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きみがいたあらゆる場所。

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断片集
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記事一覧

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 雨の降りしきる部屋の中で一夜を過ごしていると色々な音が聞こえる。色々な気配が聞こえる。息づかいがする。ほら。何かは近づく。ほら。ガラスをノックする。外はきっと雨滴で満たされた音だ。ほら。息づかいは部屋の中でする。誰かのつぶやく。手ざわりする息づかいはベッドのすぐ上だ。屋根に打たれている雨滴はきっと空気を音で満たしている。水中よりもずっと薄くだけど、部屋の中と外とをつなげる。たとえガラスが閉じられ

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-1_33

 わたしたちは屋内に無限に陳列されているかに見えた仏像の、照明がないために仄暗い、延延と続く土間の上を進む。わたしたちは果てしなく並べられた仏像が全て一つのオリジナルの夥しいレプリカントに見えるけれども、そうではなく彼らは一つのオリジナルへ還元されることに違いないが、その終わりのないヴァリエーションなのだと学芸員は語った。
「終わりのない?」とわたしたちの一人が学芸員に問うつもりでもなかったが上げ

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-1_32

 屋外劇場には月が昇っていた。冬が間近の凍てつくような夜は人っ子一人客席はおろか舞台上からも姿を消す程の。
「リボンが解けるのと同時に」気配は消えつつある、夢の夜のようにくらい声で。
「バレリーナの少女は」亡霊の様に白煙が風に散ってかすかな匂いだけが残るようだった。
 疎らな拍手の残響が、まるで遠い山むこうから届いた汽笛の音のように月光にかき消えている星星を一つ一つ数え上げる。
「月に衝突(ぶつか

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-1_31

 屋外劇場の舞台の上には役者たちが演じているのが客席の芸人が一人見ていた。
 役者たちはわたしたちが演じているのは屋外劇場に舞台として用意された上で、客席と呼ばれている芸人が、一人芝の上に腰を下ろして眺めた。
 役者たちはわたしたちが、役者たちを舞台の上が演じているこの屋外劇場の下で、芝生に寝そべった芸人だった。芸人は夢を見ているが役者たちは眺められた、演じられた舞台の上で、とわたしたちは喋り、行

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 鬼ごっこでは鬼に追われる者がまた鬼であり、かくれんぼでは隠れる者がまた探し出す者である。呼ぶ者は応える者であり、まなざす者はまなざされる者であった。
 あなたは羽ばたきながらわたしの元にやって来て眠るわたしを見て微笑んだ。その頃川辺で釣りをしていた私は誤って鈎針をのどに刺してしまって、苦しさでもがき苦しんでいる内にびくの中へ収められた、わたしが目を覚ますとあなたはたった今釣り上げて来た大きな鱒を

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-1_29

 笑いは口のすきまから闇が覗く、けたたましく哄笑された口口に小さい闇が覗く。音楽が鳴り止まない狂ったレコードが延延と同じフレーズをくり返すように続く。拍手がわき起こる方々の手の平と手の平のすきまから闇が覗く。指と指のすきまから闇が覗く、開かれた歯と歯のすきまから零れた闇が降り積む。黒黒とした闇で足元は温かいがうすら寒い。パチパチと拍手のような火花の音がする。
「火を熾しなさい」誰に言ったのか指され

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 あらゆるすきまから地獄が延びているという。と言ったのはツグミだった、あらゆる間と間の空っぽのすきまにはわたしがいますとトラツグミは言うのです、わたしわ、と猿が大層可笑しそうに言うので、わたしたちもわたしたちもと、アオダイショウは滑り込んだすきまには幾重もの根が折り畳まれて教会の屋根のような厳かさを私に感じさせたのです。
 芸人は滔々としゃべり続けていました。蛇が空腹のあまり自らの尾に喰らいついて

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-1_27

「地獄はあの世にあるのではありません。この世のどこかにあるというものでもありません。わたしが地獄なのです。いま、ここに、こうして居るわたし、このわたしの中にこそわたしの地獄があり、わたしの地獄はわたしそのものなのです」
 砂の崩れるような声だった、尼は、何里先までも届くと思われた、わたしたちは暮れて逝く平原のどこかに、テントを張った入口の先に居て、灌木から毟った薪を焚いていた。尼は遠くの星のまたた

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 千年以上昔に書かれたものが尚今わたしへ意味を読むことができるというのはとてもすごいことだね、と言った。中にはもうすっかり意味が失われてしまったり、変わってしまった言葉もあって、言葉は容れ物だってよく言うけどその中には何が入っているの? と言ったので、
 言葉じたいが容れ物でありその中身なんだよと言うと、じゃあこの言葉も千年後にはここに書いてある通りに未来の人たちは読んでくれるだろうか、と言うので

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 明晰夢というものをご存知だろうか。
 目の前に一冊の書物がある。ぶ厚い装丁の単行本で、カバーは付いていない。黄ばんだ厚紙がむき出しになっているが、どこにもタイトルらしきものは見当たらない。何の絵や紋様も施されていない。小口もすっかり焼けて赤褐色をしている。だいぶ古い本らしい。
「それが父の本」と誰かがあなたに言う。
 なかには短い物語や断章が無数に収められている。一つ一つはとりとめが無く、唐突に

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 友人から聞いた話。
 その廃墟にはがらんどうの広い空間と、古びたピアノが一台あるだけだそうだ。多分昔は音楽ホールか何かだったのだろうか、わからない。それも二〇〇六年にダムの底へ沈んだ。一週間程天気の良い日が続けばダムの水が澄んで、底に沈む廃墟を見ることが出来るんだそうだ。そこでかつて人が殺されたとか、水の澄んだ月の晩にはダムの湖上をピアノの音色が聞こえるとか、そんな話はない。ただ、月夜にはダム湖

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 この致命的なこの国でわたしたちに何が出来るのでしょうね。夏の始めだった男の子が姿を消したのは。父はまだ見つかってないのかと言った十一月の夕食の席で、外は寒い夜だった。この前俺が見ていたらと父は言った。一度くらい振り向けばいいのにな。子どもたち四五人連れて一番最後に女の子(の職員が)一人だけいたけど、普通は保育園の散歩でも先生たちはもっとしっかり見るよ、事件の起こった後なのに何も気にしてないんだな

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「俺ってすぐ忘れちゃうんです。忘れるっていうか、すぐ別の事に気が移っちゃうから、一つのことに集中できないっていうか、ついさっきまでやってたことがあっても気になることがあればすぐそっちに行っちゃう、そういう風にして次々と注意が移っちゃって一つのことに集中できなかったり、気づいたら元々やっていたことを放っぽって全然別のこと考えていたりしちゃうんですよねえ」
 笑った。何で笑っているのかと思った、

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 あなたがもしこれから死んでいたなら、とわたしたちは言ったことになる、この仮想現実空間の中では、(可視化された永遠が切り売りされている)もしわたしたちが死を超克していたら、今頃はあなたの傍にいつかずっといることができたであろうに・・・・・・もしあなたがいつか死んでいらっしゃったならば、今こうしてわたしたちはあなたにめぐり逢うことはできなかったであろうに。
 あなたは涙を流した。あなたは流した涙は水

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