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 電話BOX


もうすぐ無くなってしまう。
思い出が幾つもある、あの公衆電話。

母にとっても同じだろう。

ううん、母の方がきっと、強い思い入れがあるはずだ。



「秋穂、ごめん遅れた」
修二が乱れた呼吸で、待ち合わせ場所にやって来た。


「走らなくてもいいのに。30半ばなんだし。それにたいして遅れてないよ」

「いやでもさ。いま齢のこと云った?」

「はい、これ」

修二は私に渡された、スポーツ飲料のペットボトルを手に取った。

「ありがと〜」

そう云うと、勢いよく飲み始めた。


彼の喉仏が、忙しなく
上下に動く。

私は男性の喉仏が好きだ。

喉仏フェチだと自負している。


以前は、自分にも欲しいと、そう思って見ていた。


けれど今は、見ていると。色気を感じるようになっていた。


「は〜美味かった。全部飲んじゃったよ。ごちそうさん」


「こちらこそ、ご馳走様。今日もとってもセクシーだった」


修二は、ケタケタと笑った。


「秋穂って面白いよな。
そんなに喉仏が好きなの」


ふっふっふ
笑いながら、頷く私。


「捨ててくる」

空のペットボトルを持って、修二は自販機の横にある、専用のゴミ入れに捨てに行った。


「さて、今日はどこに行こうか。秋穂はリクエストある?」


梅雨が明けて、最初の休日。
外の方が、気持ち良さそうに感じた。

「せっかくの晴れだから、建物の中より、外がいいと思うんだけど。抽象的すぎるよね」


「う〜ん。それじゃあ、動物園は?」


「好きだけど、もっと広々とした場所がいいな」


修二は暫く考えていた。

「そうだ。野原で思い切り自然を満喫するのは、どう?食へ物と飲み物買って、そこで食べる」


私は想像してみた。
この案は、かなりいい気がする。


「それにしよう。でも行き先はどこにするの?」


「僕に任せてくれたら、大丈夫。当てはあるから」


私と修二は、食料の買い出しに向かった。


「ちょっと買い過ぎたかな。重い」

「だから、注意したのに、辞めないんだから修二は」


私たちは電車に揺られている。
修二が云うには、30分も、かからないそうだ。


「秋穂、次の駅で下車するからね」

「うん」


 緑ヶ丘〜緑ヶ丘〜


「よし、降りよう」


ホームに降りた私は、
「あれ?」
と思った。


大きなターミナル駅から、たったの30分の場所なのに、空気が澄んでいる。


「秋穂、早く早く。腹が減って死にそう」


「大袈裟なんだから」

私は笑いながら、修二の後に着いて行った。


改札を出ると何にもない。

コンビニと銀行くらいだ。


「バスも出てるんだけど、本数が少ないんだ。
だからタクシーに乗るよ」


私は云われるままに、タクシーに乗り込んだ。

坂道を15分くらい走ったところで、私たちは
車を降りた。


わぁ〜


「中々いいでしょう」



「広いね。海も見えるんだ」

「気に入ってもらえたようで、良かったよ。少し下がった場所まで行って、食べようか」

「うん。私もお腹が空いて来た」


二人で海に近いところまで行くと、食べる物と一緒に買った、白いビニールシートを広げる。


空気が綺麗だと、お腹が空く。
修二と私は、食べ物を次々と口にした。

恐ろしいことに、買い過ぎだと思ってた食料を、全て食へ終えてしまった。


絶対、食べ過ぎだ。

でも、たまにはいいよね。
景色も最高だし、満足だわ。



空腹が満たされて、私も修二も、寝転んだ。

青い空を、雲がゆっくり流れてる。


私は、あの公衆電話のことを思い出していた。


「ねえ、修二。家の近くにある公衆電話を、覚えてる?」

「覚えてるよ。秋穂のご両親に、挨拶に伺った帰りに見たからね。今じゃ珍しくなったよな」


「もう直ぐ撤去されるんだ」


「え、何でだよ。携帯を使っていない、お年寄りには必要だと思うし、災害の時にも役に立つのにな」


「どうして、昔からの物を、全部なくしてしまうんだろう。あの公衆電話から、修二に電話したこともあるのに」


「あったね。そんなことも。僕がバツイチだから、秋穂のお父さんに、結婚を反対されてしまい、携帯から電話しづらくて、秋穂はあの公衆電話から、かけてくれたんだよね」


「今は許してくれたから、あの公衆電話からは、かけなくなったけど。でもね、やっぱり寂しい」



  ピ〜〜ヒョロロロ〜


「わたし以上に、母があの公衆電話を使ってた時期があるの」


「お母さんが?どうして」


母は、父と余り上手くいってなかった。
その上、同居していた祖母が、かなりキツく母に当たってた。
よく云われる、嫁姑の問題で、母は辛かったと思う。
父は見て見ぬふりをした。



「お母さんは、誰に電話してだんだろう」


「分からない。だけど相手の人は、母の心の悲鳴を、訊いてくれたのだと思う。母が何度も電話して来ても、嫌がらずに訊いてくれた人だったのは確か。だから母は自分を保てたんだと、私は思ってる」



「秋穂は、お母さんが公衆電話で、誰かと話してるところを見たの?」


私は頷いた。

「見たよ。何度も何度も。心配だったから、母の後を着いて行ったから」


私は起き上がると、まだ入っているペットボトルのミルクティを飲んだ。

瞼をそっと閉じる。

風が潮の匂いを運んで来る。


「母は、普通に話してばかりでは、なかった。
泣きながら電話をしている時も、何度か見たの私」



「……そうか」


「お母さん、好きな人がいたんじゃないかな」

「そうかもしれないな」


時刻は、夕方になっていた。


「冷えて来た。そろそろ帰ろう」


二人で、片付けを終えて、修二はタクシーを呼び、帰宅の途に着いた。


私は今も、両親と暮らしている。

祖母はもういない。

齢なのか、父と母は今の方が仲がいい。


そして私は来月、修二と結婚して、家を出る。



     了




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