マガジンのカバー画像

福島第一原発事故被害地からの報告

75
福島第一原発事故発生の2011年3月から被害地現地に足を運んで取材と記録を続けています。その記事を集めました。もっとも古いのは2015年までさかのぼれます。 現地取材に通う交通… もっと読む
運営しているクリエイター

#南相馬市

<フクシマからの報告5> 2015.8.6  自然に覆われゆく無人の村

300

再訪・原発難民 2015 その1    故郷はもう原発内と同じ        下血し…

 2015年7〜8月にかけて、福島第一原発事故の汚染を避けて避難生活を送る「原発事故難民…

300

再訪原発難民2015 その2 諦観と達観 汚染された故郷に帰る

 福島第一原発事故後、山形県で出会った避難民の人々を再訪した報告の2回目である。福島県南…

300

フクシマからの報告 2015年秋 「秋の山を削る 果てしない除染が続く」

300

「もうふるさとは100%元に戻らない」元町長が語る 故郷が放射能で汚染されるとい…

 福島県南相馬市小高(おだか)地区の自宅に、江井績(えねい・いさお)さん(74)を訪ねて…

3,000

フクシマからの報告(中)政府が「避難指示解除」して1年経っても住民が戻らない理由

 前回に引き続き、政府が「避難指示」を解除した福島第一原発の周辺地域からの報告を書く。 …

500

フクシマからの報告 2019年春    山間部は高線量・海岸部は無人     中心部だけが新築ラッシュ       まるで「復興ショウルーム」のよう

 福島第一原発事故で放射能汚染を浴びた福島県の地域はいまどうなっているのだろう。そこに住んでいた人たちはいま、どこで、どうしているのだろう。街は村は、どうなったのだろう。現地を自分の目で見て、当事者たちに会って話を聞く。それを報告・記録していく。それが、私が2011年春からずっと続けている作業である。  今回も、2019年3月15日〜19日、福島県南相馬市・飯舘村・浪江町などを訪れた。8年間で現地での取材が何回目になるのか、もう数え切れなくなった。50回は楽に超えていると思

有料
3,000

フクシマからの報告 2019年春    息子と娘の甲状腺にのう胞としこり   医師「…

私は、2011年3月の福島第一原発事故直後から8年間、故郷から他県に脱出し、避難生活を送る人…

3,000

フクシマからの報告 2019年春    原発事故難民3人を再訪       帰郷・失…

ここに一枚の写真がある。福島第一原発事故から約半年後の2011年9月5日、山形県米沢市で撮影し…

3,000

<フクシマからの報告>2020年春   「人が戻らない」 再開3〜4年     事故…

 2011年3月11日に始まった私の福島第一原発事故取材は、9年目に入った。  今回の論点は「か…

3,000

フクシマからの報告 2021年春    震災10年目の3月11日 被災現場に行った  津…

 東日本大震災から10年の2021年3月11日、福島県浜通り地方(太平洋沿岸部)のかつての「強制…

3,000