マガジンのカバー画像

福島第一原発事故被害地からの報告

75
福島第一原発事故発生の2011年3月から被害地現地に足を運んで取材と記録を続けています。その記事を集めました。もっとも古いのは2015年までさかのぼれます。 現地取材に通う交通… もっと読む
運営しているクリエイター

#福島第一原発事故

ALPS水海洋排水・政府が隠したストーリー   フクイチから海洋排水できなければ  …

 2023年8月24日、東京電力と日本政府は福島第一原発から「ALPS処理水」の海洋への放出を始め…

1,500

フクシマからの報告 2024年冬    原発事故の汚染で封鎖され13年    眠りから…

「小さくても良い浜」=「小良ヶ浜」と書いて「おらがはま」。つまり「オラ(自分)の浜」。そ…

2,000

フクシマからの報告 2023年春    原発事故12年目の被害地       消えゆく…

福島第一原発事故が始まって12年目の2023年3月11日の前後数日、私は原発事故被害地を訪ねて回…

1,500

菅直人・元総理がふりかえる福島第一原発事故最初の25時間(上) 地震後2時間半で…

 拙著「福島第一原発 メルトダウンまでの50年」(明石書店)を取材する過程で「会って話を…

3,000

菅直人・元総理がふりかえる福島第一原発事故最初の25時間(下) 自分が決裁しなけれ…

3・11当時の総理大臣だった菅直人・衆議院議員へのインタビューの後半を報告する。  この…

3,000

福島第一原発復旧工事で白血病にかかった作業員に聞く「おれたち作業員は捨て駒なのか…

 福島第一原発事故で漏れ出した放射線で、健康被害が起きるのか。起きるとしたら、どんな病気…

3,000

桜咲く山里に村人は帰れるのか(上)3000本植樹 帰村への執念はなぜ

 2017年4月23日、私はサクラの花がほころび始めた福島県飯舘村を訪れた。標高約500メートル、阿武隈山地の高原の村である。 除染され土が入れ替えられた田畑の上でサクラがほころび始めた。(2017年4月23日 福島県飯舘村で)  実はそのちょうど6年前、2011年4月22日にも、私は同じ村にいた。30キロ以上離れた福島第一原発から飛来した放射性物質の汚染のため、全村民約6500人に避難命令が出た日だった。満開のサクラの下、避難のバスに乗る村人の行列をあちこちで見た。道路

有料
500

フクシマからの報告(下)「カネは人を変えてしまう」原発事故が引き裂いた山村の絆

 2017年春、福島第一原発事故の被災地を訪れた取材記録の3回目を書く。今年3月末、政府…

500

フクシマからの報告(中)政府が「避難指示解除」して1年経っても住民が戻らない理由

 前回に引き続き、政府が「避難指示」を解除した福島第一原発の周辺地域からの報告を書く。 …

500

放射能汚染で分断された街・富岡町からの報告 立入禁止区域内のほうが外より線量が低…

 2017年10月17日から20日まで、福島第一原発事故の被災地である富岡町から浪江町にかけての地…

500

今も故郷に帰れない富岡町民に聞く:6年以上 何も変わらない 知らぬ間に自宅は壊さ…

 前回の本欄で、福島第一原発事故による放射能汚染でできた「立入禁止区域」と「帰還可能区…

500

福島第一原発まで1キロ 放射能街道を行く〜原発事故が起きると街はどうなるのか

 福島第一原発を中心に「帰還困難区域」と政府が名付けたエリアが今も広がっている。  要す…

1,000〜
割引あり

家に戻れなくても「避難者」にカウントせず避難先の引っ越しは認めない      福…

 2018年1月12日、福島県いわき市の「泉玉露」地区にある仮設住宅団地で開かれた、新年のもち…

1,000

福島第一原発事故による強制避難が解除され1年 高原の村は除染ごみと家屋解体で激変 帰還した村民は1割

 今回は、2018年2月18日から20日、福島県飯舘村を再訪した報告を書く。2017年3月31日で同村住民への強制的な避難命令が解除され、およそ1年が経った。「避難解除」とは「除染が済んだので、住民は帰っていい」と政府が宣言したことを意味する。その後、村がどうなったのか、復興が始まっているのか、自分の目で確かめたかったのだ。 (2017年1月9日付 福島民報より)  結論を先にいえば、2011年3月11日当時約6500人いた村人のうち、帰ってきたのは618人にすぎない(2

有料
500