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安倍晋三さん一周忌に際して

安倍晋三さんが突如この世を去られてから一年が経ちました。安倍さんとは、デフレ脱却国民会議、さまざまな議員連盟で増税反対、金融緩和、安全保障問題でも同じ方向を向き党派を越えて連携させていただきました。

一年前、当日の昼過ぎ、町中の中華料理店に昼食を取りに入ったところ、店に備え付けのテレビで安倍晋三さんが奈良で狙撃されたことが報道されていました。ほかのお客さんも淡々と食事をとりながらも画面に見入っていましたが、もちろん私も想像もつかないことでしたので大変驚きました。心肺停止状態でただちに病院に搬送されたとのことでしたが、犯行に使用されたものが散弾銃だということで何とか一命をとりとめてくれるのではないかとうっすらと希望を持ったのでした。そのまま心肺停止の報道が続いた後、午後遅く昭恵夫人が奈良に到着するとの報道を聞いて、まさか夫人の到着を待って、逝去の報が出てしまうのではないだろうかと想像しました。心配は当たり、午後5時過ぎに逝去の報がありました。大変ショックでした。

私の参議院議員現職当時、所属した政党は違いましたが、経済政策にしても安全保障政策にしても安倍さんと私は同じ方向を向いており、安倍晋三さんをヘッドとした超党派の議員連盟に数多く参加するなどしており、様々な面でご指導いただいていました。(だからこそ旧民主党内では冷遇されたのかもしれません。)

特に経済政策面では、2010年からのデフレ脱却議員連盟での活動で、当時の野党自民党の中で、金融政策に理解を示してくれそうな方として、安倍晋三さんにコンタクトし、デフレ脱却国民会議、東日本大震災復興増税反対運動などをともに進めていました。何回ともなく酒席を共にし、気さくな人柄に触れ、冗談交じりに「自民党においで」などと誘ってもいただいていました。

令和4(2022)年 5月 16日(月)、私は新進気鋭の経済学者である柿埜真吾高崎経済大学講師らとともに安倍晋三さんをその会館事務所に訪問しました。柿埜さんは前日銀副総裁である岩田規久男先生のお弟子さんですが、柿埜さんが岩田先生のアドバイスを受けまとめた「物価水準目標」に関する政策提言書を安倍晋三さんに説明し、支持を取り付けることが目的でした。面談予定時刻は9時50分からの20分間でしたが、安倍さんは10時30分を過ぎても熱心に質問を続けておられ、次のアポの時間があるのでしょう、事務所の秘書さんが何度もメモを入れに来るほどでした。同時に黒田日銀総裁後継問題で官僚の言いなりにならずに若田部昌澄副総裁を昇格させるべきことなどもお話しし、全面的にご賛同いただけました。その際には、他の候補者についての評判をお尋ねになり、また逆に「金子君も経済企画庁出身なんだから、人脈を生かして広めてほしい」と激励を受けました。少しお疲れのご様子ではありましたが、あのときは二か月もたたずにテロリストの凶弾に倒れてしまわれるとは夢にも思いませんでした。安倍晋三さん亡き後のわが国の経済政策は迷走を続けています。失って初めてその存在の大きさを実感します。

安倍晋三さんという傑出した政治家がいなければ、金融緩和という政策がこれだけわが国で市民権を得ることはなかったでしょう。世界的には標準的な政策であったのにもかかわらず、官僚にとって都合が悪いというただそれだけの理由で阻まれていたのです。安全保障問題、皇室問題とならんで安倍晋三さんがわれわれに残してくれた大きな足跡です。もう安倍晋三さんはこの地上にはいません。これからわれわれ残されたもの一人一人が力を合わせてその遺志を受け継いでアベノミクスを継承しなければなりません。バトンを受け取ったわれわれがどう歩んでいくかが重要です。私も安倍さんの政策を受け継いでいきます。ご冥福を改めて心からお祈り申し上げます。

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