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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草稿や没原稿、なども載せていく予定。SNS… もっと読む
僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。… もっと詳しく
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「個人的なノートブック」を再開します。

突然ですが、個人のノートブック(定期購読マガジン)を再開します。3年ほど前に、実は少しだ…

宇野常寛
2年前
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「自民公明党」「立憲共産党」「国民維新の会」の3択を迫られる時代が来たときに「メ…

 さて、今日は先日取り上げた「東京15区問題」の続き、だ。前回は近い将来、僕たちは「る可能…

宇野常寛
3日前
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平成の「改革」という「物語」が終わったあとに、この国の政治に必要なことは何かを考…

さて、やはり先日の衆議院補選についてはさすがに書いておかないといけない。僕は東京15区で乙…

宇野常寛
5日前
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「贈与経済」は「怪獣使いと少年」を救えない(むしろ追い詰める)という話

 久しぶりにある本を読み通して、うーん、さすがにこれは……と頭を抱えこんでしまった。その…

宇野常寛
10日前
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「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という問題に対しての僕なりの解答

三宅香帆さんのベストセラー新書『なぜ働いてると本が読めなくなるのか』を先日読み終えた。世…

宇野常寛
11日前
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「敵」が醜く描かれる世界は果たして「リベラル」であり得るのか(たぶん、難しい)と…

 少し前に映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』の映画版(前編)を観てき…

宇野常寛
13日前
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「なぜタイムラインは誰かを常に糾弾し、連合赤軍は仲間をリンチし続けたのか」という話

 さて、ここ一週間は國分功一郎『暇と退屈の倫理学』を再読するシリーズ(その延長で『中動態の世界』『責任の生成』も取り扱った)を書いてきたのだけれど、なぜ突然そんなことをはじめたのかというと、月曜日に久しぶりに彼とゆっくり話す機会があったからだ。それはPLANETSCLUBで、國分さんが講師を引き受けてくれた柄谷行人についての入門的なオンライン講座で、質疑応答では率直に國分さんの柄谷解釈について質問することができた。 そこで、國分さんと僕との間で議論になったのは、「共同体」に

「既に回復された中動態の世界」の問題をいかに「ケア」するか――國分功一郎『中動態…

別にこのnoteは僕の「初期(?)國分功一郎」への愛を叫ぶための場所ではなく、他にも書きたい…

宇野常寛
2週間前
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人間は事物によって不可逆に変化し、「回復」しないときに「制作」に動機づけられる(…

 今日も前回、前々回の國分功一郎『暇と退屈の倫理学』再読シリーズの続きだ。 僕はこの本が…

宇野常寛
2週間前
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人間はどのような条件下で「制作」に動機づけられるのか、という問題を再考する(國分…

さて、前回に引き続き今日も國分功一郎『暇と退屈の倫理学』の消費社会批判を情報社会に延長し…

宇野常寛
2週間前
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國分功一郎『暇と退屈の倫理学』の再読から考えた「退屈」が既に攻略された世界の問題

 さて、今日はこれからPLANETSCLUBで國分功一郎さんの講義があるのだけれど、僕は今日の講義…

宇野常寛
3週間前
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『オッペンハイマー』と「歴史」の問題

さて、昨日掲載した『TENET』までのクリストファー・ノーラン論を下敷きに、今日はいよいよ『…

宇野常寛
3週間前
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クリストファー・ノーランと『オッペンハイマー』を考える上での整理(または『オッペ…

 先日、クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』をようやく観てきた。この映画に…

宇野常寛
3週間前
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続『不適切にもほどがある!』と「テレビ」の問題

さて、昨日に引き続き『不適切にもほどがある!』の話だ。 昨日の記事をざっくりまとめると、ゼロ年代初頭(『池袋ウエストゲートパーク』『木更津キャッツアイ』)のクドカンの批判力は、90年代的な自意識と心理主義とスノビズムに対して、マイルドヤンキー的な「ジモト」の閉じた時空間を対置したところにあった。これが、先鋭化してコミュニティを自己解体し、ばらばらの「個」の連鎖になっててしまったものが『マンハッタンラブストーリー』であり、その反動で浅草という古い街の「大家族」に回帰したのが『