福島第一原発事故発生の2011年3月から被害地現地に足を運んで取材と記録を続けています。その記事を集めました。もっとも古いのは2015年までさかのぼれます。
現地取材に通う交通…
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#東日本大震災
フクシマからの報告 2018年晩秋その3 原発内で働いていたからこそ思う 故郷はもう原発内部と同じ 渡辺さん親子の物語(下)
前回の記事に続いて、渡辺さん親子の話を書く。今回は父親の理明(まさあき)さん(48)である。 山形県に避難して間もなく8年。この間に、渡辺さんの健康は悪化した。壮健な少年野球チームの監督だったのに、円形脱毛症になり、大量の下血で救急搬送され、2年前からは人工透析に週3回通う身になった。取材で会うたびに、病気や故障が増えていった。顔色も悪くなった。避難直後の元気な姿を覚えている私には、痛々しい姿に見えた。 それが放射能の影響だとか、そうでないとか、そういう話をするつもりはな
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フクシマからの報告 2021年春 汚染土の埋立地にされても 家族が幸せに暮らした街を守る 津波で娘・妻・父を亡くした 大熊町・木村紀夫さんの静かな抵抗
今回の報告は、2021年2月11日付け「フクシマからの報告」で書いた記事 「10年前見た行方不明の家族を探すチラシ そのお父さんにようやく会えた 自宅跡は核のゴミ捨て場に それでもなお娘の体を捜し続ける」の続きである。 (上は木村さんが2011年春当時、避難所や市役所に貼って回ったチラシ。私は南相馬市役所ホールの掲示板で見た) 福島県大熊町、福島第一原発から南に4キロの海岸部に住んでいた木村紀夫さん(55)は、2011年3月11日に起きた津波で次女汐凪ちゃん(7 )、
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