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読書#9-4「21 Lessons」著:ユヴァル・ノア・ハラリ

この記事の位置づけ

「21 Lessons」の読書録。以下の続き。真実の章での気づきを書く。

気づき(真実)

あなたは何を盗んだか

盗んではいけないという戒律は、盗むという行為が、自分の所有していないものを自らの手で物理的に持ち去ることを意味していた時代に考案された。

21 Lessons

 盗みというのは、相手のものを勝手に持ち出すことだ。それに対して特に異論のある者はいないだろう。しかし、現代ではそう単純にはいかない。知らない内に、知らないところであなたは誰かの資産を奪っている。

 この本の中での例えとして、石油化学企業に投資する例が記載されている。石油化学企業は毎年5%の配当をくれる。ただし、環境対策に無頓着な企業は、地域の空気を汚し、有毒な廃棄物を川に垂れ流す。

 このとき、企業が川を盗んだといえるか? さらに、投資した者は川を盗んだといえるか。

 知らなかったからよいのか。いや、そうとは言えない。著者は、知ろうという真摯な努力が必要だという。では、どれだけ努力すればよいのか。この本では、そういった知る義務に対する踏み込み方について言及している。

 世界が広がり過ぎた。そのおかげで私達は、いろんなところから恩恵を受けることができる一方で、いろんなところから奪えるようになった。それらは表裏一体で、密接につながっており、しかも複雑怪奇で全容の把握のしようがない。

 以前ツイッターで、某アパレル社のシャツは買わないということを宣言している人がいた。ウィグルの強制労働が問題になっている中、某アパレル社は、ウィグル製品を使用していることを、彼は問題視していた。安くて品質のいい製品の恩恵を受ける代わりに、遠方の民族から人権を奪う。その行為を嫌った決断だ。

 その真偽はどうあれ、彼は知るという真摯な努力をして決断した。では、某アパレル社で服を買う者はみな盗人だろうか。いや、みな、知らないだけだ。人は意外なことにニュースをあまり見ない。世の中で何が起こっているのかよく知らない。知らないということは責められることだろうか。

 私が問題だと思うのは、知る者から見ると、知らない者は盗人に見えるということだ。ここに分断が生じる。分断は争いを生む。ツイッターやコメント欄などでその光景を見る。これは不毛だ。一方は知らないのだから、永遠に溝は埋まらない。

 さらに性質がわるいのは、知る者が真実を知る者ではなく、嘘ごとを知る者、妄想を知る者、知ったかぶりの者であることが多いことだ。もはや何を言い争っているのかわからない。

 ただ、似非知る者同士の諍いは見世物としてはおもしろい。

大きすぎる世界の問題を私達は解決できない

人は二人の狩猟採集民の関係や、二十人の狩猟採集民の関係や、二つの近隣の氏族の関係は理解できる。だが、数百万のシリア人の関係や、五億のヨーロッパ人の関係や、互いに接触のある地球上のすべての集団や下位集団の関係を理解できるようにはなっていない

21 Lessons

 世界って広いよね、複雑だよね、わかんないよね、問題はあるけど大きすぎて解決なんてできないよね。

 ということ。

 言われてみれば当たり前のことだが、言われなければわからない。私達は、しばしば提示された問題は解決可能なものだという幻想に囚われてしまう。

 政治家という生き物は、その幻想を大きな声で叫ぶのが仕事だ。彼らの言葉を注意深く聞いているものほど勘違いしてしまう。世の中の問題のほとんどは解決不能などころか、そもそも理解不能だというのに。

 この本では、世界の問題(道徳的ジレンマ)に直面したとき、人は4つの解決手段をとるという。

 一つ目は問題の規模を縮小すること。様々な要因の絡まって起こった戦争を、善と悪に落とし込む。人は0と1くらいならば認識できる。

 二つ目は、小さな人間ドラマとしてとらえる。英雄がいて、その人がどんな苦難を乗り越えたか、どんな成功を収めたかという小さな物語をまるで全体であるかのように錯覚すること。なんといっても人はドラマが好きだ。

 三つ目は、陰謀論をでっちあげること。世界の出来事にはそれぞれ異なった原因がある。それらを把握するのは難しいので、背後にすごい悪の組織があって、全部そいつのせいとしてしまった方がわかりやすい。

 四つ目は、思考放棄だ。思考委託といった方がいだろうか。全知という触れ込みの理論か機関か支配者を信頼し、やみくもについていくこと。これは楽でいい。その先に希望があるのか絶望があるのかは保証しないが。

 恥ずかしながら、私はどれも覚えがある。問題は単純化するし、全体とは関係ない些末なドラマが好きだし、陰謀論も嫌いじゃない。そして、基本的には賢そうな人の意見に従う。

 私の読解力の問題もあるだろうが、この本の中で明示的に上記の問題への解決策を提示していない。淡々と冷静に分析をしているだけだ。実際、私には世界の大きな問題にアプローチする手段を持たないし、思いつかない。

 ただ、上記のような4つの矮小化した解決法を知ることには意味がある。自分がそこに陥っていないかどうかを確認するためだ。

 また、一つ、思考の分解能があがった、はずだと思っておく。

 

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