マガジンのカバー画像

福島第一原発事故被害地からの報告

75
福島第一原発事故発生の2011年3月から被害地現地に足を運んで取材と記録を続けています。その記事を集めました。もっとも古いのは2015年までさかのぼれます。 現地取材に通う交通… もっと読む
運営しているクリエイター

#浪江町

フクシマからの報告 2019年春    原発から8キロ            6年間強…

 福島第一原発事故で強制避難の対象になった20キロラインの内側だった町村はいま、どうなって…

3,000

フクシマからの報告 2020年秋    廃墟の街に出現した「伝承館」     外に広…

2020年9月20日、福島県双葉町に「東日本大震災・原子力災害伝承館」が開館した。私も同年10月…

3,000

フクシマからの報告 2020年秋    商店街・モール・ボウリング場…     町が…

今回は2回に分けて、福島県浪江町の現状を写真を中心に報告したいと思う。 2011年3月11日の福…

3,000

フクシマからの報告 2020年秋    沿線30㌔廃墟が続く 山街道を行く  人口帰還…

前回に続いて、福島県浪江町からの報告を書く。 上巻は同町の平野部・海岸部の市街地の様子を…

3,000

フクシマからの報告 2021年春    震災10年目の3月11日 被災現場に行った  津…

 東日本大震災から10年の2021年3月11日、福島県浜通り地方(太平洋沿岸部)のかつての「強制…

3,000

フクシマからの報告 2021年夏    「あれはすべて幻だったのか」      帰り…

 福島県・双葉町出身の俳人・中里範一さん(64)と知り合ったのは偶然である。  福島第一原…

3,000

フクシマからの報告 2021年夏    俳人・中里夏彦さんが語る原発事故・下 頭では帰れないとわかっていても    心は帰りたいと願い続ける       奪われたふるさとの記憶

前回の本欄で、福島県・双葉町出身の俳人・中里夏彦さん(64)のお盆のお墓参りに同行した報告を書いた。 中里さんが生まれ育った家は、福島第一原発から西に5キロ(道路沿い。直線距離で3キロ)にある。噴き出した放射性物質の雲(プルーム)の直撃を浴び、10年後の現在も立ち入りが禁止されている。いやそれどころか、双葉町全体が人口ゼロの無人地帯である。  2021年8月13日に撮影した冒頭の写真でもわかるように、今も除染すら手つかず、毎時5.08マイクロSVと原発事故前の100倍を超

有料
3,000