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25年続けてる読書ノートのこと

なんでも記録するのが好きだ。
日記。
旅行ノート。

 
小学生のころはゲーム日誌もつけていた。
ロマサガ1にハマっていた私は、主人公が書いている体でゲームの進捗状況を記録していた……
「今日はスカーブ山に行ったわ!」
「〇〇のHPが40も上がったの! がんばったねー!」
(クローディア使いだった)
 
あのmixiにも書いた。
そのうちのいくつかはnoteにてこっそり供養している。


読書ノート、40冊

そして、読書ノート。
これが一番古くから、断絶なく続いている記録である。
中学校3年生、受験が終わったころに始めた。
 
最初は「ノート」ですらなかった。
メモ帳に書いていって、最後にホチキスでまとめただけ(汗)
 
高校に入ってお小遣いがアップしたのだろうか、100円ショップのものらしきノートが2冊続き、その後、ロフトで購入したB5ノートへ移行。
このB5型が、現在に至るまで続いており、ついに40冊目に至った。
(現在再び100円ショップのB5ノート……やはりコスパがいい)

字もアレだが感想の内容がもっとアレだった最初の読書録

内容は簡素かつカジュアルなものである。
人に見せるつもりがないため、悲鳴で埋めつくされているもの、数行しかないもの、居丈高な「講評」、キャラ萌え語りと様々。
字は自分がギリギリ読めるくらい……判読不可能な箇所も……
これから読書ノートをつけたい人にもし言えることがあるとするなら、
「いいかげんな方が続く」
これだけである。

1年100冊、読めるかな?

現在、だいたい1年100冊ペースで読んでいる。
「1年100冊運動」は大学院1年次に始めた。
英文学科で卒論を書く際に、「日本語でいいからもっと小説を読むべきだった」と思ったのがきっかけだった。(もっと早く気づくべき)
毎週図書館に通い、「借りる/返す」をセットで行っていたら、
その年は150冊読めた。
行けるやん……
何かを成し遂げたかのような感覚があり、その後もむやみに冊数だけは積み上げている。
数字にこだわるのはいかにもあさましい感じがするが、
記録が増えるのはうれしい。単純にうれしい。

ノートを選ぶのも 楽しい(最近はセリアのがよい)

読書量を左右する2大要素

①通勤時間(電車、駅)
教員時代は電車時間が1時間近くあったので、1年150冊くらい読めた。読書が現実逃避であった。わき目もふらず読んでいた。
現在、電車時間は40分くらい。したがって読書の冊数も減っている。
 
②洋書の割合
洋書はどうしても読むのが遅いので、和書の3~10冊分に相当する時間がかかる。
逆に絵本を読むと冊数が積みあがる。

エクセルの電子的記録

こちらは「目録」というか、読んだ日付とタイトル、著者名、ジャンル(洋書・小説・言語・社会その他)だけ記載。これにより、「時系列」「作者別」など並べ替えが可能である。
(エクセル使えるアピール)(初心者レベル)
そして検索ができる。アナログノートにはない機能。
検索すれば、「あ、これ一度読んでたか」「いつ読んだな」とわかる。
読んだ気になっているが未読の本、読んだことそのものを忘れていた本、などがわかる。
「この本、読んだことあるけど前の感想文はどんなだっけ」も確認しやすい。
結果「10年前とほぼ同じこと書いてる(汗)」みたいなこともある。

原始的なエクセル記録
(色がついているのは「よかった」)
(「1」も「よかった」。色では並べ替えがきかないことに後から気づいた)

たぶん皆さんネット上のサービスなどでもっとハイクオリティな読書録を作っておられるだろう。
でも私は年1回、エクセルで更新するだけで満足している。
 
エクセル読書録によると、1998年~2022年末までの25年間に2590冊くらい?読んだことになっている。
冊数が(記録しているくせに)曖昧なのは、上下巻ものを1つと数えていたりするせいである(例:白銀の墟 玄の月(3・4)で1項目)。

記録の網目を抜けるものたち

読書ノート入りを果たせなかった本もある。
高校時代に『魔術師オーフェン』シリーズを読んだことは間違いないのだが、記録に残っていない。ラノベだからか。宗田理の「ぼくらシリーズ」は入れてるのに。
妙なこだわりを持たずになんでも書いておけ、と当時の私に言いたい。
 
この調子なのでマンガも数えていない。感想を書きたい場合は書くが、数字をふらない。
映画も同様である。読書ノートに感想を書くことはあるが、数字をふらない。まあさすがに映画は「読書」ではないが……

茶ぶどう 心の記録

最初のやつとか見えてない メモ束だから……

この通りぎっしり40冊。災害が起こって避難することになったら、とか考えてしまう。真っ先に持って逃げるべきはコレではないだろう。それは理性ではわかっている。しかし、これは言うなれば心の記録であって、失ったら二度と取り戻せないもの、お金で買えないものである。

noteにも一部の感想文は載せるが、他人が読むことを前提とした文に改変している。誰にも見せないつもりで書いているから大事なのだ。

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