マガジンのカバー画像

福島第一原発事故被害地からの報告

75
福島第一原発事故発生の2011年3月から被害地現地に足を運んで取材と記録を続けています。その記事を集めました。もっとも古いのは2015年までさかのぼれます。 現地取材に通う交通… もっと読む
運営しているクリエイター

#除染

フクシマからの報告 2023年春    原発事故12年目の被害地       消えゆく…

福島第一原発事故が始まって12年目の2023年3月11日の前後数日、私は原発事故被害地を訪ねて回…

1,500

<フクシマからの報告3> 2015.8.3  炎天下 果てしない除染が続く

300

<フクシマからの報告5> 2015.8.6  自然に覆われゆく無人の村

300

再訪・原発難民 2015 その1    故郷はもう原発内と同じ        下血し…

 2015年7〜8月にかけて、福島第一原発事故の汚染を避けて避難生活を送る「原発事故難民…

300

再訪原発難民2015 その2 諦観と達観 汚染された故郷に帰る

 福島第一原発事故後、山形県で出会った避難民の人々を再訪した報告の2回目である。福島県南…

300

「放射性物質は原発外に出ない」に固執する国 福島第一事故の教訓は住民避難に生かさ…

 福島第一原発事故後、国はなにか政策を改めたのだろうか。事故の教訓は生かされているのだろ…

300

フクシマからの報告 2015年秋 「秋の山を削る 果てしない除染が続く」

有料
300

<フクシマからの報告> 2015年秋3 除染に覆い尽くされる村

300

<フクシマからの報告>2016年冬 朽ちていく山里の村

300

<フクシマからの報告>2016年春その1 花咲き乱れるふるさと 山削る除染

300

<フクシマからの報告>2016年春その2 そして誰もいなくなった山村で

300

桜咲く山里に村人は帰れるのか(上)3000本植樹 帰村への執念はなぜ

 2017年4月23日、私はサクラの花がほころび始めた福島県飯舘村を訪れた。標高約500メ…

500

フクシマからの報告(下)「カネは人を変えてしまう」原発事故が引き裂いた山村の絆

 2017年春、福島第一原発事故の被災地を訪れた取材記録の3回目を書く。今年3月末、政府…

500

フクシマからの報告(中)政府が「避難指示解除」して1年経っても住民が戻らない理由

 前回に引き続き、政府が「避難指示」を解除した福島第一原発の周辺地域からの報告を書く。  今春、飯舘村、富岡町、浪江町など、深刻な汚染で住民の自宅への帰還が制限されていた地区で「避難指示」が次々に解除された。「除染は終わったので、帰っていいですよ」という意味だ。では、住民は戻ってきたのか。それを知りたかった。  その「先例」として、一足早く昨年7月に避難指示が解除された南相馬市小高(おだか)区を訪ねてみた。同市南部で原発寄りの小高区は、20キロという人工的な線でざっくりと

有料
500