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気づいたら校長になっていた

平成29年4月7日午後4時、ボクは少しあせっていた。

4月に入ってあれこれ忙しくはあったが、あいさつまわりも、ホームページの更新も、校長会も、職員会議も順調で、校長としてのスタートはまあまあうまく切れている。ただ一つ、問題は宴会だ。

その日の夜、学校を転入・転出した教職員のための歓送迎会が催されることになっていた。

当然、開会のあいさつは校長であるボクがしなければならない。そして、どうせなら校長らしく、少しは気の利いた、人間味と教養あふれるあいさつをしたい。しかし、校長経験はたったの7日。じっくりと考える間もないまま、時間は刻一刻と迫りつつあった。

こうなると、頼れるのは Google だ。歓送迎会に似合うエピソードはないかと考え、「出会い」でググってみた。

「本気で彼女がほしいなら!」「まずは2分で無料診断」

ちがう・・・。

ボクがほしいのは彼女ではなくて校長としての風格だ。てゆうか、ボクは校長室で一人こっそり何のサイトを見てしまっているのだ?

気を取り直し、今度は「4月7日(スペース)出来事」でググってみた。

「戦艦大和沈没」

だめだ・・・。

大切な船出の日に沈没では話にならない。そこであきらめた。というよりも、とてもシンプルで大切な法則に気がついた。

たいして教養がない人間だから、たいしたことは話せない。人間味のあることを話したいなら、人間味のある人間になるしかない。「気づいたら校長になっていた」と言える日が、そのうちきっと来るだろう。


振り返れば、「準備」の後半生でした。平成18年には再編校開設準備室の室員となり、学校の再編統合という非常に困難かつ挑戦しがいのあるミッションに取り組みました。

その後は裏方に回り、教育委員会では新たな再編、新しい専門学科、選抜制度の改善、中高一貫教育や柔軟な教育システムなど、学校と連携してさまざまな準備に関わり、そのあとは新設高校の開設準備委員会副委員長として、また校長になってからは中高一貫教育校開設準備室長として、とにかく何かを準備することに明け暮れる毎日を過ごしてきました。

「科学・共生・感動」や「学びアンダンテ」、「Departure」といったコンセプトやミッションステートメントが今も現役で使われていることが、気恥ずかしくもあり、正直に言えばうれしくもあります。

そうした「準備」半生の締めくくりとして、図らずも強い思い入れのある高校に着任し、教育のDE&I(ダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン)の推進に心置きなく、また心の底から楽しみつつ尽力できたことは望外の喜びでした。

大した役割も担わず、運営を放ったらかし、好き放題に目の前のことに集中させていただいた校長会のみなさまには、心よりお詫びとお礼を申し上げます。


あれから6年。

令和5年4月13日、校長として経験を積み重ねたボクは、配置換もあり、最前列に座って最後の年の校長会総会に臨んでいた。

新型コロナ感染症の終息に伴い、「新任校長あいさつ」という恒例行事が4年ぶりに復活。これから自己紹介が始まるというタイミングで、ボクは紙コップに入ったコーヒーをこかした。

机上をまっすぐに流れる茶色い液体、恐怖のあまり上半身を引きつらせる隣席の校長、十二分に水分を含んでこれ以上何ら吸収するつもりのないハンドタオル、横一列に並び、いたたまれない気分でボクを見下ろす新任の校長先生たち・・・。

「気づいたら校長になっていた」と言える日は、とうとう来なかった。

2024/03
『校長会回顧録』より


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