小説 ゾンビになりつつある友達

 ゾンビになりつつある友達が、「もう限界だからきみもゾンビになっちまったほうがいいよ」と言う。もうすぐバリケードが破られて、ゾンビが押し寄せてくるかもしれない、ということを踏まえているのだ。

「今ならぼくは優しく噛んでやれるぜ」

「噛まれるのに優しくも強くもないもんさ」

「あるよ」と友達。

「ゾンビだってやっぱり、優しく噛んでやりたいもんさ」 


 ある日ゾンビがやってきて、あっという間に囲まれてしまったのだ。逃げ出す暇もないままショッピングモールに追い詰められた。食料は少なく、備蓄倉庫までの廊下にはゾンビがうようよしている。満月の夜にサンゴの産卵した卵みたいにうようよしている。

「だから今のうちに噛んどいてあげるよ。人間のままゾンビの前に出ると、我先に噛まれてしまって痛いだろうから」

「まだいいさ」 

 噛まれてからゾンビになるまでだいぶ時間かかるタイプのウイルスらしかった。だが残された時間はどれくらいなのだろう? 一日? 三日? 一週間? 噛まれても一向に気が付かないうちに老衰してしまって、あともうちょっとでくたばってしまう、という間際にゾンビになるようなウイルスだったら、感染してもいいなという気持ちはあるけれども、たぶんそんなに都合のいいことはないだろう。 

 わたしたちはみんなある日突然ゾンビになる。苦しみや悲しみの一切を引き連れて、おびただしい血の臭いとともに。

 その夜も友達と一緒の布団で寝た。布団といっても段ボールとタオルを敷いただけのものだ。友達はいつゾンビになってしまうかわからないし、目が覚めたらわたしは噛まれているのかもしれないけれども、どうせ人生が終わるのは常にそんなふうにしてだろう。人々は誰も自分がいつ終わるのかわからないのだ。

「そろそろぼくはゾンビたちの方へ行こうか。ぼくなら行っても噛まれないだろうから」

「いや、いいよ、ここにいてくれ」

「寝ている間に、きみを噛んじまうかもしれないんだぜ」

 どうしたらいいのかはわからなかった。たしかな答えはどこかにあるような気がしたが、それはわたしにはたどり着けないところにあるということだけはわかっていた。 

 壁を通してゾンビたちのうめき声の聞こえる夜、そんな夜をもう何日も過ごした。「枕のずっと下に地獄があるんだよ」と親に脅かされた子供時代のように、この床の続いている先にはゾンビがいる。地獄とは違って、それは間違いのないことなのだ。 

 これが最後の夜かもしれない。明日になればみんなのことがわからなくなってしまうかもしれない。人間は最後には、この地上からいなくなってしまうだろう。最後の人間になることに何の価値もなくなってしまうだろう。そういうときに、まだ人間でいるということに、何の意味があるのだろう、ということを考える。

「いいよ。そこにいてくれ」

 誰かが、わたしではない誰かが、そこにいるということの意味を。 

 友達は、友達特有の、喉の奥が窒息したような笑い声を低く立てながら、

「そうか」と頷いた。

 友達の手を握った。手は冷たかった。どんどん、どんどん冷たくなっていって、そのうちになにも感じなくなってしまうだろう。そうなる前に、わたしたちがまだ人間であることのうちに、きみやわたしが人間であることの時間を夢に見ていよう。

 いつまでも。眠れないように。