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今の気持ち

僕はずっと死にたかった。ある日突然、消えてなくなりたかった。ぱたりと倒れるようにして、誰にも迷惑をかけずに、ひっそりと。いつもパソコンの電源を消してるみたいに、部屋の電気を消すみたいに。
ただ、それはなかなか難しいことだった。だから僕はいつも外部の要因に期待を寄せていた。
地震が起きたとき、猛スピードの車が隣を過ぎ去っていったとき、高いところに登ったとき。場所とかタイミングとかは色々あるけれど、結局それらは僕の身には降りかからなかった。

それを僕が、自発的に行動に移したのは、ちょうど1年と半年前のことだ。
今、横浜からなんとか帰ってきて、自室のパソコンの目の前にいる。あのときも確かこの場所だった。このぐらいの時間だった。
家中の睡眠薬をかき集めて、それをまとめてストロングゼロで流し込んだ日のこと。死ぬわけなんてないと、なんとなく分かっていながらも、全てを投げ出そうとしたあの日のこと。目が覚めたら仲の良かった友人が、枕元に立っていたこと。それからしばらく、記憶がぼんやりとしていたこと。

あのときの自分が、今の自分を見たらどう思うだろうか。

でも、今でも、やっぱりあのときにいなくなってしまえばよかったんじゃないかと、思うことがある。それも、わりと頻繁に。
それでも、たった今、分かったことがある。
あのときに僕が死んでしまっていたら、今、目の前にあるこの本はこの世にでなかったということだ。世界にたったの104冊しかない本だけれども。それでも。それは確かなことだった。
この文は、過去の自分に向けた、あるいは未来の自分に向けたメッセージのつもりだ。今日、この日にしか書けない文章だ。

だから今、書いている。へろへろの身体で、徹夜明けの身体で、キーボードをひたすら叩いている。頭がずきずきと痛むのを我慢しながら。眠ってしまって、熱いお風呂に入って、身体がその感情を忘れてしまわないうちに。


これは、ずっと死にたがっていたひとりの人間が、ちょっとだけ生きることに前向きになった話だ。


横浜で起きたこと

僕は先日から横浜に行っていた。前回のnoteで書いたように、本を売るために。そして仲のいい皆と、楽しい時間を過ごすために。
そして今日、ついさっき、帰ってきた。

この横浜の旅におけるほとんどの時間は、主に普段から交流の深い、にじさんじ文芸部のメンバーと、そして今回の本の表紙を書いてくれたうめどうふさんと過ごした。

軽くそれらの人物について説明させてほしい。説明というかは、今の感情のようなものだけれど。

・にじさんじ文芸部
KFTTH(以下 KF):今回の旅で一番長くいっしょにいた。にじさんじ最古参勢の、頼れるオタク。笑顔が好きだ。
マルポッキー(以下 まるぽさん):どこまでも頼れるオタク。文豪。はっきりと自分の世界を持っている人。
魔王ぽむ(以下 ぽむにき):優しさと気遣いに溢れたオタク。今回の本では全体のデザイン周りを手伝ってくれた。少食。
SYSTEMA(以下 しすてまさん):文芸部の部長。笑顔が素敵で、腕っぷしも頼もしいオタク。普段はありえない労働量をこなしている。お身体を大切に。
森野(以下 森野さん):いっしょにいると楽しいゴリラ。森野さんがいるところが楽しいのか、楽しいところに森野さんがいるのかは分からない。おそろしい筋肉を持っている。はっきりと自分の世界を持っている人。
すなお(以下 すなおさん):文芸部の合同誌、そして僕の本の推敲や編集作業へ大きく関わってくれた人。とても優しい。色々あって今は文芸部じゃないけれど戻ってきてほしい。

うめどうふさん(以下 うめさん):絵、文章、人間性が好き。今回の本の表紙、裏表紙を描いてくれただけでなく、売り子も手伝ってくれた、優しい人。ファン。

なんだか書いていて恥ずかしくなってきた。僕はほんとうにこれを公開するのだろうか。分からない。分からないけれど、1年半前よりかは勇気は必要ないだろうから、きっと大丈夫だろう。

1日目

1日目の朝、僕は電車で東京に向かった。小さいバッグと、大きなバッグ。設営の準備などもあるので、わりと大荷物だった。電車では「舟を編む」という小説を読んでいた。辞典を作る人々の情熱が書かれた、言葉の繊細さが伝わってくる話だった。およそ3分の1ぐらい読み終わったあたりで、上野についた。

上野でKFと合流して横浜に行く予定だった。ホームをあがった先の、スムージー屋の前で待ち合わせをした。隣では母親のような人が、子供を叱っていた。なんだかそれを聞いていると、胸が苦しくなってきた。やめてほしかった。子供が泣いているのに無視しないでほしかった。うるさいとかそういうのじゃなくて、聞いていると辛くなるんだ、本当に。
しばらく経ってKFが来た。いい笑顔だった。色んな遊び道具やお酒を持っているせいか、大荷物だった。なんだかそれがおかしくて、今回の旅が改めて楽しみになった。

そこからふたりで横浜に向かった。今日行く予定のBBQの話をした。「売れるかな」と不安になっている僕に、KFは「売れますよ」と言ってくれた。この旅の中で、僕はそれを言ってばかりだった。今にすれば申し訳なかったと思うけれど、当時の自分はすごくその言葉に助かっていたんだと思う。

新横浜駅で待っていると、まるぽさんがやってきた。会うのはいつぶりだっただろうか。半年以上は経っている気がしたけれど、それでも気まずさとかは不思議となかった。
僕とKFは、まずは荷物を預けることにした。駅構内にある、500円ぐらいのコインロッカーじゃなく、駅の外れにある200円のコインロッカーを選んだ。いかにも怪しかったけれど、なんだか楽そうだからそこにした。自分ひとりだったら間違いなく選ばないような場所だった。

3人で昼食を食べた。お互いを懐かし合うように乾杯をした。昼からお酒を飲んだ。レモンサワーがすごく濃くておいしかった。モツ鍋と、ホッケと唐揚げの定食を3人で分け合って食べた。明太子と明太高菜が食べ放題だった。おいしかった。あらゆるものが柔らかくて、味がしっかりついていた。またBBQの話をした。KFが持ってきてくれた高いお酒の話をした。もう今からBBQが楽しみでしょうがなかった。まるぽさんが多めにお金を払ってくれた。「金ならある」というセリフは、あまりにもかっこよかった。

森野さんと合流するまでの間に、僕らは川崎ウェアハウスというゲームセンターに向かった。九龍城に似せられたおどろおどろしい雰囲気のゲームセンターだ。外観も内装も素敵だった。写真を取りながら中を歩いた。テトリスや音ゲーなどを少し遊んだ後に、3人で交代で野球盤をした。結局1点も入らないまま4回か5回が終わって、試合は終了となった。
瓶の自販機が置いてあった。なんだか懐かしい気持ちになって、僕らは100円を入れた。KFがジンジャエール。まるぽさんがコカ・コーラゼロ。僕はコーラかジンジャエールで迷って、結局ジンジャエールにした。ひんやりとした辛さが喉を伝っていく感じが、心地よかった。

森野さんを迎えに、新横浜駅に向かった。BBQをするのも新横浜駅の近くだった。森野さんは相変わらずというか、トレーニングをしてからの合流だった。しばらく改札からすごい筋肉の人がやってきた。森野さんは死ぬほどお腹が減っているようだった。会うのはおよそ4ヶ月ぶりぐらいだというのに、不思議と懐かしさは感じなかった。それこそ毎日のように話しているからなのかも知れないけれど。

4人でスーパーに肉なんかを買いに行った。とりあえずとカゴへ入れたプルコギが、思ったよりも森野さんの笑いを誘った。森野さんの「いきなりプルコギかよ」という言葉に、「これを主軸にデッキを組んでく」みたいな話をした気がする。実際、BBQのフィニッシャーはプルコギだった。豚肉と、ラム肉。ソーセージとチキチキボーン。玉ねぎとピーマン、サンチュ、そしてお茶や炭酸水なんかを詰め込んだカゴはめちゃくちゃに重かった。ばかでかいティラミスが食べたかったけれど、流石に無理だと思ったので、こっそりスーパーカップのチョコチップ味をカゴにいれた。

買い物袋を片手に、BBQ会場へと向かった。食材だけ用意すれば、あとの機材なんかは全部用意してくれるタイプのものだ。1人あたり1500円、肉なんかを合わせて4000円前後だった気がする。なかなかお得なんじゃないだろうか、これは。

ラーメン博物館の前にそこはあった。岩場の壁に沿って水が流れ落ちていた。雰囲気も最高だった。まずは乾杯をした。僕たちの出会いに。さっそく僕らは肉を焼くことにした。
KFが持ってきてくれたお酒を飲みながら、色んな話をした。イベントについてだとか、お酒についてだとか、文芸部についてだとか。もうどこか遠いことのように、内容はいまいち覚えてはいないけれど、とにかく楽しかった。楽しすぎてお酒をしこたま飲んだ。
サンチュを食べすぎて森野さんに怒られたのは覚えている。森野さんには口でも肉体でも喧嘩になったら敵う気がしないので、泣く泣くサンチュは諦めた。

外もすっかり暗くなってきたあたりで、ひとまず解散となった。ふらふらな足取りのまま、新横浜駅へ向かった。余ってしまった炭酸水と麦茶がものすごく重かった。森野さんはすなおさんの家に、まるぽさんは会場近くのホテルへと向かった。どうせ明日また会う予定だと分かっていても、なんとなく寂しかった。
そして僕とKFは、会場から少し離れたところにある、24時間営業の銭湯へと向かった。近くにある、ぴかぴか光っていた観覧車が綺麗だった。
結論から言うと、すごく良い場所だった。お風呂はもちろん、寝る場所もマッサージチェアみたいな感じでわりと心地よかった。いびきがうるさすぎるのは、少しというかかなりきつかったけれど。
KFとひのき風呂やミストサウナに入った。その度々で僕は、「売れるかな」なんて話をした。どれだけしつこいやつなんだと思う。でも聞いていた。気づけば口からこぼれ落ちていた。KFは「売れますよ」という言葉に、色々な根拠を飾り付けて返してくれた。すごく優しかった。優しかった。
風呂上がりに、屋上にある足湯にふたりで向かった。すごく静かで、心地よかった。なんだか明後日がイベントだっていう実感がなかった。
様々な人のいびきやなぜか4時に鳴りだすアラーム、子供の鳴き声なんかに悩まされながら共用スペースで眠った。そこだけ、もっといい場所だったら完璧だったんだけど。

2日目

7時ぐらいに起きて、KFと朝風呂に向かった。環境や気持ちのせいであまり眠れなかった。銭湯を出ると、まるぽさんが待っていてくれた。せっかくなので3人で、下見がてらに会場へ向かうことにした。

会場までずいぶん歩いた。赤レンガ倉庫の脇を通り、象の鼻公園をを通り、しばらく歩いて会場についた。今日は今日で別のイベントがあるらしかった。中の広さにほんの少しだけ安心した。

会場の隣りにあるドトールでモーニングのAセットを頼んだ。アイスティーにはガムシロップを2つとレモンをひとつ。パンにはさまっているトマトはやっぱりどうやってもおいしかった。
会場の2階には日本刀を取り扱っているお店があるらしかった。興味混じりで外から覗き込むと、奥の方でお爺さんみたいな方がごそっと動いた。なんだか怖くなって僕らは結局そこは入らなかった。

赤レンガ倉庫に向かうと、ドイツフェスティバルみたいなのをやっているみたいだった。せっかくなので僕らは、そこで昼からお酒を飲むことにした。手始めにまるぽさんはライムサワー、KFはレモンサワー、僕はマンゴーサワー。そしてビールとソーセージの盛り合わせ。昼からいいご身分だった。最高に楽しかった、かなり歩いて疲れていたし、眠かったけれど。それでも。

すなおさんと森野さんと横浜駅で合流することになっていた。森野さんがVAPEという身体に害のない電子タバコに興味があるというのと、あとは5日にすなおさんの家でやる予定のMTGを買いに行くためだった。

すなおさんに会うのは初めてだったけれど、どこか懐かしい感じがした。落ち着いていて、安心できるこの感じが好きだった。
森野さんは別のイベント帰りだった。森野さんには「崎陽軒とKIOSKの近くにいる」と言ったのに、森野さんは崎陽軒の本店の方に行ってしまっていたようだった。目の前にはKIOSKではなく、はなまるうどんがあるらしかった。ゴリラを探すゲームが始まった。

ゴリラを捕まえてから、皆で昼ご飯を食べようとしたけれど近くの店はあらかた混んでいた。しょうがないから先にVAPEショップの方に向かおうということになった。駅の人混みに紛れて、すなおさんが眼鏡を落としてしまった。すなおさんは遠慮していたけれど、僕らは皆で手分けして探した。どうやら駅の落とし物置き場に届いていたみたいだった。本当に良かったと思った。

近くのビルで、昼ご飯を食べた。僕はエビ天丼。他の人は……いまいち覚えていない。でもKFがレモンサワーを飲んでいたのは覚えている。なかなかおいしかった。お店の中で、森野さんが行ったイベントでの合同誌を見せてもらった。こんな風に明日、僕らの書いたやつも本になるんだな、なんてことを思った。

VAPEショップで森野さんはしばらく物色をしていた。かなり気に入ったみたいで、買ってさっそく使っていた。ものすごく似合っていた。街で見かけたら絶対に近寄らないと思ってしまうぐらいには。

それからカードショップを巡った。その日はMTGの新パックの発売日だった。それを皆で買って、皆で開けてデッキを作って遊ぶというゲームを明後日にするつもりだった。楽しみだった。ぽむにきは明日合流するとのことだったので、まず明日あったらお金を請求しようという話になった。

しばらく横浜を歩いて、すなおさんと森野さんと別れた。すなおさんは家に、森野さんはしすてまさん達と筋トレオフをするみたいだった。イベント前日なのにすごいなと思った。

残った僕ら3人は、それとなく中華街に向かった。しすてまさんが来るまでぶらぶらとしていた。青龍刀が売っていて、少しだけほしくなったり、人混みの流れに驚いたり。
しすてまさんが来る前に、適当なお店に入り込んだ。エビチリや唐揚げなんかを食べた。思ったよりも辛くてなかなか辛かった。もう外はすっかり暗くなっていた。明日はもうイベントなのか、実感がない。
筋トレが終わったしすてまさんと合流して、食べ放題の中華の店に入った。しすてまさんと会うのは初めてだった。すごく親しみやすくて、それでいて頼りになった。笑顔があまりにも素敵だった。これからも仲良くしたいな、なんてことを思った。
明日は頑張ろう、とコップの水で乾杯をした。明日についての作戦会議や、文芸部の話、昨日のBBQの話なんかで盛り上がった。イベントの現実味が湧いてきた。蒸し鶏がさっぱりしていた。杏仁豆腐もなかなかだった。でも、味はあまり覚えていない。

この辺から僕はもう疲れ果てていた。緊張であまり食事も喉を通らなかった。早く眠りたかった。
行くのは昨日と同じ銭湯だ。KFは、今日は違うカプセルホテルに泊まるみたいだった。なんだかそれがすごく寂しかった。「今日もいっしょに行こうぜ」と言いたかった。でも、ぐっと飲み込んだ。なんでかは分からないけれど、今日はひとりでいたほうがいい気がした。ただでさえ、毎日のように不安を漏らしているというのに。
3人は駅まで見送ってくれた。「明日は頑張ろうな」と言い合って、僕らは別れた。僕は地下鉄のホームへの階段を降りていく。この辺から胸の動悸がひどくなっていた。

最寄り駅についた。銭湯までの道のりを歩く。
呼吸が落ち着かなかった。心臓がばくばくとうるさかった。
ちゃんと設営できるだろうか。売れるだろうか。人は来てくれるだろうか。本はちゃんと届いているのだろうか。僕の頭の中は、心配事しかなかった。もう、このまま帰ってしまいたくなった。みなとみらい駅から、横浜へ、そこから東京へ、なんて感じで。
でも、もうそんな電車はなかった。だからひたすらに自分の好きな音楽を聞いて、気を紛らわせることしかできなかった。銭湯への道のりが、昨日よりも重く感じた。観覧車の光がまぶしかった。早くお風呂に入って、早く眠ってしまいたかった。

ひとりで入るお風呂はなんだか寂しかった。ひのき風呂がどこか広かった。なんだか目頭が熱くなってきた。ひのき風呂に入らないように、涙をぽろぽろと零した。近くのベンチに座っていると、目から勝手に涙が流れ出してきた。
寝湯に寝転びながら、空を見つめていた。天井のボルトが緩んで、落ちてくればいいなと思った。そのまま僕を押しつぶしてほしかった。そのままいなくなりたかった。明日が怖くて怖くてたまらなかった。
そんなぽつりと悩みをDiscordに書き込むと、森野さんが「死んでも本は出るぞ」と言ってくれた。どういうことだろうかと思った。僕がいなくなっても、きっと他の人たちが変わりに頒布してくれるのだろうか。よく分からないけれど、死んでも本は出るとのことだったので、だったら生きていようと思った。

身体をしっかり洗って、温めて、お風呂から出て、共同の寝床へ向かった。だけど、まったく眠れる気がしなかった。身体は疲れ切っていて、いつもだったらすぐにでも眠れるはずなのに。
そっとDiscordを開いて、文芸部のチャンネルを覗いた。イベントの前日だというのに、ボイスチャンネルに人がたくさん集まっていた。僕はミュートでその通話に入った。「なんか緊張してる」なんて構ってほしげなチャットといっしょに。
皆は楽しそうだった。そりゃあイベントの前日だ、楽しくないわけがない。僕だってそうだった。いつもイベントに向かう日の前日は楽しみでしょうがなかった。ぼんやりとサークルチェックやTLを見るのが、至福の時間だった。

だけど明日は違うのだ。僕は頒布する側なのだ。本を。まだ目にもしていない本を。売れるかもわからない本を。怖くて怖くてたまらなかった。
流石に寝ないとと思って、通話を切り上げた。目をつむって横になった。眠れなかった。昨日より周囲の騒音は少ないはずなのに、ありとあらゆるものが気になってしょうがなかった。
音楽を聞きながら寝ようと思っても、それでもよく寝れなかった。寝れたとしても、30分ぐらいで目が覚めて、の繰り返し。不安でどうしようもなくて2時ぐらいに足湯につかりにいった。
屋上はすごく冷たかった。そして静かだった。最初はひとりだけいた人も、いつの間にかいなくなっていた。空はどこか曇っていた。観覧車の真ん中に書いてある時間が、どんどん過ぎ去っていった。
3時頃、ようやく僕は眠りにつくことができたんだろうか。よく覚えてない。とにかく不安で不安でしょうがない夜だった。心臓がどくどくとうるさい夜だった。

僕はもともと自分のことが嫌いだった。いてもいなくても価値がないどころか、いることで周囲に不利益を与える存在だと思っていた。ぼんやりと、中3ぐらいからそんなことを考えていた。適当なタイミングで消えたかった。「ああ、惜しい人を亡くしたな」なんてことを、まだ皆が思ってくれるであろうタイミングで。でも、それを実行に移したのは1年半のことが初めてだったけれど。

だけど自分の文章は好きだった。もちろんまだまだだとは思うけれど、それでも自分の文章が好きだった。自分のことは嫌いなのに、自分の文章は好きだった。自分に自信がなかった。どこまでも、どこまでもなかった。たとえ本が売れたとしても、うめどうふさんやジャンルのおかげだと思っていた。

3日目

目が覚める。ツイッターを眺める。どうやら皆、横浜に向かっているようだった。僕のところに来てくれるのは、いったいどれだけいるのだろうか。そもそもいるのだろうか。心臓がうるさかった。うめさんは、もう会場付近にいるみたいだった。

朝風呂に入った。昨日と同じひのき風呂と、寝湯に入った。空にはぐずぐずの雲が浮かんでいた。でも、寝湯に入って真上を見るとそこには青く澄んでいる空が広がっていた。もう、早く会場に行きたかった。このままここにいたら、どんどん行きたくなくなってしまうだろうから。

うめさんに連絡をして、開場の近くで合流することにした。会うことができて、少しだけほっとした。だからといって、自分の不安を見せるわけにもいかないから、精一杯の強がりを続けた。
朝ご飯を食べに、昨日と同じドトールへ向かった。モーニングのAセット。アイスティーにガムシロップを2つと、レモンを1つ。昨日と同じもの。
設営をどうしようか、本は届いているだろうか、そんなちょっとした話をしていると、文芸部の方も人が集まってきていた。しすてまさん、KF、まるぽさん、そしてぽむにき。ぽむにきに会うのは久しぶりだった。あまり寝てないみたいで心配だった。はにかんだ笑顔が素敵だった。安心する声だった。

外を眺めると、おそろしいぐらいの人が並んでいた。これなら売れるかも知れない。ぼんやりとそんなことを考えた。そんなことを考えてしまう自分に、どこか嫌気が差した。

サークル入場の時間が始まった。QRコードを差し出す手が震えた。人の少ない会場は、なんだか新鮮だった。すぐに自分のスペースへ向かった。
真っ先にダンボールを開けた。まずはうめさんの方から。本が無事に届いていてほっとした。下手したら、自分の分よりも。
家で準備していたので、設営はある程度スムーズに行った。隣のスペースの方が大手だったのですさまじく緊張した。本に巻くブックカバーと、しおりを挟む作業を、うめさんや文芸部の皆に手伝ってもらうのがなんだか申し訳なかった。また心臓がざわつきだした。

なんとか設営が終わったので、取り置きをお願いしていたところや挨拶回りに向かった。でも、正直なにがなんだかいまいち覚えていなかった。とにかく無我夢中だった。僕は焦っていた。

いよいよ開場まであと10分になった。もう心臓が苦しくてどうかしてしまいそうだった。しすてまさんが手で円陣を組むように促した。皆で声を出すと、少しだけ心が落ち着いた。
12時になった。そこら中に拍手の音が鳴り響いた。そこからのことはもう、本当に覚えていない。

ただ声を出して、買ってくれた人にひたすらお礼を言った。「ありがとうございます」「またよろしくおねがいします」「こちら新刊になります」そんなセリフぐらいしか覚えていない。

気づいたら、もうダンボールの中に僕の本はほとんどなくなっていた。開場から40分ぐらいのことだった。現実味がなかった。まだどこかに本が隠れていて、あとからごっそり出てくるんじゃないかと不安になった。でも、どれだけ探しても本は見つからなかった。「完売しました ごめんなさい」みたいな張り紙をまるぽさんだかしすてまさんだか、もう誰だかは覚えていないけれど作ってくれた。
それからは、うめさんの本が売れるようにただ願った。時間はあっという間だった。

今でも僕は――パソコンの前で思っている。
売れたのは自分のおかげなんかじゃない。もちろん少しはそれもあるのかもしれないけれど、あまりにも色んな人に手伝ってもらったり、悩みを聞いてもらったり、そんなことが多すぎて、そう思えなかった。

でも、それがどうであれ、本は売れたのだ。売れた。完売だ。売れてしまった。あとから来てくれた人には申し訳ないとは思ったけれど、それでもそれがすごく嬉しかった。
多分、こんなことを言うのは良くないのかも知れないけれど。こんな僕の話でも読んでくれる人がいるんだと、少しだけ思えた。そんな風に思おうとする自分は、「うめさんや他の人のおかげ ジャンル、コンテンツのおかげ」なんて圧力でいつも必死に押しつぶしてきた。殺してきた。なのに、そう思ってしまった。嬉しかった。涙が出そうだった。

片付けをしている間も、どこか現実味がなかった。
片付けが終わって、文芸部は先に打ち上げに向かっているようだった。僕も遅れて合流しようとした。雨がものすごく降っていた。頼りない折り畳み傘で本の入ったバッグを守りながら歩いた。
さくら水産というところで打ち上げをした。お店に入ると、「完売おめでとう」みたいなことを入れて、だんだんと現実に戻ってきた。よく分からなかった。乾杯をした。キンキンに冷えたビールが、喉の奥を伝っていった。

喧騒に包まれながら、これが人生の最高潮なのかな、と思った。もうこのままいなくなってしまいたかった。でも、それがなんだか寂しくて、仲のいい人たちと改めて乾杯をした。トイレの中でしすてまさんと話した。涙が溢れてきた。外に出ると、雨は止んでいた。空にはぼんやりと虹が浮かんでいた。しすてまさんはもうこのまま帰るみたいだった。熱い抱擁を交わした。力強かった。

皆がカラオケや別の場所に行く中、その足で、うめどうふさんとの打ち上げに向かった。楽しみだった。昨日、4人で行った中華食べ放題のお店だった。
色んな話をした。たくさんのお礼を言った。また、いっしょに創作をしたいですね、みたいな話をした。次は第3回ですね、とか、名残惜しいですね、なんてことを話して、握手をして僕らは別れた。話しながら泣いてしまいそうだった。実際、今、書きながら涙が出てきた。

まるぽさんは疲れて眠っているようだった。ぽむにきもそうみたいだった。森野さんから「心が遊びたがっている」と連絡が来た。僕もなんだかひとりになりたくなかった。眠りたくなかった。

4日目

森野さんと合流して、夜中の横浜を歩いた。ジョナサンでドリンクバーとポテトだけを頼んで、ふたりでMTGをした。森野さんいわく、明日まで待ちきれなかったらしい(明日、森野さんは早く帰ってしまうということもあるけれど)
23時から2時まで、ジョナサン(2時閉店)でMTGをして、そこからしばらく歩いたジョナサン(24時間営業)の店で5時ぐらいまでMTGをした。色んな話もした。森野さんは僕がトイレに行っている間に、こっそりポテトを食べていたみたいだった。森野さんいわく、12%ぐらい。森野さんはお腹が減ったといってオムライスを食べていた。オムライスとポテトと水。それで僕らは遠い昔の学生時代みたいに居座っていた。楽しくて、恥ずかしさなんてなくなっていた。

KFとまるぽさんと合流して、すなおさんの家に向かうことにした。
森野さんは半袖だから外を歩きたがらなかったけれど、「もう少しだから」と騙しながら歩いた。

横浜駅でぽむにきと合流して、すなおさんの家に向かった。すなおさんは僕らの来客が思ったよりも早くて驚いていた。

それからすなおさんの家で僕らはひたすらMTGをしていた。森野さんは少しして帰っていった。「また会おうな」みたいなことを言いながら。
それからしばらくして、最後の皆でのお昼ご飯に向かった。場所は、幸楽苑。なんともラストにふさわしい場所だった。つい、笑いが出た。

煮干しラーメンはおいしかった。徹夜明けのせいか眠くて疲れてたまらなかったけれど、それでも楽しかった。寂しかった。帰りたくなかった。

でも、僕らは帰ることにした。駅まで歩いた。また次、頑張ろう みたいなことを言いながら。
改札の前で握手を交わした。固い握手だった。泣きそうだった。

KFとふたりで新宿へ向かった。そのまま上野に向かった。あのスムージー屋の前に。
スムージーをふたりで飲んだ。見栄を張って、奢ることにした。なんだかここは、すごく奢ってあげたい気分だった。
寂しくて寂しくてしょうがなかった。あっという間だった。横浜から東京まで、あっという間だった。思い出を懐かしむ時間もなかった。

KFとも別れ、1人電車に乗った。こくりこくり意識が落ちていく中で、ゆっくりと地元へと近づいていった。なんだか、ぼんやりしていると目から涙が流れてきた。上を向いても、止まらなかった。ああ、終わってしまったんだな、と思った。

駅から家までの道を歩きながら、涙を流した。家の玄関を開けたとき、「帰ってきたんだな」と思った。すぐに自分の部屋にあがり、パソコンを付けた。

夢みたいな日々だった。昨日、ひとつの夢が叶ってしまった。ほんの48時間以内のことだった。
だからってわけじゃないけれど、ずっと、このイベントが終わったら、燃え尽きるんじゃないかと、そのままいなくなりたくなってしまうんじゃないかと思っていた。

でも、そんなことはなかった。まだまだ書きたかった。たくさんのことを表現したかった。文章を書くのがうまくなりたかった。たくさんの人と交流したりしたかった。うめさんや文芸部の皆とまたこうして集まりたかった。

書きながら涙が止まらなくなってきた。どうしてだろうか、分からない。なにもわからない。
僕の本はいったいどこにいったのだろうか。誰の手に渡ったのだろうか。もし願わくば、それが誰かの心に少しでも刺さる文章であることを。

まだ、僕の腕にはにじそうさく02のサークル入場用のテープが輪になって、貼り付いている。そしてそれは、この文章を投稿したら外すつもりだ。ひたすらに感情的なこの殴り書きしたものを投稿して、熱い風呂に入って眠るつもりだ。
もしかしたらそのとき、いつも自分の首に手をかけていた輪が、緩まるのかもしれない。どうかは分からないけれど、緩んでいてほしいと思う。

楽しかった。ほんとうに楽しい日々だった。これからも続いてほしいと思った。死にたくないと思った。よく分からないけれど、どうやら今日は涙が止まらなそうだ。これからも頑張ろう、そう思った。

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