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僕と「ジョー・力一のラジオ深夜32時」:嘘6割

 みなさんこんばんは。〻ゞです。
 前回の投稿ではひどくご迷惑をおかけしました(読んでるか読んでないかは別として)。安易にこんな表現をするのもアレですが、所謂「病み期」のことを思い出しながら書いていたので、非常に読み辛い文章となってしまいました。感情が変な方向に昂ってしまうと口語体で文章を書いてしまう癖があり、かつ愚痴で満ち満ちた冗長なものになってしまったのが敗因です。悔しいねェ。おかげで一番書きたかったことが霞んでしまいました。

 さて、それから約3か月。僕の住む地域では雪が積もり始め、僕の身長を優に超えました。自転車をこぐマスクの中は水滴でビショビショです。眼鏡を真っ白にしながら、今日は嘘6割で参りましょう。よりによって高いな~

① 「ジョー・力一のラジオ深夜32時」との出会い

 出会いというか、まあこのラジオが始まる頃には既にジョー児だったのですが、Twitterかなんかで告知を見たときの胸の高鳴りをよく覚えています。
 当時の僕は研究と院試に追われ、千鳥足のてんてこ舞い、二の足を踏んでは一歩進んで二歩下がる、といった状況でした。そんな二進も三進もにじもさんじも行かない僕にとって、「推しが土曜の朝8時から2時間ラジオ配信をする」というのは本当にありがたかったです。休日の初手、朝8時なんて早起きできるに越したことはありません。うだうだ寝ていてうっかり正午、みたいな生活を送っていた自分にとって、早起きする理由が生まれた瞬間でした。
 また、それまで「続きものを途中から聴く」のが苦手なため「りきいちファーム」や「舞本力一」(20230129追記: こんなちゃんと字を間違えることもあるのね。舞「本」→舞「元」です、ゴミンニ)、「ばったりラジオ」を聴くのを躊躇っていたのもあり、何の気兼ねもなく聞き始めることができるのが言いようもなく幸せでしたね。

 さて初回配信が始まるぞと全裸待機をして(朝シャン派なので文字通り全裸ではあった)えいと意気込んでPCを開くと、サムネに映るは真白の太陽から広がる虹色の光をバックにひょうきんな顔をするピエロ(自称正体不明)。一体どんなラジオになるのかと意気込んで息を吞みましたね。
 まあ、普通にめっちゃいいラジオが始まったんですけど。

 そもそもラジオをあまり聞いてこなかったのもあるのですが、リスナーの悩みや無茶ぶりに丁寧に応え、話を広げ、心地よいところに着地し、時にはカウンターパンチを打ってくる。まるでじょりきちとの距離が近くなった気がして、変に浮足立った気持ちになっていました。
 あとやっぱり僕はお悩み相談に対してのじょりきちの立ち位置が好きなんですよね。これは以前どっかの投稿でも触れましたが、近すぎず遠すぎず、あくまでも「他人」であることを前提としながらも最大限に寄り添って考えるじょりきちが好きです。リスナーからの相談だからこそ、影響を与え過ぎない距離感がはっきり見えているというか。「〇〇するべきだ!」という明確な助言をくれる人よりも、弱みを見せてもいいという安心感から相談が止まないのでしょうね。1時間くらい相談乗ってくんねーかな(ハナホジ

② 〻ゞ、おたより投稿はじめました

 そんな僕の中にムクムクと湧き起こった衝動。
「おたより、読まれたくね?」
 そう、おたよりを読まれたくなったのです。というか、合法的に推しに名前を呼んでもらえる。ヤバくない?
 こんな不純な動機(逆に"純"な動機は何なんだ)もありましたが、もうひとつ動機というか考えがありました。それは、「自己の拡張」です。これもどっかの投稿で触れましたが、自分の考えや内面をインターネッツの海に放流し、外界へと広げていきたいという欲求が僕にはあります。「死」によって自分の存在が消えてしまうことが怖い、一過性の思考が消えてしまう前に現世と繋ぎとめておきたい、という自分の思考に対するもったいない精神とでもいうのでしょうか。
 そんな僕にとっておたよりが採用されるということも「自己の拡張」のひとつであり、しかも頭の隅にごちゃついていた「面白いことを言いたい欲」も消化できるし、先述したように推しに名前を呼んでもらえる。一石三鳥の行為です。クッソ不純やないかい。

 とまあそういったいきさつでおたよりの投稿を始めました。採用されるのが嬉しくて、採用された回だけの再生リストも作っちゃいました(これに関しては我ながらキモイ)。こうして、このラジオは僕の最大の娯楽となっていきました。

③ 最低な自意識に気付き、距離を置く

 そうしておたよりの投稿を始めた僕。そんな僕に、とても醜い思考が生まれてきました。
「おたより、採用されないな」
 実際はこの一歩先の思考をしていたのですが、酷すぎて書きたくありません。今考えると非常に恥ずかしく、失礼で、無礼で、無粋な考えでした。リスナーの風上にも置けない。本当にあり得ない、小汚い自意識。

 この感情になんとなく気づきつつもおたよりの投稿を続けていましたが、ふとどこかのタイミングで投稿する気力が無くなってしまいました。ここで初めて、自分が間違った向き合い方をしていることに気づいたのです。遅すぎる気づきでした。悔やんでも悔やみきれません。本当に恥ずかしい。

 それまで毎回投稿していたおたよりを、隔回、3回に1回、気が向いたら…と無理せずフラットな気持ちで送れる頻度まで下げ、ラジオ自体とも少し距離を置き始める。それが僕なりのリハビリでした。

 ちょうどその頃から、じょりきちが多忙になりラジオが不定期になり始めました。見えないなにかから頭を冷やせと言われているようで。

④ そして迎えた最終回

 約週1で推しの声を聴いていたら、疲れてるかどうかなんてちょっとは分かります。そんな杞憂の種を一粒抱えてはいたのですが、まさか本当に不定期になるとは思っていませんでした。ただ、膨大な数の中からおたよりを選んで、枠立てて、2~3時間しゃべり倒すことは僕なんかじゃ想像がつかないほど大変なことぐらい分かります。加えて配信はラジオだけじゃないときた。なんとなく感じていた終わりが、キリの良い第50回という明確なゴールとして顕現しました。
 本人の口からこの話題が出たとき、どこか申し訳なさそうな口ぶりで、逆にこっちが申し訳なくなってしまいました。これに関しては完全に僕の所感なのであれですが。

 そんなこんなで迎えた第50回。結局寝過ごしてリアタイはできず、夜にひとりでポケモンをしながら聴くことになりました。距離を置くことが功を奏したのか、不要な自意識はデトックスされ、ただただ推しの配信を楽しみにしているいちジョー児として聴くことができました。正直めちゃめちゃ面白かったです。最終回とは思えない、いつもどおりのりきいち深夜32時が、そこにはありました。

 最後のお歌の時間。カズーめっちゃ気に入ってんな、とか最初は思っていましたが、そこからの「また逢う日まで」を聴いて、べちゃべちゃに泣いてしまいました。
 あーあ、向き合い方を間違えなかったら、もっと楽しめたのにな。
 恥ずかしいやら悔しいやら寂しいやらでくちゃくちゃになってしまって、その後はすぐ毛布にくるまりました。その日見た夢は覚えていません。

 別にリニューアルするだけなのに、本当にもう会えなくなってしまいそうで、このままどこかに消えてしまいそうで、本当に寂しかったです。
 まだいてくれてよかったあ。

⑤ おわりに

 とまあ「ジョー・力一のラジオ深夜32時」が一旦幕を閉じたのを受けて、他の書きたいことをすっ飛ばしてつらつらとド深夜に書いてみました。③とかを言語化するのがものすごく恥ずかしくて嫌だったけれど、これも含めて僕にとっての「#りきいち深夜32時」でした。ここから逃げてちゃいけないという自戒の念を込めて。

 リニューアル後の「ジョー・力一のラジオ 空昼ブランコ」も楽しみですね。僕はこのタイトル、バカ好きです。少しスカした感じもじょりきちらしくて非常にかわいい。年明けからと本人は言っていましたが、まあ無理のない範囲でのんびりやってくれたらと思います。

⑥ 最近の僕

 何かを作りたい欲がすごい。このnoteもそうだけど、絵とか、音楽とかに手を出したい。ファンアートを描いてみたりもしたいし、今頭の中で鳴っている音楽をそのまま取り出して形にしたい。
 作曲に関してだけど、ジョー児の方々は楽器が弾けたり、作曲できたり、音楽の造詣が深かったりと本当にすごいと感じる(小並感)。俺なんてcakewalkのセットアップで息切れしちゃってんだからもう。やんなっちゃう!
 絵に関しては最近まとまった絵を描いていないからっていうのもある。それこそ空昼ブランコのサムネとか、年賀状大喜利(これに関しては今年あるか分からんけど)とか、別に好きな漫画の絵でもなんでも、何か形にしたいな。
 最近「これしたい」「あれしたい」が溜まってきていて、一周回ってパンクしそう。でもやりたいことがあるのは凄くワクワクするし、生産性が担保されていて非常に心地いい。生きたいように無理せず生きるか!そうしよう!

 そんなこんなでこの文章を締めようかと思います。4000字近くも書いちゃった。てへぺろ。書くのに2時間半くらいもかかっちゃってる。これルーレットの画像の時間と登校時間の差分で執筆時間が出せるの恥ずかしいな、、、
 それではこんな長文に付き合っていただきありがとうございました。
 皆々様、よいお年を。


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