知りたい時が学び時
図書館でNISAの本を借りた。
何を今更?と思われるかもしれないが、
自分でもそう思う。
NISAが始まったタイミングで、ネットやテレビ、新聞などのメディアがこぞってNISA特集を組んでいた記憶がある。
まあ、おおまかには理解しているつもりで、最近NISAの制度が少し変更したことも知識としては知っていた。
変更点もなんとなく把握していたつもりだった。
もう言葉として市民権を得ているNISAは、本屋に行くともうコーナーがあるほど我々の生活に溶け込んでいる。
にも関わらず、知ったような風になっているだけで、本当は全然わかってない私に、銀行や信用金庫、ネットの広告、うっすい知り合いが、NISAやってますか?と聞いてくる。
愛想笑い、ははは、あーね、うんうん、やってますー?このローテーションで切り抜けてきていたが、ちょっとほんまにNISA知りたいかも、と急になった。
特に理由はなく、投資に回せるお金ができたわけでもない。
NISAを理解したところで、NISAに回せるお金はないかもしれない。
というか、多分ない。
でも、このタイミングを逃すと一生、知ろうとしないと思い、本を買えばいいのだが、わかってもないくせに、そのお金をNISAに回したいと思い、図書館で借りることにした。
うっすら、ふんわり、おおまかに、ざっくり、概要だけ、大枠だけ、知った風でいるのと、専門家の人がわかりやすく書いてくれている文章とでは理解度に雲泥の差があることはわかってはいたが、思っていたより理解できた。
「こらやらなあかんわ」と普通に思った。
「回すお金がないとか言ってる場合じゃないやん」と心の底から思った。
ただ、この文章もそうなのだが、NISAに触れようと思うと、必然的に「NISA」というワードを書かないといけなくなる。
借りた本ももちろんそうで、このワードを見るたびに、
N→なんで
I→いま
SA→さら?
と言われている気になってしまった。
そらそうなんよ。
私もそう思ってるんよ。
でも知りたい時が学び時やん。
知りたいって強く思った時が学習意欲が高まってるわけやん。
今やることに意味があるんよ。
気づいただけで素晴らしいんよ。
NISAってワード見るたびに、そう思い続けて、心の中で言い返していたら、
NISAって文字が
N→なんでも
ISA→いーさ
と見えるようになった。
年単位の遅れを、このバカバカしいほどのポジティブさで、取り返したいと思っている。
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