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福島第一原発事故被害地からの報告

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福島第一原発事故発生の2011年3月から被害地現地に足を運んで取材と記録を続けています。その記事を集めました。もっとも古いのは2015年までさかのぼれます。 現地取材に通う交通… もっと読む
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#福島県

フクシマからの報告 2023年春    原発事故12年目の被害地       消えゆく…

福島第一原発事故が始まって12年目の2023年3月11日の前後数日、私は原発事故被害地を訪ねて回…

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<フクシマからの報告>2016年春その1 花咲き乱れるふるさと 山削る除染

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放射能汚染で分断された街・富岡町からの報告 立入禁止区域内のほうが外より線量が低…

 2017年10月17日から20日まで、福島第一原発事故の被災地である富岡町から浪江町にかけての地…

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今も故郷に帰れない富岡町民に聞く:6年以上 何も変わらない 知らぬ間に自宅は壊さ…

 前回の本欄で、福島第一原発事故による放射能汚染でできた「立入禁止区域」と「帰還可能区…

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放射能が襲った悲劇の山村で見つけた  雪と氷が作り出す自然の造形美     これ…

 福島第一原発事故で、全村民約6500人が強制的に避難させられる悲劇に見舞われた福島県飯舘村…

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原発事故汚染地帯を歩いて考えた   避難解除されたからといって      小中学…

 いきなりで恐縮だが、こんな言葉から始めよう。 「人々を動かす一番重要な要素は、事実で…

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フクシマからの報告 2018年晩秋     高濃度の汚染地帯に入る         雑木と雑草にのみこまれていく集落

2018年12月、福島県浪江町の山間部、国道114号の沿線約27キロを取材に訪ねた。 ここは、福島第一原発事故からあと3ヶ月で丸8年が経つというのに、高線量の汚染のため今なお立ち入りが禁止されている。住民の帰還はもちろん、除染すらまだ手付かずのままだ。 つまり、2011年3月、福島第一原発から出た高濃度の放射性物質のプルーム(チリの雲)が押し寄せ、地表に落ちたまま、すべてが止まっているのだ。 この国道は、太平洋に注ぐ「請戸川」に沿っている。阿武隈山地の水源から、太平洋岸

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フクシマからの報告 2019年春    原発事故難民3人を再訪       帰郷・失…

ここに一枚の写真がある。福島第一原発事故から約半年後の2011年9月5日、山形県米沢市で撮影し…

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<フクシマからの報告 2020年春>  津波と原発事故で消えてしまった    JR富岡…

 東日本大震災による津波と原発事故で、消えてしまった街がある。福島県富岡町にあるJR富岡駅…

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<フクシマからの報告>2020年夏  「私はモルモットでいい」        放…

 福島第一原発事故でもっともひどい放射性物質の汚染を浴びた村に住み続け、自分や自宅の被曝…

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フクシマからの報告 2020年秋    商店街・モール・ボウリング場…     町が…

今回は2回に分けて、福島県浪江町の現状を写真を中心に報告したいと思う。 2011年3月11日の福…

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フクシマからの報告 2020年秋    沿線30㌔廃墟が続く 山街道を行く  人口帰還…

前回に続いて、福島県浪江町からの報告を書く。 上巻は同町の平野部・海岸部の市街地の様子を…

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フクシマからの報告 2021年冬      10年前見た行方不明の家族を探すチラシその…

2021年3月で福島第一原発事故の取材を始めて10年が経つ。その10年の間、ずっと気がかりであり…

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フクシマからの報告 2021年冬    渋谷区より広い核のゴミ捨て場が  4500人のふるさとをのみこんだ    撤去されるのは2045年        帰還人口2.5%の大熊町を歩く

福島第一原発事故の被災地に行けば、延々と続く黒いフレコンバッグの山を目にしないことはない(下の写真は2014年5月14日、福島県大熊町で)。 中身は除染ではぎとられた汚染土や、解体された家屋の廃材である。福島第一原発の原子炉から噴き出し、一帯を汚染した放射性物質が含まれている。 政府は、住民を強制避難させている間、ばらまかれた放射性物質を除染し、それが済むと「帰ってよろしい」と避難を解除した。 除染で出た汚染物を詰め込んだフレコンバッグは、しばらく現地に積み上がられてい

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