マガジンのカバー画像

福島第一原発事故被害地からの報告

75
福島第一原発事故発生の2011年3月から被害地現地に足を運んで取材と記録を続けています。その記事を集めました。もっとも古いのは2015年までさかのぼれます。 現地取材に通う交通… もっと読む
運営しているクリエイター

#ルポ

フクシマからの報告 2015.4.28 汚染地帯への帰宅2 福島第一原発事故から4年以上…

3,000

再訪原発難民2015 その2 諦観と達観 汚染された故郷に帰る

 福島第一原発事故後、山形県で出会った避難民の人々を再訪した報告の2回目である。福島県南…

300

桜咲く山里に村人は帰れるのか(上)3000本植樹 帰村への執念はなぜ

 2017年4月23日、私はサクラの花がほころび始めた福島県飯舘村を訪れた。標高約500メ…

500

フクシマからの報告(中)政府が「避難指示解除」して1年経っても住民が戻らない理由

 前回に引き続き、政府が「避難指示」を解除した福島第一原発の周辺地域からの報告を書く。 …

500

フクシマからの報告 2018年春その2 今なお続く政府の初動ミスの後遺症   無意味…

 2018年4月16〜18日、福島第一原発事故のもっとも深刻な汚染を受けた福島県飯舘村を訪れた報…

3,000

フクシマからの報告 2018年晩秋     高濃度の汚染地帯に入る         …

2018年12月、福島県浪江町の山間部、国道114号の沿線約27キロを取材に訪ねた。 ここは、福島…

3,000

フクシマからの報告 2018年晩秋その2  避難先に根をおろし料理人の夢を追う    野球少年中学生はいま結婚し父親に    渡辺さん親子の物語(上)

2011年3月の福島第一原発事故の直後に被災地に取材に入った当時から、ずっと連絡を絶やさない避難者が何人かいる。渡辺理明さん(48)はその一人だ。同年夏、山形県に避難していた福島県南相馬市の人たちを訪ねて回り、話を聞くなかで、渡辺さんと知り合った。 渡辺さんは、当時避難の宿舎として割り当てられた山形県寒河江市の温泉旅館の一室に私を連れて行ってくれた。8畳ほどの小さな和室に、渡辺さん夫妻と長女・次女・長男・次男の6人が生活していた。私の目にそれは海外ニュースで見た「難民」の生

有料
1,500

<フクシマからの報告 2020年春>  津波と原発事故で消えてしまった    JR富岡…

 東日本大震災による津波と原発事故で、消えてしまった街がある。福島県富岡町にあるJR富岡駅…

3,000

フクシマからの報告 2021年夏    「あれはすべて幻だったのか」      帰り…

 福島県・双葉町出身の俳人・中里範一さん(64)と知り合ったのは偶然である。  福島第一原…

3,000

フクシマからの報告 2022年春    11年間封印された街に入った     3・11直…

今年に入って、福島第一原発から10キロ圏内の封鎖があちこちで解除された。2011年3月11日の東…

1,500