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「生き抜いている」以上を自分に求めている

 心臓がある辺りの背中に、嫌な熱のようなものを感じる。いつもの感覚だ。自分を責め、虐げ、不安や憂鬱が強くなると、背中辺りから広がるように、心地の悪い熱さが訪れる。脳内がごちゃごちゃして動きにくくなる。スマホの画面をずっと眺めて気を紛らわせる。気を紛らわせてくれる言葉や情報を探す。

 仕事が決まった。しかし不安が強い。「しかし」ではなく、「だから不安が強い」が正しいのかもしれない。失業保険がもうすぐ切れて生活費が無くなることへの不安が、求職活動中はずっと付き纏っていた。仕事が決まったら決まったで、「また鬱が酷くなって働くのが嫌になったら」「人間関係やコミュニケーションがきっかけで休んだら」と怖くなる。

 鬱を抱えながらだからか、余計に過敏になっている。「またやり直せばいい」「何度でも立ち上がればいい」という言葉は耳障りがいいが、素直にそう思えない自分もいる。鬱が酷くなり動けなくなったら、何かしらのトラウマになって外や人が過剰に怖くなったら、と考えて不安が強くなる。

 そうなってもやり直せるんだろうけど、やり直す過程で「このままどうにもならなかったらどうしよう」と不安や憂鬱に襲われるのは不可避だろう。やり直している間は苦しいし、また仕事を探すのしんどい。体力があればやり直すことへの不安感は少なかったかもしれないが、体力がなく動けない感覚を体験しているから、恐怖を感じる。

 40社くらい落ちたけど、障害者雇用で内定をいくつか貰った。それ自体は喜ばしいことだ。「喜んでだけいればいい」とは思うが、面接のときによく見せすぎたかもしれないと不安に思う。働き始めた後に「やはりあっちの方を選んでいた方が良かったかもしれない」と後悔したらどうしようと、選べるのは贅沢だと分かりながら、余計なことを考えてしまう。

 別に失敗したって合わなければまた転職すればいい、と思う僕がいる。転職ってしんどいし八方塞がりだと感じるから、間違った選択が怖い、と思う自分もいる。仕事を見つけることで必死で、仕事が見つかれば不安が晴れると思っていたけど、いざ見つかると「これでいいのか」「やっていけるのか」という別の不安が訪れる。

 求めすぎるが故に、不安で苦しいのだと思う。常に正しい判断を下せると思っていたり、「成功」「失敗」とくっきり分けてスッキリとした感覚を味わいたかったり、「完璧」「正しさ」「成功」を求めすぎて、将来を操作しようとしすぎて、思い通りにならなかったときへの恐怖が強くなる。思い通りから外れたときの失望が怖くなる。

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