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意思決定で「言い切る」こと、科学的な議論で「言い切らない」こと

今日の仕事は結構タフだった。
15人以上の会議、しかも課題の洗い出しから具体的なアクションまで考える会議。

当然ひとりひとりの意見が違うのでまとめるのが大変だ。
最終的に何とか結論を出したけど、だいぶ無理やりだった。

私自身はそもそも会議のファシリテーターが好きではない。
あちらこちらから色んな意見を聞いていい感じにまとめるのは至難の業。
終わった後は30分くらい動けなくなる。

あと、こういった会議の場面では「言い切る」ことが重要だ。
だけど私は性格的に言い切るのが苦手だし、そもそも普段の科学的な議論では断言することが少ない。

なのでいつも会議では悪戦苦闘している。
今日はそんな話。

科学において「言い切る」ことはめったにない

私は企業の研究開発職として10年弱働いてきた。
そしていまも研究開発に関するプロジェクトを仕切っている。

こういった研究開発では実験データなどから現象の裏に潜むメカニズムを考察して、仮説を立てる。
ただ、限られた条件での実験結果から「どんな場面でも使える法則」など見つかるわけもない。

例えば「水は100℃になると沸騰する」という現象を見ても「水はどんなときも100℃で沸騰するんだ」と言い切れない。
高い山の上だとどうなるんだ、とか例外を考える。

そうして「水は1013ヘクトパスカルの気圧において100℃で沸騰する」といった前置きの言葉が付いた説明になる。
でもこの「前置き」が科学的に考えるうえでは重要だ。

限られた原料、材料、条件で行った実験から「幅広く通用する仮説」を立てたら思い違いをするかもしれない。
もしかしたら思い違いによってとんでもない事故を起こすかもしれない。

なので科学的な報告をするときはどうしても「前置きの言葉」が付くし、言い切れないこともある。
むしろ「この範囲では成り立つと考えている」と正直に言ったほうが変な誤解を与えない。

こうして私は「言い切らない」のが当たり前になってきた。

意思決定では「言い切る」ことがその後につながる

一方でこの数年、プロマネ的な立場になると会議を仕切ることが増えてきた。
しかも議題は「今の最重要課題は何か」とか「今後我々は何をするべきか」といったこと。
全く持ってサイエンスの話ではなくなってきた。

そして重要なのは「課題を洗い出す」とか「アクションを決める」とか、ゴールが決まっていること。
そのため「まだ良くわからないねぇ、おわり」とするわけにもいかない。

議論を行ったうえで最後に意思決定をするとき、決断力が試される。
そして決断するときは「言い切る」ことが大切。

例えば今後1ヶ月のアクションを決めたときに「たぶん、これで動いたら何とかなる気がするんだけどなぁ」と言われたらどうだろう。
ほとんどの人が「なんとかなるのか?」と思うはず。

ぜんぜん違う例だけど結婚式で新郎新婦が「幸せになることを誓いますか」と言われて「うん・・・たぶん、大丈夫」と言ったらどうだろう。
何かもうヤバそうだ。

それくらい意志を表明するときに「言い切る」ことは重要だ。
そもそも会議の後に動き出すことは決まっている。
それなら言い切って突っ走ったほうがいい。

言い切る場面と言い切らない場面の使い分け

私はとにかく言い切ることに慣れていない。
だけど自分が言い切れなかった結果、まとまるはずの会議がひっくり返ったことが何度もある。

なので最近は無理やり言い切るようにしている。
そのために重要なのは「自分の役割」を事前に考えることだ。

会議の議長、提案者なのか、それともコメントをする側なのか。
自分が意思決定者なのか、意思決定者にお伺いを立てる側なのか。

会議の参加メンバーと会議の目的から自分の役割を考える。
そして「自分が決める立場」だと思ったら言葉を変える。

ポイントは全てを断言するわけじゃないこと。
結論など、ここぞと言うときに「ではA案でいきましょう」などとハッキリ言う。

そしてもう一つのポイントは「語尾までハッキリ話す」こと。
声色の印象ってバカにできない。
「これが!いいとオモイマス・・・」と後半の声が小さくなるだけで自信がなさそうにみえる。

だからこそ最後まで言い切る。
テクニック的だけど、結局は聞き手がどういった印象を抱くかが重要なのでありとあらゆる手を使う。

元々自信を持っていてハキハキ話す人が正直うらやましい。
だけど自分に無いものを嘆いていても仕事が私を解放してくれるわけじゃない。
だからこそ、なけなしの力を振り絞って今日も私は断言するのだった。

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