小説 アンチ反重力マシン

 わたしがファンをしている漫画家の先生が最近あんまり活動していなくて、なにかあったんだろうかと心配して会いに行くと(友達なので家を知ってるのだ)、

「もう漫画描くの辞めようかなって思ってるんだ」と深刻そうな顔をして言う先生。

 誰よりもご自身の漫画を愛していらっしゃるはずの先生がそんなことを言い出すなんてよっぽどのことがあったのに違いない。なんて声をかけたらいいのかわからず途方に暮れる。 

「なにかあったんですか、わたしで力になれるのでしたら」と聞くと、先生は話しづらそうに声を潜めながら、

「実は最近、漫画を描いてると浮いちゃうんだよね」

「それは……社会的にということ?」

「違うわ。社会的に浮くのが嫌だったらそもそも漫画家なんてなってないっての」

「それもそうですね」

「同意されるのもなにやら傷つく」

 失言であった。わたしははっと口元を押さえながら、

「すみません。でも先生が何を言ってるのか全然わからなくて。いえ、先生が何を言ってるのかわからないのは昔からなんですけど、輪をかけてというか」

「そんなにわかんないことある? 百聞は一見にしかずだ。見てもらおうか」と先生がタブレット用のペンを持って板タブに線を引き始めると、先生の体がふわふわと宙に浮き始めたではないか。びっくりする。

「不思議なこともあるもんですねえ」

「順応が早いね」 

「でも先生の書いてる漫画って大体そんな感じの内容の漫画じゃないですか。それがご本人の身に起こったとしても不思議ではないですよ」

「そういうもん?」

「先生の漫画はだいたい突拍子もない現象が起こって主人公が困惑する様子がひたすら描かれていますから、それが先生ご自身の身に起こったというのは、ある意味で因果応報と言いますか……」

「わたしはなにをやっちゃったんだよ」 

 先生が眉をひそめる。でもわたしは、作家というのは自分の書いたことがやがて自分の身に降り掛かっても仕方のないような人種だと思っているので、どちらかというと正論を言ったつもりである!

「とりあえず椅子に体を縛り付けてはどうでしょう?」

「いや、そうすると今度は椅子ごと浮かんじゃうんだ」

「重りをつけてもその具合は変わりませんか?」

「変わんないね。たぶん反重力的な力が働いてるんだと思う」

「めちゃくちゃ言ってますねえ」

 何だかおかしくなってわたしは笑った。

「これをネタにエッセイ漫画が描けますね」

「これエッセイ漫画に描いたら完全にフィクションのエッセイ漫画になっちゃうよ。でもいけるかな。いけると思う?」

「いけないと思います」

 とはいえこんな調子では漫画を描くことなんてできないだろう。

「うーん、こういう時は逆に、先生の漫画みたいな展開を考えるのが一番早いと思うんですよ」

「つまり?」

「たぶん、インターネットを検索すると、この反重力を失わせる装置が売ってる……という展開でしょう」

 そうひらめいて、スマホで「アンチ反重力マシン」みたいなタイトルで検索すると、本当にそんな名前の装置がヒットした。

「見てください先生。三千円で買えます」

「送料込み?」

「込みです」

「三千円で買えるアンチ反重力装置はいくらなんでもインチキじゃん? わたしが昔一万円で買った、『かいわれ大根にありがとうと言い続ける装置』も結局インチキだったし」

「まあ三千円だったらインチキでもいいでしょ……そんなの買ったんですか?」

「買ったよ。再収穫することのできる植物にはまってた時だったから」

「はまんない方がいいですよ」

「今はバジルを再生することにはまってるんだ」

 それで通販でアンチ反重力マシンを取り寄せた。

 先生のそばにマシンを置いてスイッチを入れると、アンチ反重力マシンはにわかに七色に輝きだしたかと思うと、先生がふわふわ宙に浮かびだすのをあっさり止めてくれたではないか。

「すごい」

「すごいけどこれどういう仕組みなんだろ」

「先生、そこはあまり深く追求しない方がいいです」

「そうかな」

「追求するとたぶん、なんかダメになってしまう気がします」

「そういうもん?」

「はい、そういうもんです」

 それで先生はまた漫画が描けるようになって、アンチ反重力マシンを使っているうちに、先生自身の反重力能力も少しずつ衰えていって、やがて完全になくなった。

 わたしは先生が漫画を描けるようになって嬉しい気持ちでいっぱいだったのだけれども、

「先生、最近は宙に浮きませんか」

「期待してるようなこと言ってるんじゃないよ。もう漫画描いてやらんぞ」

「いや、はい、ごめんなさい、描いてください」

 それはそれとして、また似たような現象が起こってほしい、という気持ちも、無いではないのだった。