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世界文学のアーキテクチャ

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グローバルに流通する文学作品の研究において、「世界文学」の概念が用いられるようになりました。もともとは産業革命期の19世紀に誕生したこのワードを手がかりに「小説」と「資本主義」の… もっと読む
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#世界文学のアーキテクチャ

第十三章 人間――悪・可塑性・人種|福嶋亮大(後編)

福嶋亮大 世界文学のアーキテクチャ 6、可塑性を利用する芸術家――オーウェルの『一九八四年』 架空の全体主義国家オセアニアを舞台とする『一九八四年』では、戦時下の党を率いるビッグ・ブラザーが、テレスクリーンを用いて社会の全体をくまなく監視している。真理省記録局に勤務するウィンストン・スミスは、過去の文書の改竄に従事しているが、やがて魅力的な女性ジュリアと出会ったことをきっかけに党の禁を破る。彼女との性的関係だけが、この息苦しい社会での唯一の避難所となるのだ。しかし、それは本

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第十三章 人間――悪・可塑性・人種|福嶋亮大(前編)

福嶋亮大 世界文学のアーキテクチャ 1、悪の発明――ラス・カサス的問題 文学にとって世界とは何か。私は歴史的な見地から、その問いを初期グローバリゼーションと紐づけた。世界とはたんに空間的な広さを指す概念ではなく、異質なものとの接近遭遇がたえず起こる場である。異なる歴史、異なる習俗、異なる人間との関係の集合体としての〈世界〉――その成立に欠かせなかったのが、アメリカ大陸へのヨーロッパ人の進出であり、「万物の商品化」を加速させる資本主義のプログラムであった。「世界文学とは新世界

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第十二章 制作――ハードウェアの探究|福嶋亮大(後編)

福嶋亮大 世界文学のアーキテクチャ 6、制作の哲学――他者性のオン/オフ 制作者は、素材=ハードウェアとしての他者を象る。これは他者性の創設である。しかし、この被造物が制作者と合一するとき、他者性はむしろ打ち消される。制作者にとって、素材の他者性はときにオンになり、ときにオフになる。さらに、制作者自身も自らの制作物の魅力や恐怖に屈するとき、自己がオンの状態とオフの状態が重なりあう。『フランケンシュタイン』と「ピュグマリオン」が示すのは、まさにこの量子状態である。 ここで議

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第十二章 制作――ハードウェアの探究|福嶋亮大(前編)

福嶋亮大 世界文学のアーキテクチャ 1、読むこと、見ること、作ること 私は前章で、近代小説の主体性の源泉が「読むこと」の累積にあることを示した。一八世紀の書簡体小説では、登場人物たちが大量の手紙を送受信し、相手のテクストにエントリーし続ける。手紙はいわば瞑想用のアプリケーションであり、心(主観)の状態をその揺らぎも含めて、きわめて詳細に書き込むことができた。さらに、近況を報告しながら、知識や感情を親しい相手とシェアする手紙は、速報性と共同性を兼ね備えた媒体でもある。書簡体小

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第十一章 主体――読み取りのシステム|福嶋亮大(後編)

福嶋亮大 世界文学のアーキテクチャ 6、教師あり学習――ゲーテのビルドゥングスロマン もっとも、セルバンテス以降もピカレスクロマンの影響力は持続し、一八世紀のヨーロッパではときに女性のピカロも登場した。デフォーの『モル・フランダース』にせよ、サドの『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』にせよ、その主人公はいわば不良の女性である。特に、悪の快楽に染まったジュリエットは、美徳を象徴する妹ジュスティーヌとは対照的に、ヨーロッパの各地を旅して破壊の限りを尽くす。ジュリエット一行が道

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第十一章 主体――読み取りのシステム|福嶋亮大(前編)

福嶋亮大 世界文学のアーキテクチャ 1、一か二か ルソーが自伝文学『告白』の冒頭で「わたしひとり。わたしは自分の心を感じている。そして人々を知っている。わたしは自分の見た人々の誰とも同じようには作られていない」と大胆不敵に宣言したことを典型として、近代ヨーロッパの文学は唯一無二の創造物である「私」の探究に駆り立てられてきたように思える。故郷喪失に続く冒険を小説の基本的なテーマと見なしたジェルジ・ルカーチも、結局は「一」なる主体をその核に据えていた。 柄谷行人が指摘したよう

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第十章 絶滅――小説の破壊的プログラム(後編)|福嶋亮大

福嶋亮大 世界文学のアーキテクチャ 6、倒錯的な量的世界――スウィフト『ガリヴァー旅行記』 『ロビンソン・クルーソー』への自己批評と呼ぶべき『ペスト』からほどなくして、一七二六年にスウィフトの『ガリヴァー旅行記』の初版が刊行される。この奇怪な旅行小説は、一八世紀の初期グローバリゼーションを背景として、人間の可変性や可塑性を誇張的に示した。 イングランドの政治を批判する一方、故郷のアイルランドをも罵倒した非妥協的な著述家らしく、スウィフトはまさにルカーチ流の故郷喪失者として

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第十章 絶滅――小説の破壊的プログラム(前編)|福嶋亮大

福嶋亮大 世界文学のアーキテクチャ 1、冒険の形式、絶滅の形式 小説をそれ以前のジャンルと区別する特性は何か。この単純だが難しい問いに対して、ハンガリーの批評家ジェルジ・ルカーチは『小説の理論』(一九二〇年)で一つの明快な答えを与えた。彼の考えでは、小説とは「先験的な故郷喪失の形式」であり、寄る辺ない故郷喪失者である主人公は「冒険」を宿命づけられている。 ルカーチによれば、近代小説の主人公は「神に見捨てられた世界」でさまざまな試練をくぐり抜けながら、固有の魂を探し求める存

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第七章 海の象形文字――シェイクスピアからメルヴィルへ(後編)|福嶋亮大

福嶋亮大 世界文学のアーキテクチャ 7、愚かさを拡大する新世界――デフォーの『モル・フランダーズ』  シェイクスピア劇においては、しばしば二つの異質の世界が交差する。それを象徴するのが、地中海世界の中心であるヴェニスにアウトサイダーとしてやってくるアフリカの黒人オセローであり、ミラノから退出して新世界の支配者となったプロスペローである。そのなかで、ハムレットは旧世界の飽和を感じさせる人間である。  T・S・エリオットが、ハムレットの悩みは「客観的相関物」を欠くと批判したこと

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第七章 海の象形文字――シェイクスピアからメルヴィルへ(前編)|福嶋亮大

福嶋亮大 世界文学のアーキテクチャ 1、世界文学としてのアメリカ独立宣言 アメリカの生み出した最初の、そして最も強い衝撃力を備えた≪世界文学≫は、一七七六年に発せられたアメリカ独立宣言(United States Declaration of Independence)である。政治学者のデイヴィッド・アーミテイジが指摘するように、この宣言は「現在まで存続し続けている政治的著述の一ジャンル」の誕生を告げた[1]。そのユニークさは、主権国家としての対外的な独立のみならず、諸個人の

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第六章 長い二日酔い――一九世紀あるいはロシア(後編)|福嶋亮大

6、ヘーゲル、トクヴィル、マルクス 一七七〇年生まれの哲学者ヘーゲルは、世界史をアジアからヨーロッパへと進歩するプロセスとして捉えた。ただ、その場合アメリカはどうなるのか。一口に言えば、ヘーゲルの狙いは、世界史と≪新世界≫のデカップリング(分離)にあった。  ヘーゲルの独断的な見解によれば、アメリカ大陸は社会を結集させる力を欠いている。そこでは動物も人間も弱々しく、衰亡の瀬戸際にある。「新世界は旧世界よりずっと脆弱であることが示されており、また鉄と馬という二つの手段が不足し

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第六章 長い二日酔い――一九世紀あるいはロシア(前編)|福嶋亮大

福嶋亮大 世界文学のアーキテクチャ 1、消費社会と管理社会の序曲 一九世紀ヨーロッパの社会思想史は、大きく前半と後半で分けることができるだろう。アメリカ独立やフランス革命を経た一九世紀前半には、誰もが自由や幸福を追求する権利をもつという理念が、多くの思想家たちに抱かれていた。彼らは、恐怖政治に陥ったフランス革命の限界を見据えつつ、貧困をはじめとする産業社会の問題に立ち向かう新しい社会体制を構想した。  特に、一八二〇年代から四〇年代のフランスでは、サン゠シモンおよびその後継者

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第四章 オルタナティヴな近代性――中国小説の世界認識(後編)|福嶋亮大

本日のメルマガは、批評家・福嶋亮大さんの連載「世界文学のアーキテクチャ」をお届けします。 『水滸伝』や『三国志演義』といった作品がどのように読み解かれたのかを通じて、近世の中国文学と批評のあり方について分析します。 前編はこちら。 福嶋亮大 世界文学のアーキテクチャ 第四章 オルタナティヴな近代性――中国小説の世界認識(後編)5、一六世紀のコミュニケーション革命 以上のように、中国の「小説」はその周縁性ゆえに、オーソドックスな文化的分類体系を攪乱してきた。この文化のへりにあ

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第四章 オルタナティヴな近代性――中国小説の世界認識(前編)|福嶋亮大

福嶋亮大 世界文学のアーキテクチャ 第四章 オルタナティヴな近代性――中国小説の世界認識(前編)1、二つの文学ウイルス 本章および次章では、主に近世(early modern)の小説を中心として、中国文学および日本文学のあり方に照明を当てるが、それに先立って、中国小説の文化史的な位置づけを検討したい。少し回り道しながら考えていこう。  夏目漱石の『文学論』(一九〇七年)の序は、英文科出身の彼が英語の研究を命ぜられ、二〇世紀初頭のイギリスに留学したときの回想に始まる。彼はそこ

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