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「お母さん。僕は旅に出るよ」
 そう言った僕を、母はいつもと変わらない目線で僕を観ていた。藍染めの布を縫製しながら「あら、そう」その一言。頼りにならない父親は焼きがまがある山荘に閉じこもっている。僕について、何も考えていないのだろう。母はは少しスタンスは違うが、僕のいう子ことにNOは言わない。昔からそうだ。
 高校生になったばりの息子があてのないたびにでるというのに心配しない親がいるだろうか。母親はいつかそうなると思っていたわよ、といった顔で僕を送り出す。いざというときのためにと、3万円をくれた。僕はテントと寝袋、着替えと諸々をバックパックに詰めて、アウトドア用の機能性の高い衣服を着ていた。
 父は帰ってきてどう思うだろうか「私達の子供は旅に出たわ、いつ戻ってくるかわからないけれど、戻ってくることを願いましょう」
 若い頃はいろんな宗教にハマって結局たどり着いたのがヒッピー文化だという母は、少し普通の母とは感覚がずれているように思える。生まれた家の習慣があたりまえだと考える年頃だというのに、僕はすでに自分の家族がずれていることに気づいていた。
 母側に半分血の繋がった兄弟がいると聞かされたのも最近のことだ。だからどうしたっていうんだ。僕に何を言ってほしいんだ。僕は呆れて何も言えなかったけれど、別に大したことではなかった。
 リュックに水を入れて、軽い非常食を入れて、最小限の着替えと少しの洗剤。幸い僕は健康体なので、薬は必要ない。風邪もひいたことはない。覚えている限り。荷物は少なくてシンプルな方がいい。旅に出るにあたって歩きやすいスニーカーを厳選して購入した。底がすり減りにくく、つま先が柔らかい。紐もあって、足の形にぴったりと合わせることができる。
「体に気を付けてね」
 母は何事もなかったかのようにそう言う。そういう人なのだ。未成年の息子が一人旅に出るというのに、学校を休んでそれに挑もうというのに、止めることもしない。若い内にいい経験をしなさい、そんな感じの見送りだった。興味がないわけではない。逆だ。愛情があるゆえに僕の希望を受け入れてくれたのだ。僕は改めて母に感謝をした。3万円は大事に使おう。日雇い仕事でもしながら、日本をぐるりと一周する。僕が何故そんな衝動に囚われたのが、実際僕にもわからない。何か人と違うことがしてみたかったのか、日本という土地を踏みしめて、今なにが起きているのか実際に目で見てみたいのかもしれない。
 というわけで、父が不在のうちに僕は母ににこやかに見送られて旅に出た。まったく緊張感のない旅立ち。母からもらった3万円がなくなってしまったら、さっさと帰ってしまうかもしれない。でもそれでは意味がない。僕は僕に枷をつけて、旅人というレッテルを守らなくてはならない。多少の援助を受けたとはいえ、普通に生活していれば日本を一周する前にあっという間にお金は無くなってしまうだろう。そうならないように慎重に計画をたてなければならない。旅に出る息子に3万円という中途半端な金額。それはすごく母の性格を表しているようでなんとなく嬉しかった。母は母のままなのだ。無垢な少女のように、不完全な僕を快く受け入れてくれる。
 父? 父のことについてはあまり触れたくない。根性のネジ曲がった陶芸家、というだけだ。母は織物をしていて高値でよく売れているが、父の方はパッとしない。こだわりが強すぎるのだ。失敗したと言って焼きあがった壺やら皿やらを割る。割るために焼いているのではないかと思う。ストレス発散。いつになったら彼の理想を超える陶芸品ができるのだろう。家に戻ってきては黙々と日本酒をすすり、早めに就寝する。それから空が白み始める頃に起きだして、工房へいく。出来上がった陶芸品を割るために、今日も土を捏ねる。
 尊敬できる父ではないだろう。時間をかけて作っては簡単に壊して、そんなの不毛だ。プライドが高いのだろうか。僕は考える。
 僕はやはり母よりだ。なんとなくだけれど。実際に布を織って、それを売って、生活の糧にしている。我が家の大黒柱は母だ。母の織物は何度か観たことあるが、前衛的すぎて理解はできなかった。小さな頃から芸術についてそれなりの教育を受けてきたが、とうとう僕が何かしらを創造することも、両親を理解することもなかった。
 履き心地のいい買いたての靴に脚を入れ、僕は母を振り返った。母は子供のように笑みを浮かべて、小さく手を振っている。少し肩をすくめて、まるで僕が旅に出るのが楽しみなように。出て行くのが嬉しいのではない。僕が旅に出て何かを得て帰ってくることを楽しみにしているような感じだった。
 父親は僕が旅に出たことに気づいたらどんな顔をするだろう。やっぱりな、とか、どうせ途中で投げ出す、とか、そんなネガディブな発想だろうか。別にいなくても変わりはない。とう思うのが一番しっくりする感じがした。僕がいてもいなくても同じ。父は変わらない。なにせ陶芸に夢中なのだから。
 僕はスマートフォンを取り出して。グーグルマップを呼び出した。まずはどこに向かおうか。できるだけ乗り物は使わず、自分の足で歩いていうこうと思う。スマートフォンの支払いは母がすることになるだろうけれど、そこは甘えることにした。できるだけ使うことが無いように過ごそう。スマートフォンを使うのは緊急事態の時だけだ。道端にある地図やコンビニで道を聞いて進もう。それが理想だ。まずは地図を買わなければ。僕はそう思って歩道を重点的にフォローしている地図を本屋で購入した。あまり重すぎず厚すぎないのもいい。黒字にリンゴが描かれたシンプルな地図だ。僕はきっとこれをぼろぼろになるまで読み込む。どの道筋を通れば楽しいか、いい景色が見れるか、変わったものを見ることができるか。僕の興味はそれだった。せっかく歩いて回るのだから、歩いて楽しい道路を選びたい。
 しばらく歩いておなかが減り、吉野家に入った。一番安いメニューを選んで、もそもそと食べる。一日三食から、二食に変える必要がある。なにせお金がないのだ。今は倹約、倹約。そう思うと、吉野家の牛丼も贅沢品のように思えてきた。少しの罪悪感と満腹になった胃袋を抱えて、僕は歩きはじめた。最初はゆっくりと、体が温まったら歩調を速めて。スニーカーは期待を裏切らない働きをしている。三時間ほど歩いたが、足の痛みはない。陸上部で体を鍛えていたことが幸いしたのか、僕の体は軽かった。これなら結構な距離を歩けるのではないだろうか? そう考える。空を見上げると、鈍色の雲が広がっていた。雨具も折り畳み傘も用意している。雨が振ったからって僕の歩みを止めることはできない。僕は雨の中でも歩き続けるだろう。ただ、夜に雨が振って、テントをたたむときに雨が残っていたらやりにくい。僕の心配はそれくらいだった。
 赤いものを探して歩く、緑色のものを探して歩く、少し変な形のものを探して歩く、なんとかなんとか。歩くときに課題を決めて、それを観察しながら歩く。自動販売機に注目して歩いた時は、こんなにたくさんあるのか、街中自動販売機だらけじゃないか、と少し呆れた。そんなに自動販売機を利用する時があるだろうか? なのに少し進んでは自動販売機、右を見れば自動販売機、左側を見ると自動販売機に補充する会社の人間がいた。これだけたくさんの自動販売機があるというのに、補充しなければならないほど売れているのか。僕は改めて驚いた。持ってきたノートににそれを書きこむ。僕の旅行記になるだろう薄いノートは、なんとなくたよりなく見えた。しかしそれに絵を加え、字を書き、僕の歴史を刻むのだ。ピンク色のノートをしまって、僕はまた歩き出す。
 次は何を目印にしよう。コンビニか、車の色か、子供のはしゃぐ高い声か。
 ぞれぞれを注意深く観察して、解釈する。これは喜んでいる、注目されるためのものだ、人の気持ちを安らぎに導く色だ。集中力を高めるものもある。
 母の機織りほど年季は入っていないが、幼い頃から油絵をやっていた。色が人に与える印象についてはよくわかっているつもりだった。それでも驚くほど街には色があふれている。僕はそれに驚いた。
 バックパックは重い。それが心地よく僕を疲労させる。人気がなく、物騒でない場所を見つけて、テントを張る。少し道路から離れていて、電気を点けていなければ警察にもわかりにくいだろう。警察に補導されるのは最悪だ。意気揚々と旅に出ると出て行って、家出人扱いで警察の手によって実家に戻される。父は何をやっているんだと呆れるかもしれない。母は意外と早く帰ってきたのね、といつもの調子で言うだろう。
 最近はずいぶん暖かくなってきた。北の方に向かっていくのもいいかもしれない。雪解けの侘しい景色の中で、ぽつぽつと歩く。苦行に近い。ひょっとしたら面白い景色はないかもしれない。けれど、北に向かうのは魅力的に思えた。
 バスを使わず、北へ向かって歩き出す。僕はこの旅で何かを見つけられるだろうか。僕は考える。何のために旅に出たのか? 渡りやすいけれど、自分探しだ。退屈な学校に通いよりずっといい経験ができるに違いない。
 僕はそう信じて、脚を右左と交互に出す。顔はなるべく上げて歩く。目印を見落とさないように。
 三日目になって、足の裏にまめができた。水ぶくれになって、ひどく痛む。持ってきた裁縫道具の針を取り出して、ライターの火で消毒すると皮膚にぶすりと刺した。透明の液体が流れ出してくる。しばらく休憩した方がいいだろうか。このまま歩き続けるのはつらいし、水ぶくれが大きくなる可能性もある。そうなるとほとんど歩けなくなってしまう。
 居心地のいい林の中にテントを張り、インスタントのコーヒーを飲んだ。足のまめはひろひりと痛むが、さっきよりはマシな感じだ。ここでしばらく過ごすのもいいかもしれない。脚をひりつかせる痛みと共に考える。
ーーどこまでいった?ーー
 母からの脳天気なメール。場所を知らせると「すごいね」と絵文字付きで送り返してきた。母は奔放なのだ。今更ながらそれに気づいた。彼女を縛るものは何もない。それがたとえ夫でも、息子でも、結果は同じ。彼女を止めることも、理解することもできない。そんな彼女は僕は好んでいる。自らのそうしたように僕を奔放に育ててくれた。それには感謝している。無関心とのぎりぎりの間だとしても、それは僕にとってとてもいい影響を与えた。少なくとも父親よりずっといい親だった。そんなことを考えながら人力でスマートフォンを充電できるハンドルをぐるぐる回す。ひたすらぐるぐる。コーヒーショップにいけば電源は簡単に手に入るが、不経済だ。コーヒーを頼まなければならないのだから。せっかくスマートフォンの電源不足を予想して自家発電できる充電器を用意したのだから、それを十分に活用すべきだ。
 日が暮れたら寝て、夜明けとともに目を覚ます。それからテントをたたんで、荷物をまとめて草木を元通りに近く整えて、僕は出発する。
 今日で何日めだろうか。ピンクのノートを歩くながら読む。まだ一ヶ月弱。まだまだいけるところは無限にありそうだ。狭い島国とはいえ、徒歩で歩くにはそれなりに広い。そうだ、青森にいってみよう。僕はそう思い立って、地図とにらめっこをした。下北半島にある恐山にいってみよう。そして口寄せをしてもらうのだ。僕の未来を導いてもらおう。それともイタコの女性に頼むなら亡くなった両祖母を呼び出してもらったほうがいいのだろうか。もっと昔の先祖でもいいかもしれない。そう思うと気持ちが浮き立ってきた。
 僕の旅はスピリッチュアルなものなのだろうか。もっと地に足をつけて黙々と旅をするつもりでいたつもりが、ついミーハーになってしまった。それとも少しでも旅をすると自然にそちらに興味がいってしまうのだろうか。
 まだ少し痛む足を引きずりながら、恐山を目指す。徒歩で行くにはずいぶん遠いが、のろのろ歩いていたっていつかは着くだろう。恐山で誰を呼び出してもらおうか、何を聞こ言うか考えてみる。僕の過去か、未来か、何をしたらいいのか、そんなことだ。
 車がビュンビュンと走るすぐ傍の歩道をヒヤヒヤしながら通り抜ける。歩行者がいるというのにどうして車は速度を落としてくれないのだろうか。このままでは僕がイタコに呼び出される立場になってしまう。慎重に慎重を重ねて用心深く歩道を抜ける。少し交通量が少ない狭い道路に出て、ほっとする。
 そろそろお腹がすいてきた。日はとっくに暮れていた。目についた大きめのスーパーに入ると、閉店間近の半額シールがはられたお幕の内弁当を手にとった。260円。これならいいだろう。ボリュームも会って十分におなかは満たされる。支払いをすませると、レジの奥にあるレンジで幕の内弁当を温めた。どこで食べようか。ふと考える。近くに公園があったはずだ。灯りも明るく、物騒ではない雰囲気だった。そこで幕の内弁当を食べよう。それから水道で空のペットボトルを満たそう。ついでにトイレも済ませておこう。何も買わずにコンビニエンスストアでトイレを借りるのは気が引ける。こういうポイントを見つけておくのも旅の必需とすることだ。
 幕の内弁当を食べて満腹になると、空になったプラスティックトレイをゴミ箱に捨てた。水飲み場で水をのみ、一息つく。濡らしたタオルで汗をかいた首や脇を拭き清める。さあ、今日はどこで寝ようか。住宅街の真ん中でいささか途方に暮れてしまう。こんなところでテントを張ってしまうと、あっという間に通報されてしまうだろう。もちろん警察にだ。だからといって公園のベンチで寝てしまうのはあまりにも物騒だ。やんちゃな若者にからまれたら、それに対応する武器も能力も僕は何ももっていない。仕方がないので、木々が生えそろった墓地に入り、一番目立たないだろうと思う端っこに寝て、丸くなった。シェラフがあるのでそこまで寒くない。墓地とは不思議なもので、一見不気味に見えるけど僕のような存在にとってはやすらぎの地だ。誰も邪魔するものもいない。夜中に墓地にいくなんて酔狂な人間もいない。安心して眠れる。ありがたいことだと思う。それぞれの墓石にお礼を言って、僕は一晩眠らせてもらった。墓地は静かで、僕の体はひどく疲れていたので、眠りはすぐに訪れた。遠くで虫の音が聞こえる。それが最後に感じたものだった。
 翌朝、墓地の手入れをしにきた住職に起こされて、恥ずかしい思いをした。自分が思っている以上に自分は疲れていたようだった。
「よかったら朝ごはん食べていきなさい。大したものはないけど」
 還暦を迎えていそうな住職は穏やかな声でそう誘い、微笑んだ。僕はなんだかほっとして、その好意に甘えることにした。
「はあ、旅をしてらっしゃると」
 山菜の煮物を口にしながら、僕はうなずいた。
「まあ、人生には色々ありますわな。若い内に冒険するのもいいことですよ」
 住職は勉強を放り出して旅に出た僕を受け入れてくれた。そればかりか応援してくれている。僕はなんとなくくすぐったく、正直に言うと嬉しかった。僕が旅に出ると言ったのは、僕が初めて決めた自分のことのように思っていたから。
「しばらくここにいらっしゃいますか」
「ああ、いえ……青森の方に向かおうと思っています」
 最後の白米を口に入れて有り難みを込めて噛み締めながら、僕は答えた。住職は納得したように重々しくうなずいた。
「そうか、青森か。これからいい季節になりますよ。美味しい物もたくさんあるし、なにより景色が綺麗だ。冬は厳しいがね、春はとてもいいところですよ」
 住職は自分に言い聞かせるようにゆっくりと言った。僕はそれについて反論はなかった。美味しいものが食べられるかどうかは分からないが(金銭的な余裕について)景色が綺麗だろうという期待はあった。太鼓判を押されたような満たされた気分で、僕は最後に緑茶を飲んだ。体に染み渡るような滋味あふれる料理とお茶だった。
「どうもお騒がせしました。それからありがとうございます、ここまでしていただいて」
 住職は何もいわずにっこりと微笑んだだけだった。僕がお寺を出るときは見送りまでしてくれた。これは足のマメの痛みをこらえてでも青森に行かなければならない。彼の親切と心の広さに心の中で感謝をして、僕はまた歩き始めた。
 旅に出るということは、自分一人だけの問題ではないのだ。いろんな出会いがあり、別れがあり、それでも先に進む。僕は一人旅の楽しさを改めて感じた。もちろんいいことばかりではないだろう。苦しいことや厳しい目にあうこともあるだろう。でもどっこいどっこいなのだ。いいことがあれば悪いこともある。プラスマイナスゼロだ。
 そうやって僕は青森を目指す。時々母に連絡を入れよう。今はどこにいるとか、誰にあったとか、こんな景色があったとか。父親については考えないことにしている。きっと彼は一ヶ月くらいしても僕がいないことに気づかないはずだ。そういう人なのだ。だからといって別に文句はない。彼は彼のペースで生きるし、僕だって僕のペースで生きる。その間に母がいるだけの話だ。
 夫に息子はどこにいったんだときかれても、母はのらりくらりとかわすに違いない。母はそういうところはすごく上手い。それに父もそれほど追求はしないだろう。ああ、いないのか、その程度。
 だから僕は自由だ。今、僕にしかできないことをやってのける。うまくいくかわからないけれど、きっとうまくいかせてみせる。なんとかなるさ。僕の出した結論。またあの親切な住職のような人に会えるといいな。それも旅の醍醐味だ。僕は胸を踊らせて歩き出した。足のたこはずいぶん早く羽織ったようだ。足は軽い。
 さあ、青森を目指そう。飛行機よりも、新幹線よりも遅く、しかし確実に。

 ――了――
 


 


 


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