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「介護離職」がないスウェーデン、年間10万人を超える日本 何が違う?・・・という記事の紹介です。

日本には、家族を介護するために自分の仕事を辞める「介護離職」をする人が1年間に10万6000人(2022年)います。男女ともに55~59歳の割合が高く、介護する人にとっても、社会にとっても大きな損失です。

ヨミドクター

財務省の試算では、介護離職による経済的な損失や約9兆円にもなると言われていますので、この問題は経済的な問題にも繋がっているのですが、改善できそうな見込みもないのが現状ですね。

刑法には「保護責任者遺棄罪」があり、老年者・幼年者・身体障害者・病者を保護する責任のある者が、これらの者を遺棄し、またはその生存に必要な保護をしない場合は犯罪になります(刑法第218条)。最近では、介護が必要な実母を公園に置き去りにして死亡させたとして、息子が保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕されました(2023年11月30日)。

このように、内には道徳心が、外には法的義務があるために、家族は親や配偶者を介護せざるを得ません。その結果、介護離職が生まれます。

ヨミドクター

こんな法律があって前例になる判例も出ていますので介護離職の問題はおそらく解決できないでしょうね。解決するには常識をガラッと変える必要があるのですが、それができるようにも思えません。

スウェーデンでは介護離職はありません。その理由を説明します。

スウェーデンでは、パートナーや親子であっても、介護は介護する側が希望する場合にのみ行われます。そして、終末期においては、家族や大切な人と最期を共に過ごすために、医師が終末期ケアと認定することで、給料の8割が社会保障制度から出ます。さらに、自宅でも施設でも病院でも、ケア(医療と介護)はスタッフが行うため、家族は自分が大切な人と過ごしたいと思う時間にいることができ、何かしなくてはいけないことはありません。

ヨミドクター

介護離職がないと断言できるのは凄いというか、そもそもの常識の前提条件が違うすぎるので、おそらくそういった考え方や常識が違う状態で法制度が整備されているので、スウェーデンを見習うにしても、現状の日本の法整備の構造から変える必要があるので、あとは日本国民がどういう政治を望むのか・・・という所かなぁと思いました。

スウェーデンと日本では、家族に対する考え方や社会システムが大きく違います。子どもは高校卒業と同時に大人として認められ、多くの子どもは実家から離れて生活を始めます。大学に行くことになっても学費はかからず、生活費(月8万円支給され、さらに10万円の奨学金が受けられる)も国が支援します。そのため、18歳以降は親子であっても、自立した大人同士の関係になります。

例えば、義理の父(スウェーデン人)が一過性の脳 梗塞こうそく で救急搬送された時も、本人は病院で体調がよくなってから夫に電話してきました。自分のことは自分でしたいという考えのようです。普段、一緒に食事をしたり、孫と遊んでくれたり、とても親しい間柄と思っていたので、あまりにもドライな関係に驚きました。

文化や考え方は、人々の生き方や環境により何世代にもわたって形成されるものです。他国の者からは理解し難いこともありますが、それぞれの価値観を尊ぶべきと考えます。

ヨミドクター

やはり考え方自体を変えていかない限りは、いいシステムを形だけ導入したとしても上手くいかないでしょう。

スウェーデンの名目GDP(国内総生産)(推移と比較グラフ)より

GDPで比較するのが正解かどうかは不明ですが、経済的な評価では日本の方がスウェーデンよりも上位ですので、やろうとおもえばスウェーデンのやっているような取り組みは実現可能なはずですよね。

スウェーデンでは、親を介護する義務は法律になく、親の介護は「完全なる子どもの自由意思」です。また、「社会福祉法」には、「高齢者介護・保護は社会福祉を担う市町村の責任で行われる」とあり、家族はその責任を求められません。しかし、病気の子どもは親にケアされる権利があり、親は社会保障費をもらって入院中の子どもに付き添います。

このように、「介護離職」のない国では、親は子どもに頼らずに社会保障を得て高齢期を生きていく覚悟が必要です。私がスウェーデン人の同僚に「将来、娘におみそ汁くらいは作ってもらいたいな」と言ったら、「彼女がしたければね」と言われました。「親だからといって作ってもらえる国ではない」と、今から心しておく方がよいということです。

スウェーデン人は、長年税金を払い続けてきたのだから社会保障は権利であると、保障を受けることに堂々としています。そして、国の政策を信頼しています。そのため、家族に頼ろうという姿勢の高齢者には出会ったことがありません。高齢者はみな「自分らしい人生をできるだけ自分の力で送りたい。できないことは公共の支援を使い、自分のことは自分で決めたい」と言います。(長谷川佑子)

ヨミドクター

日本って、どこまでいっても子供は親の所有物のような扱いなんですよね。
だから、 私がスウェーデン人の同僚に「将来、娘におみそ汁くらいは作ってもらいたいな」と言ったら、「彼女がしたければね」と言われました。 】・・・こういう発想がそもそもなくて、親の面倒はして当たり前だし、したくないなんて言おうものなら周囲から何を言われるかわからない、そんな状況ですので、やはりどう考えても介護離職の問題が解決できる見通しが立たないような気がします。

また、高齢となっても家族に頼ろうとしない価値観がないといけないので、そういう前提での制度設計などが出来てないとどうしようもないと思います。

高齢者はみな「自分らしい人生をできるだけ自分の力で送りたい。できないことは公共の支援を使い、自分のことは自分で決めたい」と言います。

高齢であっても若くあっても、自分らしい人生を追求できるような自己決定ができるほどの強さがないといけないという事でしょう。
自分の事を自分で決める事は、それ自体が自立を意味しています。

高齢者の介護義務に関する両国の法律は正反対です。日本では、保護する責任のある者が保護を怠れば犯罪になりますが、スウェーデンでは高齢者介護・保護は社会福祉を担う市町村の責任です。そのため、日本の法律は介護離職の要因になりますが、スウェーデンの法律は介護の犠牲者を生みません。日本の法制度は見直す必要があるのではないでしょうか。

ヨミドクター

日本の法制度の見直しは必要ですね。
家族という枠に甘えて、個人の人としての自立について曖昧にしてきたツケが回ってきているような気もします。

家族であっても、それぞれが自立した個人であって、その上で家族の絆が保てる状態というのが本来あるべき家族の姿なんだと思うのですが、日本の現状を見ていると、前提として家族としての枠があって、個人の自立は二の次のような気もするんですよね。

その他に、両国には自立心という国民性の違いがあります。日本の親は「老後の面倒は子どもが見て当たり前」と子どもに頼りがちです。例えば、認知症の親の中には、不安になると昼夜を問わず、一日に何十回も子どもの家や職場に電話をかけてくる人がいます。そのため子どもはノイローゼ状態になります。親は認知症になる前から、子どもに頼らないで生きていく覚悟が必要です。

国によって、高齢者介護のあり方と高齢者の心構えがこんなにも違うことに驚きます。超高齢社会を上手に乗り越えるために、日本は発想の転換が必要かもしれません。(宮本)

ヨミドクター

同じ認知症でも、海外の周辺症状と日本の周辺症状とでは色々違ってるのかもしれませんね。そういう具体例が出てるかと思って期待しましたが、そこは情報ありませんでしたね。

発想の転換は必要ですが、これだけの変革が必要な事なので介護離職問題が解決されるのはずっと先の未来のような気もしますので、財務省が心配している経済的な損失も拡大はしても軽減はできそうになさそうです。


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