を両方の手のひらで優しく包んだ。少女の体がピクリと震える。
「おまえのいのちとる」
「僕のハートはもうとっくに君のものだよ」
「……」
 少女は無言でもじもじと身をよじらせた。
 零はそれを見てまたくすりと笑う。それから指輪がついていない方の手で女の子の頭をぽんぽんと優しく叩いた。
「今日はすごく楽しかったよ。あと十年したら、今度は僕のところに遊びにきてね」
 懐から取り出したプラチナ色の名刺を、女の子に差し出す。
「僕はシャングリラの零。ご指名よろしく」
 女の子はしばらく珍しそうに名刺を眺めてから、こくりとうなずいて、トイレの中に戻ってしまった。
 零はそれを見届けてから、再びシャングリラへ向かって歩き始めた。
「はーなこさん、待ってるよー」

 4
  
「今日はアフターありがと」
 女の手を握ると、零は爽やかに笑って言った。女が「キャー」と言って首に手を回して抱きつく。酒臭い熱い息が零の首筋にかかる。アフターで入った高級焼き肉店で二十万ほど使った後だった。キスをねだる女を宥めながらタクシー乗り場まで送ると、タクシーに乗り込んで名残惜しげに窓に張り付いている女に笑顔で手を振った。
 女の姿が見えなくなると零は襟元の匂いを確かめた。スーツには女の香水に混じって、焼き肉の煙臭い匂いが染み付いていた。
 もう上がりの時間だったが、一度シャングリラに戻ってスーツを着替える必要があった。クリーニングの手配は黒服がやってくれる。もちろんチップを渡す。零はそういう出費は惜しまない。黒服が良い印象を抱いてくれると、フォローもそれだけ手厚くなるからだ。
 歌舞伎町でもさすがに朝方近くになると歩いている人数が減り、表に出されたゴミ袋の周りにはカラスが集まってくる。それでも人通りのとぎれないメイン通りを歩いていると、ふとどこからともなく目線を感じた。
 じいっと何かもの言いたげな目線だ。零はそういう目線に敏感なのだ。客が何をして欲しいのか、何を言って欲しいのか。目は口程にモノをいう。そして口と違ってあまり嘘をつかない。
 周りを一通り見渡して、ビルの一角に足を向けた。派手な看板と無造作に張られた無数の広告の壁となったビルの隙間。視線はその隙間から向けられていた。
 ビルとビルの隙間は十五センチほどしかないだろう。猫なら通れそうだが、人間ではとうてい通れない隙間だ。忘れられ、取り残された都会の間隙。いっそ塞いでしまえばすっきりするだろうに。
 しかし零がのぞき込むと、そこに女がいた。十五センチの隙間にみっしりと女が詰まっている。蒼白な顔をこちらに向けて、口をぱくぱくとさせている。
 真っ黒な目が零を見つめて、何か救いを求めているようにも見えた。
「どうしたの、お嬢さん?」
「ずっとここにいるの……」
「そうなの? こっちに来て僕と楽しいことしない?」
「ずっとここにいるの」
「そっか。じゃあ僕もここにいようかな」
 零はそう言って、入り口の壁に寄りかかった。
「なんだか落ち着くね」
「そうね」
「いつからそこにいるの?」
「ずっと……」
「お気に入りなんだね。狭くて、温かくて、適度に暗くて」
 零は壁に寄りかかったまま、気持ち良さそうに目を閉じる。
「うん、すごく落ち着くいいところだ」
 隙間から、白い手がするりと出てきた。零を手招くような仕草をするので、零はその手をそっととった。それから、指を優しく撫でる。
「やっと出てきてくれた。嬉しいな」
「ここから出られないの」
「そっか。でも、悪いところじゃないよ、ここも」
「じゃあ、あなたもくればいい」
 手が零の手をガッシリと掴んで、強く引っ張った。まるで壁の隙間に引き込もうとするような強い力だった。
「おっと、そんなに焦らないで。まずは、楽しくお話しましょうよ」
 零はぐいと手を引っ張り返した。
「いや……」
「そう? 僕は貴女のことをもっと知りたいな」
 女の指が震える。
「ほら、もう少しこっちにおいでよ。君のことをもっとよく見たいんだ」
 零は女の手に指を絡める。女はいやいやをするように手を引き込めようとするが、先程のような力強さはない。
「ねえ、そんなにじらさないで……。僕、我慢できなくなっちゃうよ」
 零が甘えた声で囁くと、白い手が零の手からするりと抜けた。
「もういい……」
「だめ。君のことは逃さないよ」
 零は壁にドンと手をつき、隙間を塞ぐように寄りかかる。そして隙間を覗くようにして甘く微笑む。女は少し物怖じしたように奥の方へ引っ込み、そのまま隙間の暗闇に溶けこむようにいなくなった。
 零は壁から手を離して首を傾げる。それから思い出したようにスーツの匂いを嗅ぐと、少しだけ顔をしかめた。そこにはまだしっかりと焼肉の匂いが染み付いていた。

 5
 
 同伴相手との待ち合わせで早めにカフェについた零は、営業メールを素早く数件打った。すぐに返信がくる。数度返す。ラインは滅多に使わない。延々と続くからだ。だから余程のことがない限りメールにする。
 最後の返事を打ち終えた頃にちょうどスマホが着信を知らせた。素早く相手の名前を確かめると、迷わずワンコールででる。
「はーい」
「……わたしメリー、いま、一番街通りにいるの」
「メリーさん、声が聞けて嬉しいよ」
「もうすぐあなたのところに行くわ……」
「ネオンのとこにいるんだね。道順わかるかな? もうすぐ会えるね、待ってるよ」
 電話はそのままプツリと切れて、ツーツーという音が聞こえた。
 零ほどの売れっ子になるとほとんど毎日同伴とアフターがある。車代はもらえるし、いいものが食べられるし、何よりシャングリラで接客するより自由でいられる。零にとって同伴とアフターは良い気晴らしでもあった。
 零は営業メールの送信を再開した。
 あの手この手で文脈文体を変えて、それぞれ相手の女の性格に合わせたメールを送る。テンプレートを作って無精をするホストもいるが、だいたい売れない。どれだけ必死にメールをしてもすぐに飽きられる。女は勘がいいのだ。だからナンバーワン・ホストは、メールごとに丁寧に文章を考えて打つ。ワンパターンは決してない。
 慣れた手つきで画面に目を落とすこともなくフリックする。文字の位置は指が覚えている。呼吸をするようにメールを打っていくので、送信までの時間はそうかからない。
 また着信がある。電話にでると、さっきと同じ女の声。
「わたしメリー。いま、コマ劇前にいるの」
「そうなんだ。ナンパが多いから、気をつけて来てね。困ったことが起きたら連絡して。すぐに助けにいくよ」
 通話が切れてから、営業メールを再開する。犬の具合が悪くてお店にいけないと連絡のあった太客にお見舞いメールを送って、誕生日の女にハッピーバースディの甘い言葉にセルフィーを添えて送って、残業で行けないと悲しむ女には激励と慰めの言葉を送る。
 そのうちに着信がある。
「わたしメリー、いま、中央通りにいるの」
「あれ、そのまま花道通りに出ればいいのに。君が来るのが待ち遠しいよ」
 最後の言葉を待たずに、電話は切れた。
 営業メールを再開。返信。送信。返信。
 メールの送受信を繰り返す。飽きることはない。大切なコミュニケーションだし、利益になることに労力は惜しまない。
 また着信。
「わたしメリー、いま、ドンキホーテにいるの」
「ああ、そうだったのか。お姫様は何を買ったのかな?」
「秘密……」
「可愛いんだね。そういうところ、好きだよゆっくりおいでね」
 電話が切れた。
 送信。返信。
 着信。
「わたしメリー、いま、靖国通りにいるの」
「ふふ、遠回りしたんだね。僕をじらすつもりかな? だったら成功だよ。早くあいたいな。酔った人が多いから、気をつけてね」
 それからしばらく着信はなかった。
 返信。送信。返信。着信は客から。電話を切って送信。送信。返信。返信。メールの最初には必ず相手の名前をつける。間違ったことは一度もない。
 着信。
「わたしメリー、いま、東通りにいるの」
「そっか。じゃあその通りをまっすぐいけば風林会館だね。カフェの奥の席にいるよ。迷うことはないと思うけど、道がわからなくなったら電話してよ。すぐに迎えにいくから、お姫様」
 電話は切れた。
 しばらく、着信はなかった。営業メールも一通り落ち着いた。
 着信。
「わたしメリー、いま、あなたの後ろにいるの」
 首元に冷たい感触があり、血のような赤い爪の青白い手が零の首に回される。
 零はスマホをおろすと、その手を優しく手に取った。
「ようやくあえた。待ち遠しかったよ。今日もすごく綺麗だね、メリーさん」
 ひやりとした手にそっとくちづけをしてから、ゆっくりと振り返る。そして満面の笑みを浮かべた。
「さあ、行こうか……」


  *
  
「……なんて話があってね」
「やだー、なにそれー、こわーい」
 キャーキャーとはしゃぐ派手目の女客に、新米ホストが声を潜める。
「まあ、俺らに伝わる伝説っていうか」
 軽薄な印象のホストは巧みな話術で客を引きつけ、話を聞き、様々なゴシップを提供する。
 今回の話のネタは、伝説のホストだった。
「ほら、都市伝説にあるだろ? 口裂け女とか、トイレの花子さんとか。そういうのをさ、片っ端から口説いて、成仏させたカリスマがいたらしいんだよね」
「えー、マジでー。都市伝説とか超コワイじゃん」
「でしょー。まじうちらの守り神」
「マジ? ヤバくなーい?」
「ねー、ヤバいよね、やっぱ。幽霊口説くとかどんだけーって」
「そのホストって、どれくらい稼いでたの?」
「まあ、ナンバーワンだし、一年で三億とか五億とか? 知らないけど。かなり貢いでもらって、マンションとか高級外車とか時計とか買ってもらってたみたい」
「すごーい! あってみたーい」
「伝説だよ、伝説。実際いたかどうかもわからないし……」
「でもカリスマだよね。超イケメンだよ、きっと! いいなあー」
 財布と相談しながらスコッチを頼む彼女は、はぁとため息をついた。
「あたしら心削って働いても、ストレスたまるばっかりだしー。ぜんぜん良くならないよー。お給料も上がらないし、貯金もたまらないし、恋人もできないし、このままでいいのかなー」
「大丈夫だよ。いざって時は、俺が力になるし」
「ほんとー? いやーん、嘘でも嬉しい!」
 嘘だけどね。心の中で舌を出しながら、ホストはごくごく小さくつぶやいた。
 歌舞伎町の夜は更けていく。
 しかし新宿歌舞伎町は眠らない。
 カツカツカツ。今夜も足音が響く。歌舞伎町のさまよえる女たちを探して、零が歩いている。
―― 了 ――

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