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【短編小説】土砂降りの雨が降る

8月、真夜中の銀座。
土砂降りの雨。
 
俺の車以外にタクシーはおらず、ただ一台俺だけコリドー街の近くの路地で無線待ちをしていた。
よく天気予報士が言う「バケツをひっくり返したような大雨」とは、今の状態を指すのだろう。
フロンドガラスを流れる雨水はもはや、粒ではなく、上から落ちてくる水の塊だ。
 
私は、アイコスをくわえ、ぼんやりと水に流れるネオンの灯りを見ていた。
 
少しの雨なら、売上が上がる。
しかし、土砂降りはダメだ。
こんなに暴力的な雨は、全くいただけない。
 
既に人通りは殆どなく、聞こえるのは、地面を叩きつける雨の音だけだ。
 
仕方ない…
 
仕方ないと、俺の人生で、何度言っただろう?
何もかも、上手くいかない。
 
**********
 
俺は、函館の家を出て、東京にやって来た。
二流だが、東京の大学に合格したからだ。
俺の専攻は、文学部だった。
 
俺は小説家になりたかった。
 
大学に行けば、小説家になれると思っていた。
努力さえすれば…
何とかなる、そう思っていた。
文学さえ、きちんと学べば…
 
何度も作品を書き、出版社に応募した。
何度やっても、俺の作品が本になる事はなかった。
 
大学で、文学を学ぶ。
同じゼミの仲間で、そんな事を考えているヤツはいなかった。
 
3年になると、みんな就職活動で忙しくしていた。
俺は、ただひたすらに小説に向き合い、苦しみながら、悩みながら、作品を生み出していた。
 
苦しかった。 つらかった。
 
大学を卒業した。
就職先のない俺は、アルバイトで食いつないだ。そして、空いている時間は全部、小説を書く事に充てた。
食わずに、飲まずに、ずっと、小説を書き続けた。
 
 
しかし、俺の作品が世に出る事はなかった。
 
 
去年の冬、事故は起きた。
その日、俺の両親は、妹の紗季のいる札幌の病院を目指し、車を走らせていた。
紗季は、俺よりも13歳も若い。しかし、生まれつき、心臓が弱く、これまでの彼女の人生の大半を病院のベッドの上で過ごしている。普通なら、高2の冬で、そろそろ進路を決めないといけない時期だ。しかし、紗季の進路は、生きるか、死ぬかしかない。それぐらい、紗季の心臓は弱っていた。
 
雪の峠道で、対向車線のトラックが、センターラインを越えてきた。
避け切れない親父の運転する車は、ガードレールを突き破り、崖下に落ちた。
親父もお袋も即死だった。
親父も、地元でタクシーの運転手をやっていた。
死ぬ直前まで現役で、「函館から札幌なんて、他の誰かが運転したヤツに乗るより、自分で運転していった方が安全だ。」と、言い放つぐらいに、運転には自信を持っていた。
しかし、自分は上手く運転できても、前を走ってくる車まで上手く走らす事は出来ない。
 
俺は途端に、悠長にしていられなくなった。
これまでは、自分の事だけ、自分が生活できれば、何とかなった。
 
しかし、両親が死んで、そうはいかなくなった。
保険金は少なく、両親が、紗季を入院させるために借りた金を返済すると、もう無くなっていた。
紗季の入院費を稼がなくてはならない。
 
俺は、タクシーに乗る事に決めた。
とにかく金を稼ぎ、毎月入院費の目途が立ったら、空いてる時間で小説を書く、そう決めた。
 
両親が死んで、紗季の容態は悪化した。
早く手を打たないと、まずい状態にまで、なっていた。
早く手を打たないと…
気持ちは急く。
 
 
**********
 
 
雨の音が煩わしい。
雨だが、気温は高く、恐らく今晩も熱帯夜だ。
外に立っていたら、この大雨の中でもきっと汗だくになるのだろう。
しかし、俺は寒かった。
エアコンを効かせた車内。
外との温度差は大きく、車の全部の窓を曇らせている。
寒い。しかし、暑いよりはましだ。
何しろ、北海道育ちだ。うだるような暑さに耐えられるようには、身体はできていない。
俺は、まくっているワイシャツの袖を伸ばし、ボタンをかけた。
 
時折、ワイパーを動かす。
ワイパーが通った時だけ、一瞬、視界が開ける。
 
誰もいない銀座。
路地は薄暗く、路地の先にある大通りを車が走らなければ、自分が今、どこにいるのかさえ、分からなくなってくる。
 
無線は、無音だ。
 
どうする?
 
シマを変えるか?
 
東京駅?新宿?渋谷?
 
俺は、とにかく車を動かす事にした。
 
東京駅へ向かう事にした。
 
車を昭和通りに出す。
 
雨足は弱まらない。
道には大きな水溜りができており、車が走る度に、酷く大きな水飛沫を上げる。
 
俺は、道の左を慎重に走った。
 
その時、無線が鳴った。
 
私は無線を取った。「銀座から習志野まで。」
うまい!待った甲斐があった。
急ぐ必要があった。
私はUターンして、車を急がせた。
 
左の舗道から、何か白いものが出てくるのが見えた。
雨のせいで、すぐに気づけなかった。
白いものは、私の車に向かって飛び込んできた。
私は、目一杯、ハンドルを切った。
 
車は中央分離帯のコンクリート壁に激突した。
 
 
**********
 
いつも通り。
何も変わりない、そう思っていた。
 
しかし、俺は死んでいた。
何故、分かったかだって?
何故なら、俺は空を飛べるようになっていたからだ。
 
東京の上空を飛んでいる。
 
俺の上には、大きくて、暗いグレーの雲があり、その雲から、大量の雨が落ちてきている。
しかし、俺は全然濡れていない。
どうした事だ?
 
俺の事故現場を上から見た。
十数台の警察車両が、赤いライトを回転させて、止まっていた。
コンクリート壁に激突して、エンジンルームが滅茶苦茶に壊れた俺のタクシーの回りで、黒く滑ったように鈍く光るレインコートを着た沢山の警察官が、現場検証をしている。
道路は、左の一車線以外は閉鎖され、警察官が交通整理をしている。
事故現場の後には渋滞ができ始めており、ヘッドライトが大粒の雨をキラキラと輝かせていた。
そこに俺の姿はない。多分、もう運ばれてしまったのだろう。
 
一台のパトカーの中に、白い病院着のようなものを着た少女がいた。
女性警察官が、寄り添っていた。
 
彼女を見た瞬間、俺には、彼女に何があったのかが、分かった。
 
彼女は、死のうとしたのだ。俺の車に飛び込んで。
 
彼女は、生まれつき、腎臓が悪いようだ。
辛く、痛く、長い病院生活。
しかも、治療を続けても治る見込みは、移植しかないらしい。
 
彼女は、自分の未来に絶望した。
そして、俺の車に向けて飛び込んだ。
 
彼女は助かった。
俺は死んだ。
 
俺は死んだ。
それなのに、何故、まだ、この世の上を飛んでいるのだろう?
 
分かった。
 
俺は、ドナー登録をしていた。
身体の部分で使えるところは全部、使ってもらえるように登録をしていた。
 
俺のボディは、病院に運ばれていた。
 
俺の死因は頭部挫傷だった。
だから脳味噌は使えない。
 
しかし、目も、心臓も、他の臓器も全部、誰かに移植できる。
 
俺の臓器が全部、取り出された。
 
腎臓は、彼女に届いた。
 
心臓は、俺の願い通り、紗季のもとに届けられた。
 
すぐに移植手術が始まった。
 
長い、長い時間がかかったが、紗季の手術は終わった。
 
それから数時間後、紗季は目覚めた。
 
良かった。俺は、紗季の目を見て、安心した。
 
そして、俺は、金色の天空へと、舞い昇って行った。
 
 

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