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【こえ #42】もう一度声が出せると知って見えた未来

梅木 正仁さん


 「建設業だから、現場で声が出ないと仕事にならない」。喉から声が出づらくなり、近くの耳鼻咽喉科で薬を処方されても全然改善せず、その後、別の病院で検査し声帯の下あたりに『喉頭がん』が見つかった。

「退職まであと1年」と迫った64歳での出来事。声が出なくなり、仕事が出来なくなるが、声帯を「取らないという選択肢はなかった」。さらに、転移ではないが、肺にも別の癌が見つかった。輪をかけてショックを受け、「癌イコール終わりだと思った」。

 これからどうすればいいのか。さらに声まで失ってしまう。いくらこの先を考えようとしても「何も考えられなかった」。そんな状態で手術を終えた。


 声帯を摘出した後も、放射線治療を受け、その後の抗がん剤治療は嘔吐と下痢がひどく1回でやめた。そんな闘病の中で、看護師さんから手渡されたのが、地元の愛知県で声帯を摘出し声を失った人に対して発声訓練を通じて社会復帰を支援する『愛友会』のパフレットだった。

 正直「どんな人がいるかわからないし、会の中身もわからない」。入院していた当時はコロナ禍で見学できなかったこともあり、敬遠していた。でも、「家にいても落ちこむだけだ」

 と『愛友会』をのぞいてみると、「なんだ、(もう一度)声出るじゃん」と心の声が漏れた。

 声帯を摘出する手術の前にこうした当事者会を知り、未来の自分は声が出せるとわかっていたら「もっと不安を和らげることができたのに」と振り返る。裏を返せば、当時は未来が見えず「それほど落ち込んだから」。


 当初は、すぐに声を出せるよう、電気の振動を発生させる器具を喉に当て、口の中にその振動を響かせ、口(舌や唇、歯など)を動かすことで言葉にする『電気式人工喉頭(EL)』も試した。しかし、梅木さんの喉の筋肉が堅くて上手く発声できなかったことと、何より『電気式人工喉頭(EL)』で発声する映像を見た娘さんから「そんなロボットみたいな声はやめてほしい」と言われたことも大きかった。それは、未だ『電気式人工喉頭(EL)』が解決できていない課題だ。

 そのため、梅木さんは、「食道」に空気を取り込み、喉を手で押さえるなどで、食道入口部の粘膜を新たな声帯として振動させ発声する『食道発声』に取り組んだ。『愛友会』での定期的な訓練以外は、ご自宅に来てくれるお孫さんとしゃべることが、そのまま楽しみな練習になり、入会して「3年程度で話せるようになった」。
 
 「今は、できるだけ一人で色んなところに行くようにしている。自分の声がどこまで通じるか試してみたい」。かつてこの先を考えたくても何も考えられなかった梅木さんは、もういない。

▷ 愛友会



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