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無音が好きになった

身の回りの物を片付けていた時、何枚かあるCDも当然処分した。買い取り店へ持って行き、中でも好きだったアーティストのアルバムは全て持っていたので、思いの外高く買い取ってくれた。今は車の中でも無音で過ごしている。ずっと音に耳を委ねて来たので、最初は味気ない様な、何かが足りないような気がしていた。だがそれも「無音」が当たり前になると慣れて、心地良い落ち着く空間になった。なので、人の車に乗る時、走り出すと同時にかなり大きい音の音楽が流されて、正直「うるさいなぁ」と思うのだ。乗せて貰ってる手前、そんな事は言わないけれど。

音は、わざわざ何かを流さなくても聴こえている。鳥の囀り、風の音、話し声、笑い声、駆けていく足音。現代は何処へ行ってもBGMの洪水で、それをもう意識しない位自然な事の様になっている。

音と言えば、人の立てる音も不快だ。ペンをカチカチ、指で机をトントン叩く、これに貧乏ゆすりも加われば、その人に背を向けたくなる。こういう癖って皆にも嫌われるのに、意外と本人には指摘出来ないものだ。

薪が爆ぜる音、赤ちゃんの喃語、温かい拍手、梵鐘の音、落ち着いた穏やかな話し声。心地良い音だって、幾らでもある。私がいつか最後に耳にするのは、どんな音なんだろう。それは耳で捉えた音ではなく、遠い記憶の中の私の好きな音なのかも知れない。

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