わいんりばー

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最近の記事

迷ったら後悔しない方へ

なんていうとすごく格好がいいけれど、実際、これはそんな綺麗なものじゃない。 最近、ちょっと意識してみていることがある。 迷ったら、(自分がどう見られるのかではなく)後悔しない方を選びたい、ということだ。 そう、思ったのには理由がある。 例えば仕事かなんかで何か失敗したときに、バレなきゃいいな、とか、これは別に問題ないだろう、とか、そういうことを今まで積み重ねてきた。 もちろんうまくいくときもある、ああ、よかった。次は気をつけよう、なんて、この場合は反省したふりをするまでが

    • 結局、楽しんだもん勝ちなんだよなという話

      世の中、楽しんだものが勝つ、というのはまぎれもなく周知の事実である。 そもそも勝ちとか負けとかそういうものが嫌なので、僕は自分の人生の中においてだけの勝ち負けということにしたい。 ルーティンの話を書いた後に、思ったことだ。 同じようなことをしていても、それを楽しめるかどうかで自分の人生、ないしは自分の時間軸が緩やかになるんじゃないか、と。 例えば同じ作業は今日は5分早くできたとか、いつもシャッフルで聞いている音楽が自分の聞きたい順番でぴたりと流れてきたこととか、いつもと別の

      • 打算的すぎる僕

        昔、読んだ本。確か『B型の取扱説明書』かなにかに、「人に合わせるのは得意だが、そのせいか自分が分からなくなる」みたいなことが書いてあった。それが僕の中で、ずっと心に残っている。 まさにその通りだった。人のことは分かった気になれるけれど、自分のことは未だに分からないことだらけだ。 ああ、はいはい。こういうことでしょ。つまり、こう言ってほしいんだろうな。これがほしいのかな。この空気のときは、こうしてたほうがいいんだろうな。本当はそんなこと思っていないけれど、こう答えたほうが相手

        • 気づけばなにもかにもがルーティンになっている

          最近、やたらと時間の流れが速く感じる。 朝、起きる。朝ご飯と飲み物を冷蔵庫から出す。レンジでおにぎりかパンを温める。薬を飲む。温めたものを取り出す。トイレに行く、顔を洗う。 靴下を履く、湿布を貼る、ズボンと上着を着る。朝ご飯をバッグに詰める。 歩く。車に乗る。バナナとチーズ、昨日買ったおにぎりかパンを食べる。梅干しと、チョコもたまにそこに追加する。 これが平日の毎朝。ほぼ90%ぐらいの確立でこの流れでいく。 決まった時間、決まった物。決まった動き。元々効率のいい動きが好き

        迷ったら後悔しない方へ

          スティグマ

          自分の嫌なとこがある。 それは、とにかく人の目を気にすることだ。逆に言えばこれは、人が見てなければどうでもいいと思っていることだ。 昔、これについて上司に指摘されたことがある。ミスをして、それを隠す前に上司をちら、と見た。その視線に気づかれ、自分がなにをしようとしたか注意された。ミスったな、と思った。気づかれなければよかったのに、と思った。 気づかれさえしなければ、自分のミスなんてゴミ箱に入り、焼却炉で燃やされてなかったことになってしまうのに。 でも、今思えば、気づかれなけれ

          4年前の自分へ

          思いつくままに自分の心と向き合ってきた、4年前にnoteを書きまくってい た自分へ。 たまに君が書いた文章を読んで、ああ、君の言っていることはすごく共感できると思っているよ。 それは自分のことなんだから当たり前のことなんだけれど、どこか自分は変わっていないと、安心しているだけで。 あの時は肯定できなかった自分も、過去に振り返れば少しは肯定できて。自分を客観視するというのは、自分を認めるというのは、こういうやり方もあるのかもしれないね。 やたらと大人になりたかった自分へ。 も

          「メンタリスト」を見終えましたというお話

          「メンタリスト」というコツコツと夕食の時間などに見ていた海外ドラマが とうとう終わってしまいました。見終わってしまいました。 シーズン6の最後のほうからは終わってほしくない、終わってほしくない……と思いながら見ていましたが、実際に見終えてみるととてもよかった……とてもよかった……!! ありがとう、Netflix。 そもそも、海外ドラマを見る文化が自分にはありませんでした。 長いし、どこまで見たのか忘れてしまうし。なんてことを考えてどこか敬遠していました。 海外ドラマという

          「メンタリスト」を見終えましたというお話

          僕と彼ら

          僕はどうしようもない人間だ。 それはおそらく社会的にも、そして精神的にも。やたらと元気がいいこの肉体以外はどうしようもないと思っている。ちなみにその肉体すらも、最近よく疲れを感じるようになってきた。 それは主観的に見てもそうだし、おそらく客観的に見てもそうなんだろう。仕事は長続きしないし、考え方はめんどくさいし、繊細ですぐに落ち込むし、周りの人には迷惑をかけてばかり。いいことと言えば、最近になってようやっと考え方のベクトルが死から生へと変わってきたぐらいだ。 きっとこれはい

          北へ

          僕らは変わっていく。それはもう、どうしようもなく。 時間と共に僕らは変わっていく。 好きだったものへの愛着や関心が薄れていったり、毎日していたことを突然ぱたりとやめてしまう。 好きなものだって変わったし、あれだけ使っていたトリプルテイクは使わなくなったし、ウイングマンとピースキーパーは最強じゃなくなったし、ロングボウを一生持たないと言っていた彼は今日も元気に骨上からロングボウを打ち下ろしている。 ずいぶんと環境も変わった。 自宅を拠点にしていた彼は外に出ることが多くなっ

          酔いたい

          この前、飲み会があった。とても楽しい飲み会だった。話したいことがたくさんあった。でもなぜか、うまく言葉が出なかった。 お酒を水のように飲んでいる友人がいた。飲みすぎて酩酊している彼を介抱した。ものすごく楽しそうに彼は笑っていた。それがすごく羨ましかった。 僕と彼が会うのは、まだ5回にも達してない。彼からすれば飲み会のメンバーの中には、初めて会う人もいるぐらいだった。 どうしてだろうか、なのにどうしてそんなに酔えるんだろうか。分からなかった。僕だったらできない。それは別に否

          握手と乾杯

          ガン、と生ビールジョッキの音が店内に響く。 ワイングラスとワイングラスがぶつかりあって、甲高い音を鳴らす。 ガラス越しにびりびりと伝わってくる振動が心地いい。 食事が終わり、店を出る。駅までくだらない話をしながら帰る。改札前、握手をして僕らは別のホームに入っていく。 熱い手の感触、柔らかさ、硬さが心にじんじんと刻まれる。家についても、それはまだ続いている。 僕はいつも誰かと食事をするたびに乾杯をする。それは別に食事始めの乾杯だけじゃない。食事の途中で間が出来たとき、新しく飲

          レール

          中2か中3あたりから、ずっと申し訳ないと思っていた。生きていることに。そこからずっと、なにか生きづらさというか、申し訳なさというか、後ろめたい気持ちがあった。レールの上から落ちてしまって、二度と戻れない気分が続いていた。 もともと一人っ子だったから寂しがり屋だった。だから多分、周りの顔色とかを気にしたり、1人にならないように生きてきた。だから自分の意見とかはあんまりなかったし、どちらかというと合わせればいいやの気持ちだった。逆に言えば、合わせられないことに恐怖を感じていた。

          心に平穏を

          僕らは風邪を引いたら横になる。 同様に、落ち込んだりしたら気持ちを落ち着かせたり、気分転換にゲームなんかをしたりする。 まあ、至極当然のことだと思う。でも最近僕は、それの逆を知った。理解し、そして共感してしまった。 心のバランス僕は先日横浜で、恐ろしく楽しい時間を過ごした。 本当に楽しかったのだ。思わず、この時間が終わってほしくないと涙を流してしまうぐらいには。 その旅の中で、心のバランスを取るという話を聞いた。楽しかった分のプラスを0に近づけるために、あえて自分の苦手

          誰も知らない物語

          このタイトルには誇張がある。 正確には、『(自分以外の)(ほとんど)誰も知らない物語(が世の中にはある場合がある)※どれだけの割合なのかは分からないけれど。』 である。 なんだかこんにゃくゼリーの注意書きみたいだ。 でもこれは僕がずっと思っていたことだ。だからあえて誇張した。誇張するべきだと思った。 着地点は特に決めていない。 ただ、もし一言でこのnoteをまとめるとするならば、『もっとたくさんの人に自分の話を読んでほしい』である。あえて、まとめるとするならば。 P

          誰も知らない物語

          今の気持ち

          僕はずっと死にたかった。ある日突然、消えてなくなりたかった。ぱたりと倒れるようにして、誰にも迷惑をかけずに、ひっそりと。いつもパソコンの電源を消してるみたいに、部屋の電気を消すみたいに。 ただ、それはなかなか難しいことだった。だから僕はいつも外部の要因に期待を寄せていた。 地震が起きたとき、猛スピードの車が隣を過ぎ去っていったとき、高いところに登ったとき。場所とかタイミングとかは色々あるけれど、結局それらは僕の身には降りかからなかった。 それを僕が、自発的に行動に移したのは

          今の気持ち

          令和元年 5月2日 朝

          6時50分のアラームで目が覚めた。 しばらく布団の中で携帯を見つめる。皆が書いたnoteを見つめる。どれもこれも素敵な文章だった。「良かった」以外の言葉でくくってしまうのがもったいないぐらい。 部屋の隅にはバッグが2つ置いてある。今日、着る用の服も準備してある。昨日の自分に感謝しながら携帯を見つめた。5分ぐらいして布団から出た。 当たり前なのかも知れないけれど、案外いつもどおりの朝だった。でも、そもそもこんな早い時間に起きることが久しぶりだから、なんだか新鮮だった。小鳥の

          令和元年 5月2日 朝