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福島第一原発事故被害地からの報告

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福島第一原発事故発生の2011年3月から被害地現地に足を運んで取材と記録を続けています。その記事を集めました。もっとも古いのは2015年までさかのぼれます。 現地取材に通う交通… もっと読む
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#福島第一原発近くの被災地

福島第一原発まで1キロ 放射能街道を行く〜原発事故が起きると街はどうなるのか

 福島第一原発を中心に「帰還困難区域」と政府が名付けたエリアが今も広がっている。  要す…

1,000〜
割引あり

家に戻れなくても「避難者」にカウントせず避難先の引っ越しは認めない      福…

 2018年1月12日、福島県いわき市の「泉玉露」地区にある仮設住宅団地で開かれた、新年のもち…

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福島第一原発事故による強制避難が解除され1年 高原の村は除染ごみと家屋解体で激変…

 今回は、2018年2月18日から20日、福島県飯舘村を再訪した報告を書く。2017年3…

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放射能が襲った悲劇の山村で見つけた  雪と氷が作り出す自然の造形美     これ…

 福島第一原発事故で、全村民約6500人が強制的に避難させられる悲劇に見舞われた福島県飯舘村…

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フクシマからの報告 2018年春その1 放射能の村に8回目のサクラ咲く    除染業…

 2018年4月16日から18日にかけて、福島県飯舘村を訪れた報告を書く。  東京から約3週間遅れ…

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フクシマからの報告 2018年春その2 今なお続く政府の初動ミスの後遺症   無意味…

 2018年4月16〜18日、福島第一原発事故のもっとも深刻な汚染を受けた福島県飯舘村を訪れた報…

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フクシマからの報告 2018年晩秋     高濃度の汚染地帯に入る         雑木と雑草にのみこまれていく集落

2018年12月、福島県浪江町の山間部、国道114号の沿線約27キロを取材に訪ねた。 ここは、福島第一原発事故からあと3ヶ月で丸8年が経つというのに、高線量の汚染のため今なお立ち入りが禁止されている。住民の帰還はもちろん、除染すらまだ手付かずのままだ。 つまり、2011年3月、福島第一原発から出た高濃度の放射性物質のプルーム(チリの雲)が押し寄せ、地表に落ちたまま、すべてが止まっているのだ。 この国道は、太平洋に注ぐ「請戸川」に沿っている。阿武隈山地の水源から、太平洋岸

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フクシマからの報告 2018年晩秋その2  避難先に根をおろし料理人の夢を追う   …

2011年3月の福島第一原発事故の直後に被災地に取材に入った当時から、ずっと連絡を絶やさない…

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フクシマからの報告 2018年晩秋その3  原発内で働いていたからこそ思う     …

前回の記事に続いて、渡辺さん親子の話を書く。今回は父親の理明(まさあき)さん(48)であ…

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<フクシマからの報告>2020年夏  「私はモルモットでいい」        放…

 福島第一原発事故でもっともひどい放射性物質の汚染を浴びた村に住み続け、自分や自宅の被曝…

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フクシマからの報告 2020年秋    廃墟の街に出現した「伝承館」     外に広…

2020年9月20日、福島県双葉町に「東日本大震災・原子力災害伝承館」が開館した。私も同年10月…

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「東日本大震災・原子力災害伝承館を  取材してnoteに投稿すれば      15万…

「東日本大震災・原子力災害伝承館を取材してnoteに記事を投稿すれば、15万円と交通費を払う…

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フクシマからの報告 2020年秋    伝承館の中に本物の原発災害はない  その外側…

 これから数回にわけて、福島第一原発事故直近の被災地の報告を書く。  まずは福島県双葉町…

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フクシマからの報告 2020年秋    「もう村は元には戻らない」       故郷の再建に9年7ヶ月奮闘した村長  マスコミが無視した真意を聞く

 2020年10月26日、福島県飯舘村村長だった菅野典雄(かんの・のりお)さん(74)が、6期24年の任期を終えて引退した。自分の意思で選挙に出馬せず、任期切れで村長を離任する形を取った。新しい村長には、村職員だった杉岡誠さん(44)が無投票で当選した。  菅野さんの村長としての最後の9年7ヶ月は「福島第一原発事故で放射性物質に汚染されたふるさとを再建する」という極めて困難な仕事が課せられた。それも、強制避難で6年間無人になって荒れていた村の再建である。  本題に入る前に

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