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福島第一原発事故被害地からの報告

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福島第一原発事故発生の2011年3月から被害地現地に足を運んで取材と記録を続けています。その記事を集めました。もっとも古いのは2015年までさかのぼれます。 現地取材に通う交通… もっと読む
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#フクシマ

フクシマからの報告 2015年秋 「秋の山を削る 果てしない除染が続く」

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<フクシマからの報告> 2015年秋3 除染に覆い尽くされる村

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<フクシマからの報告>2016年冬 帰れない汚染されたふるさと

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今も故郷に帰れない富岡町民に聞く:6年以上 何も変わらない 知らぬ間に自宅は壊さ…

 前回の本欄で、福島第一原発事故による放射能汚染でできた「立入禁止区域」と「帰還可能区…

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フクシマからの報告 2018年春その1 放射能の村に8回目のサクラ咲く    除染業…

 2018年4月16日から18日にかけて、福島県飯舘村を訪れた報告を書く。  東京から約3週間遅れ…

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フクシマからの報告 2019年冬    全村避難解除から2年         自然の…

2019年2月中旬、福島県飯舘村をふたたび訪れた。いつも通り、村の四季の自然をカメラに納める…

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フクシマからの報告〜2019年冬    佐野ハツノさんをしのぶ        原発事故から8年          事故当時を知る人々が        力尽き・病気になり・亡くなる現実

佐野ハツノさん(冒頭の写真)が亡くなった、とインターネットのニュースで知った。頭をいきなり殴られたような衝撃だった。しばらくパソコンの前で体を動かせなくなった。取り返しのつかない失敗をした。なぜもっと早く会いに行かなかったのだ。自分を責めた。2017年秋のことだ。 70歳。がんだったという。 ハツノさんは、福島県飯舘村で農業を営みながら民宿を開いていた。同村は、阿武隈山地の標高500メートルに広がる山村だ。福島市からクルマで約1時間。「飯樋」(いいとい)という集落からさら

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原発事故避難者の数を少なく見せる   政府の統計のトリック         これ…

<この記事のまえがき>  福島第一原発事故8年目の2019年3月10日前後に流れるインターネット…

フクシマからの報告 2019年春    山間部は高線量・海岸部は無人     中心部…

 福島第一原発事故で放射能汚染を浴びた福島県の地域はいまどうなっているのだろう。そこに住…

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<フクシマからの報告 2020年春>  津波と原発事故で消えてしまった    JR富岡…

 東日本大震災による津波と原発事故で、消えてしまった街がある。福島県富岡町にあるJR富岡駅…

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フクシマからの報告 2021年夏    俳人・中里夏彦さんが語る原発事故・下 頭では…

前回の本欄で、福島県・双葉町出身の俳人・中里夏彦さん(64)のお盆のお墓参りに同行した報告…

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<フクシマからの報告 2021年秋>    やはり放射性物質を運んでいた     福…

今回、JR常磐線の車両に付着した放射性物質の実測データを入手したので、記事を無料で公開する…

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フクシマからの報告 2022年冬 原発事故被害地の農業は どれぐらい回復したのか? 福…

今回のテーマは「福島第一原発事故被害地の農業はどれぐらい回復したのか」である。 福島第一…

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